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「12/6(日)岐阜新聞映画部「実りゆく」上映&田中要次さん・八木順一朗監督トークショー」 [映画のはなし]

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12/6(日) #岐阜CINEX で開催された、
「実りゆく」上映& #田中要次 さん、
#八木順一朗 監督のトークショーにお邪魔しました。

今回上映となった映画「実りゆく」を撮影した八木監督は岐阜県関市出身。
実は先月、関市の映画館で、地元に凱旋しての上映を果たし、
今月は、この岐阜CINEXでの上映となりました。

それにしても…映画「実りゆく」のスタートが、
実は予告編のみと知り、驚きました。

というのも…

ドラマ「トリック」などでおなじみの堤幸彦監督、
そして映画「モテキ」、最近では大河ドラマ「いだてん」でも
活躍されている大根仁監督らが取締役をつとめる、
映画監督のマネージメントなどを行っている
「オフィスクレッシェンド」が主催する
「MI-CAN 未完成映画予告編映画大賞」
https://mi-can.com/about/

実はこちらのコンテスト。
次代を担うクリエイターの発掘・育成を目指して創設した
コンテストで、審査される作品は、なんとまだ完成されていない映画、
つまり3分以内の予告編映像。
見事、大賞となれば3,000万円相当の映画製作費がもらえ、
映画監督デビューとなる訳です。

で、このコンテストの第3回大会に出品したのが
今回の映画の監督をつとめた八木順一朗監督。
ということは…大賞?と思いきや…
「堤幸彦賞」と「MI-CAN男優賞」を受賞。

その「堤幸彦賞」とは…
堤幸彦氏が個人的にいたく気に入り、
結果、ポケットマネーから賞金を用意し、
贈呈したというなんとも胸熱な賞だったのです。

とはいえ…
あくまで堤氏のマイベスト賞的なもののため…本編は制作ならず。

ところが…結果が発表されると…

「これは本編を作らないといけないでしょう?」
という周りの声が大きくなり、
タイタンの社長でもある太田光代さんの決断もあり、
なんと映画化が決定。今回の本編の映画公開となった訳です。

おや?なぜにタイタン?と思ってたら…

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「八木順一朗監督、タイタンでマネージャーのお仕事をされていた」

驚きました。二足のわらじ…ですね。

八木監督は地元の高校を卒業後、
日本大学芸術学部の映画学科に進学し、
映画制作を学ばれたそうですが…
映画と同じぐらいお笑いも好きだったそう。
そこで大学の卒業制作でお笑い芸人の話を制作するのですが…
その作品の中で、有名な漫才師の写真をたくさん使う必要があり、
八木監督は色々な事務所に直接電話をかけて写真をお借りしたとか。
その中に、タイタンも入っていたそうで…
以前より爆笑問題さんが大好きだった八木監督。
タイタンには映像制作の専門部署もあったことから、
完成した作品と履歴書をタイタンに送ったそう。
すると…タイタンより連絡があり、事務所に向かうも、
ちょうど爆笑問題の田中さんのマネージャーが辞めたとのことで…
一時的にマネージャーをお願いされて以来、今に至るとか。

とはいえ…映画制作をあきらめなかった八木監督。

「いきなり本編の映画を撮るのは現状では厳しい。
ならば何かコンテストに応募して賞を取るのが近道」と考え
制作したのが今回の本編制作のきっかけとなった
「MI-CAN 未完成映画予告編映画大賞」だったとか。

それにしても…舞台が長野というところも気になりますね。
実は八木監督、数年前にタイタン所属のお笑い芸人
松尾アトム前派出所さんの仕事の関係で長野県の松川町を訪れたそうで…
その際、りんご農園に見事に実ったりんごの景色に心動かされ
「いつかこの景色で映画を撮りたい」と思ったことが、
今回の映画の出発点だったとか。
ちなみに、松尾アトム前派出所さんのご実家はりんご農園で、
今回の主人公のモデルにもなっているそう。
本作には出演はなかったものの、裏方として制作をサポートし、
エンドロールでは、りんご農家としての
1年を撮影された映像にご本人が登場しています。

しかし…2分30秒の予告編から、
いきなり2時間ほどの本編へのジャンプアップ。
予告編の際から、タイタンに所属する芸人をはじめとする人達が
総力をあげて出演されていましたが…
本編での主演は、予告編と同じく、タイタン所属のお笑いコンビ
まんじゅう大帝国の竹内一希さんがつとめることに。
そして、気になる父親役には
「長野県ご出身だし…ぜひこの方に…」
と八木監督が白羽の矢を立てたのが、田中要次さん。

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今回、八木監督と一緒にご登場ということで、
早速、当時のオファーの時のエピソードが飛び出します。
「最初に脚本を拝見して面白いなぁと思ったのはもちろんですが…
決め手はね、長野出身のGLIM SPANKY(グリムスパンキー)が
主題歌担当するっていうから…それで即決でしたよ」
と笑いながら話す、田中要次さん。
地元出身のアーティストへの想いも含んだ…素敵なエピソードですよね。

そうそう、田中要次さんと言えば、
俳優になられる前は、国鉄時代の長野鉄道管理局に、
その後、国鉄分割民営化となった後は、
JR東海の社員として岡崎保線区に配属されていて、保線を担当。
そうなんです。愛知にいらした映画好きの田中さんは、
当時から東海地区の映画上映サークルと交流を深めており、
ここ岐阜の映画上映サークルとも当時から何度も足を運ばれていたそう。
そんな経緯を司会の岐阜新聞映画部の部長さんより紹介を受けると、
田中さんも感慨深い表情で…
「そうなんですよね…今日、久しぶりに岐阜駅に降り立って…
『あぁ…3年前、バス旅で鳥取目指していたなぁ』」
と語ると会場からは笑いがあふれます。
そして「当時、岐阜には映画好きのサークルに
月1回のペースで顔を出していましたね」
と懐かしそうに語る田中さん。
なるほど…岐阜とはなみなみならぬご縁があったんですね。

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さて、ここからは映画本編のお話を詳しく語っていただくことに…
八木監督は普段はマネージャーをされているとのことで、
そこから来る色々な想いがあったそう。
「僕はマネージャーとして、タイタンに所属し、
所属している芸人を見ているので、
例えば、よく映画やドラマで俳優が芸人を演じる場面を見ると、
コンビ同士の掛け合いだったら間が圧倒的に違うと感じてしまうんです。
だから、もし芸人をテーマにした映像を撮るとしたら、
本物の芸人を使って、本物を描きたくて…今回はその一心でしたね」
と語る八木監督。
八木監督は監督という以前に、マネージャーとして、
それぞれの芸人の特徴を熟知しているからこそ、
脚本にもそれが活かされているなぁと。
これは当て書きでは?と思われるシーンもあり、
見る側としてもそれはとてもリアルでしたし、
八木監督にしか取れない映像じゃないかなと感じました。

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そして、実際の撮影時のエピソードとして
田中要次さんが印象的だったのが…
台嵐が接近する嵐のようなりんご園で息子役の
竹内一希さんと対峙するシーン。
「あのシーンはね、竹内さんの狂気を感じたんですよ。
だからもう僕もこれは本気でかからないなと覚悟しましたからね」
と語る田中さん。
そこですかさず八木監督が「そうなんですよ…本当、田舎の青年
という佇まいの竹内くんなんですけどね…彼、東京出身なんですよ」
と情報を差し込み、会場からも思わず笑い声が聞こえてきました。

撮影時には時折、偶然が生み出す奇跡の場面があったそう。
「竹内くんは、田中さんに場面、場面で活かしてもらいながら
主人公の実くんになっていましたね。
例えば、オープニングのシーンで、
軽トラックにりんごを積み込むシーンがあるんですけど、
あそこも荷台の方の留め具をひとつ、
竹内くんが留め忘れてしまっていたんですよ。
内心、危ないなぁ…って思っていたところに、
田中さんが、さりげなく、フォローして留め具をきちんと留め直すんです。
偶然かもしれないけど、これは本当に自然体の良いシーンでした」
と八木監督が話すと、田中さんが「あれはね…本当に、自然と出たんですよね」
と、当時の様子を思い起こしながら、笑顔でお話されていました。

ちなみに撮影にかかった日数はなんと9日間。
内訳としては、2日間東京で撮影し、
残りの7日間は長野で撮影されたとか。
そんな長野では、天気を見方に付けて、
空が曇天に…まさにこれから嵐が来るというシーンに
見事にはまったそうです。

八木監督は、自分自身が映画を制作したいものの、
マネージャーとして勤めている現状にも重ねながら
「ハンデを抱えながらも夢を目指す大切さ」
を今回の映画の中に込めたそうですが…
八木監督は田中さんに「不動明王になってください」とオファーしたとか。

そんな頑固な父親役を演じることや、
真面目なテーマの映画の中に入ることを、
田中さんは最初のうちは気恥ずかしく思っていたそうですが、
試写を見て「こういう、まっすぐなのも良いかな」とも感じたそうです。
とはいえ、照れ隠しなのか、根っからのサービス精神があいまってでしょうか…
「自分がこんなにたくさん出演しているのはめずらしいんですよ」と、
笑いながら語るため、会場からは笑いが生まれていました。

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とはいえ、私も気になっていた…主人公が体験するあのお祭り。
ネタバレになるので詳しくはここで詳細は書きませんが…
八木監督からは「あれは黒澤明監督の『夢』の中に登場する、
きつねの嫁入りのイメージで撮影したんです。
だから、あのお祭りはオリジナルなんです。
ただ、僕としては、一人の若者が、町の人達に見届けてもらうことで、
一人前になるというプロセスを描きたくて…
ラストはああいう形にしたんです」と笑顔で語る八木監督。
あこがれの監督へのオマージュも含まれているんですね。

「脚本については、大学でひととおり書き方などを教えてはもらいましたが、
卒業後は、マネージャー業が中心でしたから…
脚本を書くのは久しぶりでした」と語る八木監督。
今回は、長野の、それもりんご農家がメインで描かれているということもあり、
撮影でお世話になった長野県下伊那郡松川町はもちろんのこと、
以前の台風で被害を受けたりんご農家さん達を
勇気づける映画にもなっているそう。

さらにりんご農家ということで…
現在は、青森を中心に映画が上映されているそうで…
「11月はりんごの収穫の最盛期で、
ちょうど12月に入る今が皆さん、映画を見る余裕があるのか…
ご好評いただいているみたいです」と笑顔で語る八木監督。
永く愛される映画となってもらいたいですね。

さて、ここからは岐阜新聞映画部恒例の、
来場した方々からの質問を受け付ける質問タイム。

まず最初はりんご農家ならではのシーンについての質問。
今回、りんご農家がメインで描かれていることで、
りんご農家が使う、独特な什器などが登場していました。
それによって印象的なシーンも数々ありましたが、
これは現地入りして決められたのでしょうか?という質問。
これについて八木監督は
「そうなんですよ。あの収穫に使用する昇降リフト。
あれが3台ありまして…あれのおかげで、カメラのクレーンの代わりとなって、もうひとつは照明を設置して…あの印象的な映像が撮れたんですよ」と、語られました。
あれは本当に、りんご農家という環境でしか生まれない映像かなと…ぜひまだ映画をご覧になってない方にはぜひ見てもらいたいです。

続いては…主人公の実をはじめ、出演者の方々が監督ご自身が所属する事務所の芸人さんが多いですが、今回の脚本を作るにあたり、各芸人さんの性格などを活かした部分はあったのでしょうか?という質問。
これについて八木監督は
「そうですね…例えば、映画の中でのエーマくん。
主人公の実よりも早くに東京に出て、
芸人としてのキャリアも先輩であるという役どころで
主人公からすれば色々と教えてもらい有り難い存在なのですが
反面、少々わずらわしいところもある存在なのですが…
これは、落語研究会出身のまんじゅう大帝国の竹内一希さんと、
田中永真さんの2人の関係性が反映されていて、
エーマくんを演じた田中さんは実くんを演じた竹内さんより1歳年上。
なので、そういう微妙な2人の立ち位置を僕自身がふくらませて
2人の役を作りあげた部分はあるかもしれませんね」とのこと。

最後の質問は、やはり一番印象的なシーンについての質問。
台風のシーンはどのように撮影されたんですか?という質問。
八木監督が「あれは大きなプロペラ2台を稼働させ、
さらに放水車で水をまいて撮影しました」と話すと、
これには、撮影現場にいた田中要次さんが参戦し
『あのプロペラね、パラグライダーとかで使うやつですよ。
もうね、何カットか撮ったんですけど…カット重ねる度に、
どんどんプロペラが近づいてくるんですよ。
風圧で台詞言えないぐらいに近づけるから、
カットがかかった後に僕が「(プロペラが)近いですよ!」って言うんだけど、
現場のスタッフが「木に実っているりんごを揺らしたいから」って言うので
「そっちかい!」と』このように当時のことを思い出し、
熱く語る田中さんに会場からは笑いが…。

映画を見た後なので「なるほどね…」と納得だったのですが…
そんなにプロペラが近づいていったら…
俳優陣の声は拾えるの?と素朴な疑問が頭によぎったところに、
八木監督が補足説明を…
「最初に動きを撮影して、その後、声をあてています」とのこと。
なるほど…そうだったんですね。

最後に八木監督からは
「映画は撮るだけではダメで…やはり、見ていただけて完成だと僕は思っています。
今日もこうして足を運んで見に来ていただきありがとうございます。
そして、M-1グランプリの決勝に進出した
ウエストランドをよろしくお願いします」
と監督とタイタンのマネージャーとしての両方の立場で
熱い言葉を残してくださいました。

さらに、田中要次さんは
「僕は30年前の1990年12月8日にJR東海を退職したんですよ。
だから役者になってちょうど30年。
そんな記念すべき日の前々日にこうしてゆかりある岐阜に
こうしてお邪魔できて本当に良かったです」と笑顔で語ってくださいました。

とにかく、岐阜ゆかりの方々によるトークショー。
とても楽しいひとときでした

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「11/23(月・祝)隈研吾氏を迎えて「まちづくりと建築の未来」・東海市」 [建築etcのはなし]

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#隈研吾 さんが東海市で、まちづくりについて講演されると
友人のMさんから教えてもらい、先日、一緒に講演会にお邪魔しました。
隈研吾さんと言えば…
ご存じ、 #新国立競技場 、 #歌舞伎座 、
こちら東海地方では #御園座 など、日本国内のみならず、
世界でも様々な建築を手がけていらっしゃる建築家です。

今回は「横須賀文化の香るまちづくり講演会」と題して、
東海市の「横須賀文化の香るまちづくり協議会」などが主催となり、
隈研吾さんをお招きし、隈さんには建築家というご自身の経歴も含めて、
まちづくりのお話を語っていただく講演となりました。

まず最初は世界から見たまちづくりから。
20世紀は経済優先となったことから、
歴史ある建造物などの多くが破壊されてきたとのこと。
その中で、イタリアは1950年代から歴史を守る流れに舵を取り、
まちづくりを進めたそうです。
中国を例に挙げると、北京と上海に各30名程のスタッフを抱えて
プロジェクトを行っている隈さん。
プロジェクトには、古い街を保存しながらの
新たなまちづくりの案件が増えているのだそう。
その理由のひとつとして、
街の保存を行政が厳しく指導を進めているそうで、
結果として歴史あるまちづくりの先進国とも言えると、
隈さんは語ってくださいました。

最近では、環境に着目した街づくりもあるそうで、
例えば、地球温暖化を防ぐまちづくりとして、
木を使う建築をひとつの例としてあげていらっしゃいました。
というのも…木は伐採され、建築資材となっても、
二酸化酸素を取り込む作用があるそうで、
日本ではこれにプラスする条件として、地震大国ということもあり、
耐震性の高い建築も重要なポイントだそうです。
そして人口減少にともない、街自体の再生も含めた
「居心地が良く歩きたくなるまちなかからはじまる都市の再生」を軸とした、
市町村や民間事業者などによる取り組みを国が支援するというプログラムも
国土交通省より発信されていることから、
今後「車社会から脱却し、人間が歩けるまちづくり」も
注目されているまちづくりのひとつだそうです。

さて、続いては隈研吾さんの代表的な建築とともに、
建築が周囲にもたらした変化も含め、
たくさんの事例とともに紹介されました。

まずは歌舞伎座から。
隈さんが手がけた、現在の姿は、
その前の歌舞伎座の姿を踏襲して改築された訳ですが…
その第4代の歌舞伎座を手がけたのは、吉田五十八(よしだいそや)。
歌舞伎座といえば…日本の城郭建築などにみられる
頭部に丸みをつけて造形した破風の一種である
「唐破風(からはふ)」の正面玄関が印象的ですが、
これには面白いエピソードも…
「旧歌舞伎座でこの唐破風が採用されたことから、
東京をはじめとする全国の銭湯の建物が
この入口のスタイルを取り入れたそうで…
結果として、唐破風の佇まいの銭湯が大人気になったそうです」
へぇー、知らなかった。

さて、隈さんが手がけた現在の歌舞伎座。
確かに以前の歌舞伎座の姿に似ていますが…
実は色々なところに工夫を凝らし、
以前よりもグレードアップしているのです。
そのひとつが「ひさし」の深さ。
実は旧歌舞伎座よりも、
現在の歌舞伎座はひさしが深く設計されているそうで、
このおかげで、ライトアップされた際に、
陰影の調子がより際立ち、美しい佇まいになるのだそう。
さらに、ライトアップのカラーも、春夏秋冬、変化をさせて、
季節に合わせた色合いで、歌舞伎座を照らしているそうです。

外観だけではなく、歌舞伎座には隠れた機能も。
というのは、東日本大震災の教訓から、
地下には3,000人分の食糧などの備蓄を備え、
万が一の際、多くの人が待機できるよう、
地下鉄と直結したフロアは広いスペースを設けて、
臨時避難スペースとして活用できる機能も兼ね備えているのです。

続いては…栃木の那珂川町馬頭広重美術館。
http://www.hiroshige.bato.tochigi.jp/about/architecture
里山の材料を使って建てられた贅沢な空間の写真に思わず息をのみました。
平屋建ての建物を貫通するように通る道は参道。
そう、その先には、神社があり、
地域に根ざした美術館という側面も感じられる、
まさに里山に溶け込んだ唯一無二の美術館です。

そして…今回、一番テンションが上がったのが…
太宰府天満宮の表参道に面した、
鳥居のそばに店舗を構える
#太宰府天満宮 表参道店 #スターバックスコーヒー。

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実は私、以前に福岡を訪れた際に、
九州国立博物館に出掛け、
その帰りに太宰府天満宮に立ち寄り、
こちらのスターバックスの店舗に立ち寄ったことがあるのです。

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とにかく印象的なのが…
「日本の伝統的な技法である木組み構造を使って仕上げられた内装」
一度見たら忘れられないですよね?
ちなみに、内装の木材の角には透明のカバーが付けられており、
安全面もしっかり考慮されています。

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さらに店内のテーブルは、内装の木組みと呼応するように、
木製の味わい深いテクスチャーに仕上げられています。
席に着くとその接近する木組みに驚きますが、
次第に木々に包まれているような雰囲気に落ち着き、
ドリンクを飲み終わった後も、
しばし、ゆったりとくつろぎたくなるから不思議です。
「木のチカラでしょうかね?」とても心地よい空間でした。

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(当時、撮影した写真をいくつかアップしてみました)

他にも、浅草文化観光センター
(以前、浅草で宿泊した際、目にしたことがある建物でした)
https://www.city.taito.lg.jp/bunka_kanko/kankoinfo/info/oyakudachi/kankocenter/a-tic-gaiyo.html

さらに、新潟県の長岡市役所を含む、文化施設が一体化された、
シティホールプラザアオーレ長岡は、圧巻の空間でした。
https://www.ao-re.jp/inspection/information/

長岡駅の西口からすぐの場所にあるこちらの施設。
なんと1階に設けられている議場はガラス張り。
他にも、全天候型の土間のある空間を目指して作られた
屋根付広場の「ナカドマ」は、
移動販売車などの出店も可能で、この施設が出来たおかげで
明らかに周囲の人の流れに変化が起きたそう。
街の人達もこうした施設があると誇らしいでしょうね。
ちなみに「アオーレ」は長岡弁で「会いましょう」を意味する
「会おうれ」をもじったものだそう。
地元に根ざした施設らしく、素敵なネーミングだと思いました。

そして今年はオリンピックが延期となりましたが、
東京の新国立競技場も紹介されました。
まず特徴的なところと言えば、
とにかく木材がふんだんに使われていることですね。
屋根、軒庇(のきびさし)、庭などに使われた木材は、
実に約2,000立方メートル!
特に注目すべきは軒庇(のきびさし)で、
こちらは47都道府県から森林認証を取得した木材を調達し、
さらにはスタジアムの方位に応じて配置しているそうですから、
全国各地から訪れた人達の心が躍りますし、
何より、世界の人達を迎える上でも、
オール日本で迎える心意気が伝わりそうな気もします。

さらに、観客席は森の木漏れ日をイメージし
て5つの色(白、黄緑、グレー、深緑、濃茶)が使われており、
そのリズムあるランダムな色合いは歓声にも見えてきますね。

さて、隈さんは講演会でお話される前に、
東海市の横須賀地区を、まちづくり協議会の方々と
一緒に歩いて巡られたそうで、
横須賀地区出身の名古屋出身の歌人・書家である
#阪正臣 (ばん まさおみ:1855~1931年)氏の邸宅や、
祭の際に山車も出る古くからの道、
さらには実際に祭で使われる山車などを実際にご覧になり
「20世紀の車社会ではない、歴史ある道の形が残っていること」が
とても印象的とお話され、それを踏まえて
「イギリスのチェルシーでも昔の中世の姿が残るのは
全体の10%ほどなんですよ」と
欧州での古いまちなみについても語られました。

最後にまちづくり協議会の関係者の方への
励ましのメッセージとして
「横須賀地区には、熱意を持って祭を動かす若い人達がいます。
そういう街には未来があります。
こうしたエネルギーを今後のまちづくりに活かしていただきたいですね」
と笑顔で語られていました。

世界で活躍される隈さんご自身から、
手がけた建築についての説明が伺える機会は限られているので、
今回は本当に貴重なお話を伺うことができとても嬉しかったです。
誘ってくれたMさんに感謝です!

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私も公演終了後、会場の前に展示されていた
装飾が見事で思わず見入ってしまう立派な山車や…

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山車の車輪の跡が見える道路など、周辺を歩いてみました。
歴史あるお祭りが今でも続く街は素敵ですね。
ぜひ、お祭りが開催される時には足を運んでみたいと思いました。
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