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「関ヶ原2019春一番フォーラム」スペシャルトーク「村上新悟 関ヶ原を語る」 [芸術etcのはなし]

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先日、3/24(日)に関ヶ原ふれあいセンターで開催された
「関ヶ原2019春一番フォーラム」で静岡大学名誉教授で歴史秘話ヒストリアなどでも
解説としても活躍されている小和田哲男先生、
そして大河ドラマ「真田丸」での直江兼続役で注目された
俳優・村上新悟さんをお招きしてのトークショーが開催されるとのことで出かけてみました。

前半は、石田三成の視点から関ヶ原合戦を読み解くと題して、
歴史講演会「石田三成からみた関ヶ原合戦」という1時間半のトーク。

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さて、休憩をはさみ、続いては…大河ドラマ「真田丸」での
直江兼続役で注目された俳優・村上新悟さんがついに関ヶ原に降臨!
スペシャルトーク「村上新悟 関ヶ原を語る」ということで、
先に三成目線で関ヶ原のトークをされていた小和田先生に加え、
以前、開催された関ヶ原まつりで真田丸で
石田三成役の山本耕史さんが登場された際にも進行役としても大活躍された
小栗さくらさんが今回もご登場。
和やかな雰囲気でスタート…のはずだったんですが…
実はこの前にあった小和田先生のお話の中で
「小山評定は無かったのでは…」という説が飛び出し、
舞台袖でそれを聞いていた村上新悟さんは驚き、
席に着いた途端にこの話題を早速持ち出し
「僕、小山評定ふるさと大使なんですけど…身の振り方を考えましたよ」
と苦笑いしながら小和田先生に突っ込んでいらして会場からは笑いが生まれていました。

さて、村上新悟さん、関ヶ原にはいらしたことはあるのですか?
という小栗さんからの質問に
「以前に西日本豪雨があった時期に京都で撮影があったんですが、
雨の影響で撮影が流れたりしまして…で、『関ヶ原…行ける!』と思い…
来たんですよ。で、近くの(関ヶ原ふれあいセンターの西側にある)
歴史博物館でレンタルサイクル(ママチャリ)を借りてですね、
史跡を巡ったんですよ。
で、平日だったんですけど…ちょうど自分の前に、
同じようにレンタルサイクルで史跡を巡っていらっしゃる
歴女らしい方がいらして…結果的に僕がその方の後をついていくような形になり
ストーカー的な状態になってしまい前を走っていた歴女の方に
申し訳ない気持ちでいっぱいで…」と語り、会場は大爆笑。

さらに小栗さんより関ヶ原の戦いで登場する武士の中で
好きな人物は?という質問には
「大谷吉継ですね。軍師官兵衛で演じたこともありますが…
大谷吉継は皆から慕われる人物で、敵はいなかったでしょうね」

続いて話題は家康に…ここで「おんな城主 直虎」の時代考証を
担当されていた小和田先生より切ないお知らせが…
「直虎が放送されていた当時なんですが…
静岡の方にとっては家康はやはり偉大な武将のイメージが強いようでして…
静岡の居酒屋とかで(注:先生は静岡大学の名誉教授)
「家康はあんなにオドオドしていたのか?」と絡まれたりしたんですよね。
でも、若い頃は気弱だったんですよ」と苦笑い。
居酒屋での出来事は先生も大変困ったそうです。

さて、続いては…島津義弘の正面突破はなぜ?という小栗さんからの質問に
小和田先生よりこんな考察も…
「島津義弘は、家康の軍勢を抜ければ、
薩摩まで逃げ切れると信じて突破したんですよね。
恥を後世に残したくないという気持ちもあったんだと思います。
なぜなら、あそこで敗れてしまったら、
領地も半分に減らされていたと思います」とのこと。
あぁ、島津義弘…確か2018年4月11日に
歴史秘話ヒストリアで放送されていましたね。
私、たまたま見てたんですよ。関ヶ原と耳にして。

https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/338.html

たしか、西郷さんも尊敬していた武将ということでしたね。
でも出陣した300名程のうち生きて薩摩に帰ることはできた兵は
80名程となったことからもその正面突破からの帰郷が
いかに壮絶だったことがわかります。

小栗さんから今度は村上さんに
「今後、演じてみたい関ヶ原の戦いに登場する武将は?」
という質問に「島左近」と即答した村上さん。
理由はというと…
「島左近は、まだまだ分かってない部分が多い人物なんですよね。
なので演じ手により面白くなる人物なんじゃないかなと。
そして何より石田三成に尽力した武将ですから」とのこと。

すると小和田先生が
「今後ぜひ、石田三成が主人公の大河ドラマをつくてもらいたい」と熱望。
会場からは土地柄、拍手がわき上がっていました。

そして村上さんは思い出したように
「宇喜多秀家も演じてみたいですね。
というのは…僕、高校の修学旅行で八丈島を訪れまして…
宇喜多秀家は最後、八丈島に流刑となるんですね」
「高校の修学旅行で八丈島ですか?」
と小栗さんは驚きながらも興味津々なご様子でした。

さて、今回は岐阜の関ヶ原にいらした村上さんですが…
実は前日に岐阜の岩村城を訪れていたそう。
はい、ピンと来た方は歴史秘話ヒストリアご覧になった方ですよね。
そうなんです。村上さん、以前2017年5月19日に放送された
「戦場の花嫁 愛に生きた女城主」で
岩村城の女城主・おつやに戦場でプロポーズをするという
敵将・秋山虎繁役で登場されていたんですよね。

https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/313.html

村上さんのお話では…
「岩村城は、霧がよく出ることから、
霧ヶ城とも言われるそうなんですが…
僕がお邪魔した日は快晴で…(会場、大爆笑)
で、戦国武士の姿の方が『殿ーっ!!!』と駆け寄ってきてくれたんですが…
手に持っていた旗は『半分、青い』と書いてありました(会場、再び大爆笑)」とのこと。

そうでした。岩村城のある恵那市岩村町は、
朝ドラ「半分、青い」のロケ地でもありましたね。

そして歴史と向き合うことについて村上さんからはこんなお話も
「自分は理系だったので(注:村上さんは、栃木の小山工業高等専門学校卒)
歴史にあまり詳しくなくて(大河ドラマ・軍師官兵衛で)大谷吉継を演じる際に、
関連書などを読み、勉強しました。
そのことが、西軍への思いが強くなるきっかけになったかもしれません」とのこと。

小和田先生は「学生時代から戦国時代史や城が好きで、
関ヶ原には何度か足を運んでいました。笹尾山は昔は木が生い茂り、
登るのも大変だったんです。
それが2000年に関ヶ原400年ということで整備の話が出た際、
『史跡のエリアに手を加えるのは』と難色を示されたんですが私は
『昔は木は生えてなかった!』と反論してですね(会場、大爆笑)
整備されて…今のように一般の方も登ることができるようになったんですよ」とのこと。

そして、先生はここ最近の大河ドラマの影響にも触れて
「石田三成の見方が変化してきたのは大河ドラマのおかげですね。
黒田長政も西軍に働きかけたのがドラマで紹介されるようになり、
長政の評伝も変わりましたね」とにこやかに語られていました。

さてこの日、小和田先生は、柄に「愛」の文字が入った
ネクタイを身につけていらっしゃいました。
はい、村上さんが登場したからには…
あの方に触れない訳にはいかないでしょう。そう、直江兼続です。

村上さんが直江兼続を知ったのは、
「花の慶次 -雲のかなたに-」
(注:隆慶一郎が執筆した歴史小説「一夢庵風流記」を原作としている漫画)
だそうで…「憐れんだりはするが、過ちは許さない」という印象が強いとのこと。
「常山紀談」や「北越軍記」に残っている兼続の家臣(三宝寺庄蔵)が
下人を無礼討ちにしたところ、下人の遺族たちが兼続に訴えたため、
兼続は憐れみ、遺族に白銀20枚を支払うように命じるも、
遺族たちは「下人を返せ」と譲らないので、
「地獄に行って迎えに行け」と言って遺族3人の首をはね、
「この者どもを使いに出すから死人を返せ」と
閻魔大王に嘆願書を書いたという話を例にされていました。

「あ、『真田丸』では(脚本を書いた)三谷(幸喜)さんが
『切り捨てますか?』って台本に書いてあったので、そう読んだだけで…」
と笑いながら話す村上さんに会場からは笑いが…

するとここで史実的な補足として小和田先生から面白いエピソードが…
「直江兼続は学者肌ですよね。足利学校の出身者を集めていますし…
書物を集め、文庫も作っています。それに加えて上杉謙信より
「石高を減らされても、部下を切らない」という義の心も教えられている。
書物の話でいえば、関ヶ原の戦いの後は、直江兼続に徳川家康が
お坊さんを介して本の貸し借りをしているんですよ。
家康も勉強したいことがあって、あの本が読みたい。
あ、そういえば直江さんが本たくさん持ってたな…
って感じでお坊さんにお願いして本を借りようとしたみたいですよ」
とのこと。ほほぅ。直江状読んでムキィーってなってた家康さんが…
と思うと面白いですね。

さて小栗さんからは
「真田丸で印象に残っているシーンは?」との問いに村上さんは
「僕、あの頃とまた印象に残っているシーンが変わってきているんですけど…」
と前置きをしつつ
「上洛し、上杉景勝とともに豊臣家を訪ね、石田三成と同席するんですが…
一旦、上杉景勝が真田信繁を連れて席を立つんです。
その際に石田三成が『よろしいのか?』と言うと直江兼続が
『お屋形様は、ああいう方なのだ」とこたえるシーンがあるんです。
2人がこの一言で…何か切れ者同士で通じ合っているような気もして
印象的なシーンですかね。
あとは後半の大阪での戦のシーンで義の心を見せる真田の戦いを
景勝とともに見つめるシーンは長いものに巻かれる自身に
思いを馳せるところが印象に残っています」とのこと。
そして会場が爆笑に包まれたのが景勝が三成を止めるシーン
「『お屋形様は本気になられた』というのですが
『え?これまで本気じゃなかったのか?』って思ったりもした」とのこと。

当時の役作りについて村上さんは
「真田丸では、自身が登場しない部分でも、
直江兼続のヒントがあったりしましたね。
例えば『あやつは用心深い男だから、あのおかげで上杉家はここまで来た』
というセリフがあるのですが…そこにも直江兼続の人柄が表れていますよね」
とも語られていました。

そして直江兼続といえば…はい、「直江状」です。
ここで小和田先生の解説が…「直江状は景勝に代わり、
兼続が家康に公開質問状として出したものなんですね」とのこと。
そしてここで…なんと!直江状の一部を村上さんが生朗読してくださることに!

まさか時を経て、生朗読を聞けるなんて…
当時の自分、想像もつきませんでしたから!
いやもぅ…真田丸が放送中の頃から何度も言われていますけどね…
イケボでございましたよ。もぅ生で拝聴できて感動でした。(嬉!)

で、生朗読後に小栗さんから
「当時、直江状を読む際にどういう風にしようかというプランはあったのか?」
という質問がありまして…それに対して村上さんは
「直江状って書状としての写しはある訳で…
あれ、全部読んだことあるんですけど…
全部読むと13分ぐらいかかるんですよ(会場から笑いが…)
それに実際、直江状は家康の前で読んでいる訳じゃないですからね
(会場、大爆笑)だから『どうしよう?』というのはあったんですけど
そのまま読むのもアレなので…
まぁ、結果的にああいう形で少し煽るって形になったんですけど(笑)」とのこと。
なるほど…というエピソードでした。
そうこうしているうちに…早いものでお別れのお時間に(涙)
最後に村上さんが「時代劇の役者として、
次世代に歴史をつないでいきたいです。
関ヶ原にゆかりのある武将を演じていきたいです」
と語られて、大河ドラマの時代考証や
歴史秘話ヒストリアの解説を多く担当されている小和田先生に向かって
「先生、お願いします!」ってお願いされていた村上さん、とってもお茶目でした。

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時間を忘れるほど、トークに聞き入ってしまい…
気がつけば夕方でした。とても楽しいひとときでした。
この後…「終わっちゃったねぇ」と、
とぼとぼ相方と帰ろうとしたら…
外では自然発生的に村上さんとの写真撮影会が始まっていました。

「あわわわ…」なんという神対応な村上さん。
この日、とっても寒かったんですよ。でも…
「私たちも一緒に撮ってもらいました。すいません」

この後、自然と屋内へと移動して写真撮影会続行…
前日には岩村城にもお出かけくださった村上さん、
関ヶ原までお越しいただき、本当にありがとうございました。
貴重なお話、たくさん聞くことができてとても嬉しかったです。

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帰りは関ヶ原駅前にある観光案内所に寄り道して
小栗さんがお話されていた電動アシスト自転車と武将の家紋入りのコインロッカーを
確認ついでに(笑)おせんべいなどお買い上げして帰宅しました。
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