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「2022年の展覧会ベスト 」 [芸術etcのはなし]

本当はTwitterで完結にまとめられたらいいんですが…
最近、パワー不足で、短文にまとめるというのが結構、負担になってしまい、このような形で少し長々と書かせていただくことにしました。

早いもので、現在の職場に転職して2年が過ぎました。
どうですか?って聞かれたら…「どうもこうも…ねぇ」としか返信ができません。
ま、結局のところ…

「会社なんて入社してみないとわからないからね」

良くも悪くね。
ま、Twitterも満足に呟けず、祝日は普通に出勤。
たまに土曜も出勤で、それは平日に振替休みがもらえるからと「平日休みは空いているからラッキー!」と、美術館に行くという状況を睡眠不足の身体で、酷暑の猛暑日などにもやってましてね…

「そりゃ、メニエール病になって目眩頻出するわ」

貧血なんかと無縁の私にやってきた目眩がまさか、あのメニエール病だなんて。

あと、膀胱炎と、ドライアイにもなって、体重4kg減ったり…

でも、展覧会行くのはやめませんでした。
それが生きがいだったから。それが唯一の楽しみだったから。
結局のところ…
「今の仕事続けて、私は私でいられるのか?」という不安もある今日この頃なんですが…
ただ、やっておかないと気持ち悪いんで
2022年の #展覧会ベスト
年始早々、最後の休みを京都行きに使うという、なんともパワフルな動き方を年始めからしていた訳ですが…

「結局、40件以上に足を運んでいました」

で、まあ、さすがにその中からベスト5を選ぶのは難しくて…今回は、国外編と国内編で分けて見ました。


■国外美術ベスト5

フェルメール展.jpg
第1位
7/16〜9/25:大阪市立美術館
ドレスデン国立古典絵画館所蔵
フェルメールと17世紀オランダ絵画展

やはり数年の歳月をかけて修復し、登場した天使の姿は圧巻でして…「本当、天使のいる風景が違和感なく、しっくりきたのですよ」以前に東京と大阪で開催されたフェルメール展以来、またオランダ絵画にどっぷり浸ることができ幸せなひとときでした。


上野リチ.jpg
第2位
2021年11/16〜2022年1/16:京都国立近代美術館
上野リチ展

ウィーン工房好きな私としては、完全なストライクゾーンだった展覧会。年始早々、年始休みの最終日を京都行きに使った甲斐があったかと。上野リチ本人が手掛けたファブリックデザインなどももちろん魅力的でしたが、何より、建築にも興味ある私は上野リチが手掛けた空間デザインと建築家である夫がコラボしたスター食堂などの造形が最高でした。
個人的には、常設展で開催されていた、上野氏に関連した建築特集も良かったです。


ラリック.jpg
第3位
6/4〜8/28:岡崎市美術博物館
北澤美術館所蔵 ルネ・ラリック-アール・デコのガラス モダン・エレガンスの美

国内有数のラリックの所蔵を誇る北澤美術館の所蔵作品を存分に堪能できた展覧会。
久しぶりに「しばらくラリックは大丈夫です」というぐらい、ラリック作品に溺れるような感覚でした。それぐらい近年では久しぶりに充実した展覧会でした。この後、改修のため長期休館に入る岡崎市美術博物館の空間を堪能できたのも良い想い出。蛇足ですが、こちらにお邪魔した帰りに寄り道した以前からお邪魔したかった #旧本多忠次郎邸 もとても良いところでした。惜しむべきところは、その後、この旧本多忠次郎邸で後日開催されたラリックの作品が邸宅内に展示される企画展示にはお邪魔できなかったことですね。でもいいんです。ラリックの作品は十分堪能できたし、洋館建築好きとしては、企画展示が開催されていない状態での邸宅本来の姿をじっくり見学できたので。悔いはないです。


ボテロ展.jpg
第4位
7/16〜9/25:名古屋市美術館
ボテロ展 ふくよかな魔法

ボテロさんのドキュメンタリー映画を見て、彼のアイデンティティなども踏まえた上で鑑賞したせいか、あのふくよかな絵に込められた様々な信念のようなものに心が揺さぶられた展覧会でした。


ゴッホ展.jpg
第5位
2/23〜4/10:名古屋市美術館
ゴッホ展—響きあう魂 ヘレーネとフィンセント

若い頃のゴッホがデッサンで七転八倒している時代から、彼の足跡をたどるようにして鑑賞できた展覧会。パリの時代の作品は明るい色も画面を飾っていることから気が付くと、その年代の作品のグッズをあれこれ手にしたり…とはいえ、やはり糸杉を描く筆遣いが印象的な作品は展覧会のラストを飾るようにフロアの出口手前に神々しく展示されていたこともあり、やはり名品だなと心に刻まれた作品でした。

まぁ、仕方ないんですが、結局、県外の都市部の美術館の巡回展が上位になる傾向。
逆に言えば関西圏に近いので行けない距離でもないのが救いでもある訳ですけど。
コロナも第5類になりましたし…3年前と比べれば随分と遠出しやすい環境になってきました。
(といっても、まぁ、この3年間、大阪には年1〜2回、行ってましたけど)
予算と時間の都合がつけば、今年は何度か遠征も計画したいと思っています。


■国内美術ベスト5

いわさきちひろ展.jpg
●第1位
7/16〜8/28:三重県立美術館
開館40周年記念 いわさきちひろ展―中谷泰を師として

三重出身の中谷泰氏と絡めた、いわさきちひろさんの展覧会。
2人の交流によって生まれた作品も感慨深かったですし、何より、私自身、今回しっかりと、いわさきちひろさんの作品を年代を追って鑑賞することができたのでそれも嬉しかったです。


前田青邨.jpg
●第2位
9/30〜11/13:岐阜県美術館
開館40周年記念 前田青邨展

地元の美術館開催ということもあったし、とにかく前田青邨の展覧会としては近年まれにみる大規模な展覧会で、私自身、これまできちんと青邨の作品を鑑賞してこなかったので、彼自身の作品に向き合う姿勢など様々なことを知る事ができて良かったですね。個人的には大河ドラマ鎌倉殿の13人を視聴していたので、源頼朝が洞窟に隠れている姿を描いた作品を鑑賞できたのは良かったです。


馬場のぼる.jpg
●第3位
9/17〜11/6:刈谷市美術館
まるごと馬場のぼる展 描いた つくった 楽しんだ ニャゴ!

11匹のねこシリーズだけではない、漫画家としての彼の姿をしっかりと目に焼き付けることができたのはやはり良かったかなと。逆に言えば、その漫画家としての土台があったからこその、あの11匹のねこにつながるんだなぁと妙に納得もできました。晩年の頃に手掛けたスケッチはどれも馬場のぼる氏の人柄が垣間見える鋭くも優しいまなざしでとらえられた風景が見れて興味深かったです。


宇田.jpg
●第4位
4/23〜6/19:三重県立美術館
開館40周年記念 宇田荻邨展

展覧会のメインビジュアルとして使われていた藤の花に誘われるようにして気になって出かけた展覧会でしたが、オ恥ずかしながらこれまで宇田荻邨という日本画家を知らなかった私。今回、この機会に作品を鑑賞できて本当に良かったです。風景やモチーフと真摯に向き合って筆先にその形を宿すその作品の数々には圧倒されました。


田島.jpg
●第5位
4/23〜6/12:刈谷市美術館
田島征三 アートのぼうけん展

田島征三氏は私はどちらかというと絵本作家のイメージが強いのですが、今回の展覧会を通して私個人の感想としては「戦う男だな」と。既存のシステムに、環境破壊に、そして過去の自分に対して…だからあんなに画面が力強いのかな。心に迫ってくるような説得力がにじみ出てくるのかな…そんなことを感じながら、鑑賞後はこちらも彼の作品と向き合っていたせいか、心地よい疲労感すらあった展覧会でした。

2022年は、個人的に言えば、原画展など、東海地区は当たり年でした。
関東圏での開催を知り見たいと思っていた展覧会や例のウイルスのせいで一度中止となった展覧会も開催されましたし。
個人的には地元での前田青邨展は最高でした。

あと愛知の国際芸術祭を入れてないのは展覧会と規模が桁違いだから。
あれだけの作家と規模、良いに決まっていますよっていうのでこれは除外で。
ちなみに…最近、Twitterと同じアカウントで、Instagramの方でマイペースに更新しているんですが…そちらの方では国際芸術祭はエリア別、作家別にこまめにアップしているんで気になる方はそちらをのぞいてみてください。
https://www.instagram.com/yukiwo_yasuyo/

2023年も既に4分の1が終わってるんですが(苦笑)
今年も良い企画展があちこちで開催予定なので健康第一で、出来るだけ巡りたいと思っています。

●私が2022年に出掛けたところ一覧●
舞踊公演やミュージカル、一人芝居などにも出掛けたので、それについても備忘録代わりに書き留めておきます。

2021年11/16〜2022年1/16:京都国立近代美術館
上野リチ展
※翌日から仕事なのに年始最後の休みを日帰り京都アート鑑賞に使う私…らしいなと思います。

2021年10/9〜2022年1/10:京都文化博物館
フィンレイソン展

2021年12/4〜2022年1/30:名古屋市博物館
大雅と蕪村 文人画の大成者

2/5〜2/27:松坂屋美術館
和巧絶佳展

2/28〜3/20:岐阜・柳ヶ瀬商店街
さかざきちはる 本づくり展

2/17〜2/28:JR名古屋高島屋
からくり人形師 九代玉屋庄兵衛展〜伝統の技と挑戦〜

2/23〜4/10:名古屋市美術館
ゴッホ展—響きあう魂 ヘレーネとフィンセント

3/5〜4/3:松坂屋美術館
かこさとしの世界展

4/14〜4/25:JR名古屋高島屋
星野道夫 悠久の時を旅する

3/5〜5/8:竹中大工道具館
切出小刀 大工道具鍛冶が込めた想い
※神戸にミイラをみるために、ずっと行きたかったミュージアムに行きました。

2/5〜5/8:神戸市立博物館
大英博物館ミイラ展 古代エジプト6つの物語

4/23〜6/26:岐阜県美術館
塔本シスコ展 シスコ・パラダイス かかずにはいられない!

平等院鳳凰堂(平等院ミュージアム)
※なぜに宇治市に?といえば、相方がなんと鎌倉殿の13人のトークショーに当選したからです。
ついていくその足で、平等院鳳凰堂に行きました。

4/23〜6/19:三重県立美術館
開館40周年記念 宇田荻邨展

4/29〜7/3:愛知県美術館
開館30周年記念 ミロ展—日本を夢みて

坂東玉三郎 特別舞踊公演
※玉三郎さんの女方をじっくり堪能したくて、御園座で拝見しました。

6/4〜8/28:岡崎市美術博物館
北澤美術館所蔵 ルネ・ラリック-アール・デコのガラス モダン・エレガンスの美

旧本多忠次郎邸
※岡崎市美術博物館を訪れた帰りのバスを途中下車してお邪魔しました。洋館建築好きにはおすすめです。

4/23〜6/12:刈谷市美術館
田島征三 アートのぼうけん展

7/2〜8/21:名古屋市博物館
特別展 もしも猫展

7/9〜9/19:名古屋市科学館
宝石展

7/16〜9/25:名古屋市美術館
ボテロ展 ふくよかな魔法

7/16〜9/25:大阪市立美術館
ドレスデン国立古典絵画館所蔵
フェルメールと17世紀オランダ絵画展
※大阪日帰り遠征して鑑賞

6/14〜8/7:名都美術館
名都美術館開館35周年記念
前田青邨・平山郁夫・小山硬 -師から受け継ぐ-

7/16〜8/28:三重県立美術館
開館40周年記念 いわさきちひろ展―中谷泰を師として

4/22〜8/28:ヤマザキマザック美術館
新野洋 西澤伊智朗 自然を創る

8/10~8/29:松坂屋名古屋店
ちはやふる展

8/17〜8/30:JR名古屋高島屋
メゾン・エ・オブジェ・パリ展

6/7〜9/4:豊田市美術館
機能と装飾のポリフォニー
※これを鑑賞してからPerfumeのライブに行くという強行スケジュール

7/30〜10/10:常滑陶芸研究所
陶芸研究所が伝える堀口捨己と常滑焼

7/30〜10/10:とこなめ陶の森資料館
常滑焼の装飾タイル
※8/11〜10/10:杉江製陶所 95年前の見本室タイル再現展示

国際芸術祭「STILL ALIVE」
一宮地区(尾西エリアを除く)
愛知県美術館

ミス・サイゴン(愛知芸術文化劇場大ホール)
※コロナに阻まれて2年越しに叶った、市村正親さんのエンジニアを拝見してきました。

国際芸術祭「STILL ALIVE」
有松地区
一宮地区(尾西エリア)
常滑地区

INAXライブミュージアム

9/17〜11/6:刈谷市美術館
まるごと馬場のぼる展 描いた つくった 楽しんだ ニャゴ!

9/30〜11/13:岐阜県美術館
開館40周年記念 前田青邨展

10/1〜11/20:松坂屋美術館
吉村芳生展 -超絶技巧を超えて-

8/26〜2023年2/26:万博記念公園内 EXPO'70パビリオン
大阪万博と万博記念公園の歩み
※相方がコツコツやっているドラクエウォークのリアルイベントに参加するため同行。
太陽の塔も中は入りませんでしたが、みてきました。

イッセー尾形一人芝居「妄ソー劇場・すぺしゃる」有楽町朝日ホール
※実は約3年ぶりに東京にお邪魔しました。大千穐楽で、イッセーさんからサインもいただけました。感謝。

9/1〜2023年8/31:帝国ホテル
ライト館開業100周年記念企画「The Wright IMPERIAL; A Century and Beyond」
※イッセーさんの一人芝居を鑑賞後に移動して近くの帝国ホテルに。

12/1~12/25:帝国ホテル地下アーケード
スイーツアート展

11/1〜12/26:NHKプラスクロスSHIBUYA
NHK杯フィギュアスケート展
https://www.nhk.or.jp/plusx/event/360figure_maiagare/
※遅くまで開場している施設なので、お邪魔しました。

11/2〜12/26:NHKプラスクロスSHIBUYA
NHK朝ドラ「舞いあがれ」展
https://www.nhk.or.jp/plusx/event/360figure_maiagare/

11/2〜2023年1/29:東京国立博物館 表慶館
150年後の国宝展
※東京で一泊した翌日にお邪魔しました。

11/15〜12/25:東京国立博物館 平成館
高円宮殿下二十年式年祭記念 根付 高円宮コレクション

12/10〜1/15:松坂屋美術館
ヨシタケシンスケ展かもしれない

12/23〜2023/1/8:JR名古屋高島屋
ジミー大西作品展

2023年は穏やかな1年にしたいですが…さて、どうなることやら。
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「今夜も生でさだまさし うかい!ツーカイ!美濃がせナイト の観覧に当選した話」 [テレビのはなし]

5月下旬のお話。
ほぼ毎月、週末の深夜にNHK総合で放送されている「今夜も生でさだまさし」
「次回の放送は…岐阜からです!」
思わず二度見。
「岐阜ということは…岐阜市内かな…今のところ予定ないから行けるかもしれない」
実はこの番組。全国各地から生放送されるのですが、観覧応募して当選すると、この生放送される会場で放送の様子を見学できるのです。

生放送が開催される場所等、詳細の情報解禁を待っていたところ…長良川温泉ホテルパーク。
そして観覧応募締切は6月上旬。
ということで…サイトより申し込みをしようとすると、申込者の他に1名、同伴者も申込が可能とのこと。

さて、会場のホテルパーク。
放送は深夜なので、仮に当選するとなれば、移動は車。私ひとりで参加となれば…自動的にタクシー移動です。
まぁ、自宅から車で30分程の距離なので、大した距離ではありませんが…

「だいたい観覧される方ってご夫婦で参加されているよね?」

我が相方…そういえば、ダウンタウンの松本さんのファンでして…松本さん、さだまさしさんのことリスペクトしているんですよね。もしかしたら…もしかするかもね。

「あのね、来月の生さだ、岐阜から放送らしくて今、観覧希望者募集しているから、応募してみようと思うんだけど…申込者に1人、同伴者も併せて応募できるんだけど…あなた行く?」

すると相方

『さださん、生で見ること出来るんだよね?金曜の夜なら翌日、仕事休みだし…じゃあ行こうかな?』

いや、まだ当選はしてないが(苦笑)

聞いてみるもんだねぇ。これで移動の心配はなくなった訳で…応募してみたのです。
当選者には6月中旬頃にメールかお電話でご連絡しますとのことで…当たったらいいなーぐらいの気持ちでいた私。

それからしばらくしたある日のこと。
現在の仕事。どうしても夕方は仕事が蜜になるため、手元に携帯電話を置いていても気が付かないことが多いのですが、そんな時に限って自分の携帯電話に見慣れない電話番号の不在着信履歴が…誰だろう?折り返すもタイミングが悪かったのか先方が電話に出られないので「間違い電話かな?」と思ってからの翌日。

再び同じ電話番号の着信が…ちょうどこの日は平日のお休みで自宅にいたので電話に出たところ…

『生さだスタッフのXXです。今月の岐阜からの放送の観覧に当選されましたのでご連絡差し上げました』

「あ、あ、あ、ありがとうございます!」

おぉぉぉーっ!本当に当選してしまったよー!!!

という訳でお電話で簡単に当日の集合時間、車で来場される際の駐車場の場所についてなどを手短にご説明していただき、詳細の情報については改めて後日、メールで送付しますとのことでした。

さぁ、ここからが大変。
まず私と同じく、生さだファンの4つ下の妹に連絡。そして何より同伴者となる相方。間もなく帰宅だというのにわざわざメールで連絡。そして帰宅後、開口一番に

『すごいなぁ…生でさださん見ることできるんだ』

そしてさらにこの後、大変なことに。
それは放送予定の24日(金)の1週間前。
「忘れないうちに生さだの予約録画をしておこう」とDVDレコーダーで録画予約をしようとデータで1週間の番組表を見ていたところ…
「野口五郎さんと岩崎宏美さんがスペシャルゲストで登場」って書いてあるんですけど…

さださんだけでなく、スターが追加で2名ですよ!
もうこれ…今年の運を全部使ってはいないだろうか?
急に不安になる私と相方。
そんなこんなで…であっという間に放送当日。
金曜で平日ですから、当然、私も相方も仕事。
番組の放送開始は日付の変わった25日(土)0時25分から。
私達は電話連絡より1週間後にメールでご連絡いただいた資料の指示通り、24日(金)23時50分頃に会場のホテルパークの入口に集合するため、仕事から帰宅後、手早く夕食を済ませ、この日も真夏日で暑い1日だったため、シャワーを浴びて着替えて…私はドキュメント72時間を録画して(笑)相方の運転する車で出発。

そして少し早めに集合場所に到着。
指定された岐阜公演の第3駐車場に車を停めて、徒歩3分の距離にある会場であるホテルパークを目指して長良川沿いの道を歩く私と相方。
それにしてもこんな深夜に駐車場から長良川沿いを歩く人といえば…「あれ、絶対私たちと一緒で観覧の人だよね?』と話しながら無事に会場のホテルパークに到着。
スタッフの方に、館内のロビーに案内されて…

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「受付の方は後ほど行いますので、それまでにお手洗いに行かれたい方はどうぞそちら側のお手洗いをお使いください」
とスタッフさんより指示が。
一応、私達は観覧者なので、お手洗いはもちろん、体調がすぐれない場合は自由に退席が可能。
とはいえ、せっかくですから、なるべく席は立ちたくない。
先にお手洗い済ませてこようと、1階のロビー横にあるお手洗いに向かおうとしたところ…偶然にも向こうから一人の男性が歩いてくるではありませんか。
その男性の存在に気がついてしまった私。
思わず「あっ!住吉さん!」と声をあげてしまい…瞬間「しまった!」と思ったのですが…そんな私に笑顔で『今日、観覧の方ですか?』とお声をかけてくださった住吉さん。「あ、はい。今日は会場にお邪魔して拝見させていただきます」とお返事したら
『楽しんでくださいねー』とにっこり顔でその場を後にされた住吉さん。
あぁ、住吉さんはいつもテレビで拝見する通りの穏やかな紳士でした。なんとも嬉しい偶然でございました。

さて、肝心の受付開始ですが…私自身、こうしたテレビ番組の収録にお邪魔するは今回が生まれて初めて。
事前案内で集合時間や場所などが記載されていた際に、席順は先着順ではないと言われていたものの結局は受付順で…受付近くに待機されていた、さださんファンの方々が受付開始とともに早々に受付を済ませ、前方の席を確保。
とはいえ我が相方、あまり目立つのが得意ではないタイプなので、中央より後方の席に座ることに。
その結果どうなったかと言いますと…オープニングでもエンディングでも後方からの映像では、ちょうど見切れてしまい後ろ姿すら映らず(笑)
とはいえ、ここからが重要。実は距離がある分、さださん達の前に陣取るカメラマンさんや照明などの機材に視界を遮られることなく、お三人の姿はもちろん、今回はゲストに野口五郎さんと岩崎宏美さんがご登場ということでとにかくフロアの前方の左右に等間隔にお三人とゲストのお二人が着席されていてもバッチリ拝見できたのです。これは逆に良かったかもと今になっては思っています。

そうそう、放送前のスタッフさんの様子も興味深かったので、ぜひ書き留めておこうかと。
受付を済ませた私たちは会場の25分ほど前に着席して、生さだのスタッフさんより前説というこの日の放送の流れを事前説明する時間があり、とはいえ「まだ生放送まで20分近くもありますねぇ」と、その時間を利用して音響効果の住吉昇さんが観覧者をリラックスするためもあってか、おひとりで10分ほど色々なお話しをしてくれました。
まずマスクは必ず着用して観覧してくださいとのお願いから。
このようなご時世なので、どうしても観覧者側がカメラに映った場合にマスク無しの状況が放送されるのは避けたいとの理由でした。
そして今回の観覧人数についてのお話も。
「コロナの世の中になってからの生さだの観覧者としては今回の岐阜が一番多いです」とのこと。
確かにそれは私も思いました。

これまでの放送を思い起こしてみると…コロナウイルスが流行した頃は、観覧者を入れずに放送されたり、その後も感染者数が落ち着いて観覧者を入れての放送でも10人も満たない人数だったのを私も何度かテレビの画面越しに見ていました。
なので、私も最初、会場入りした際には「今回結構、椅子が並んでいる」と感じました。
たぶんですが…今回、生放送された会場は通常は宴会や結婚披露宴などに使われていると思われるフロア。十分な広さがあることでソーシャルディスタンスが保てることから約20名ぐらいの方が観覧されていたと思われます。

それにしても…会場に入って思ったのが…「暑い?」
たぶん、照明のスイッチが入ることによる熱の作用かなとも思ってみたり。
前方にお三人さんやゲストの方を照らすスタンド式の照明が並んでいたのですが…

「やはり屋内からの放送でしょ?照明がとても明るいのよね」

えぇ、思った以上に明るいんです。ピカーって感じで。
そう、その明るさを維持するためには…光から発生する熱もなかなかのもの。

お話していた住吉さんも、扇であおいでいる人を目にしたりして、やはり気になったようで後方に控えていたスタッフさんに向かって
「会場の中、もう少しエアコン強めに設定してもらうことできますかね?」とお願いに。
おかげでこの後、しばらくして室温も下がり快適となりました。

さて、音響効果担当の住吉さん。こんな興味深いお話も…
テレビ用のワイヤレスのマイクは携帯電話の着信などの動作でノイズが入るお話しをしてくださいました。なぜかdoc●moの携帯電話とは相性がよくないそうで(苦笑)そしてなぜかa●は大丈夫なのだとか。とはいえ、あまり近くだと携帯電話会社関係なく、やはり電波を拾ってしまいノイズが発生してしまうとのこと。なので私たちも生放送前には携帯電話の電源を切って観覧するようお願いされました。
観覧する皆さんも初めての現場で緊張しているのが目に見えたのか、住吉さんもリラックスできそうな雑談にシフトチェンジ。
住吉さん、お城めぐりがお好きだそうで…この日は隣県の愛知県犬山市にある国宝の犬山城を訪れてから、こちら岐阜にいらしたようです。
(岐阜県岐阜市と愛知県犬山市と聞くと、距離があるように感じるかもしれませんが、実は岐阜から地元の私鉄である名古屋鉄道で岐阜から犬山まで結ぶ路線があり、意外とアクセスが良いのです)

暑かったこの日は汗だくで犬山城を訪れたという住吉さん。実は、前々回の岐阜からの放送の際には、岐阜城にも登られたそう。
行きはロープウェイ、帰りは徒歩で金華山を下山されたそうですが…実は金華山の徒歩での移動は、ルートによっては散歩とは言い難い割と軽い登山的な道のり。
※参考:岐阜市公式ホームページ掲載「金華山登山コース」
https://www.city.gifu.lg.jp/kankoubunka/kankou/1013265/index.html

どうやら住吉さん馬の背のルートで移動されたそうで…
「軽い気持ちで歩こうと思っちゃダメですね」と苦笑い。そこで気になった住吉さん、観覧にっ来ていらした方々に「この中で徒歩で登られた方、いますか?」と質問されると、来場されていた全体の3分の1以上の方が手を挙げられてたのを見て「やはり地元の方は結構、登られているんですね。すごいなぁ」と驚かれていました。

そして続いては今後の生放送までの流れも…
「皆さん、毎回ご覧になっているのでご存じかもしれませんが…番組放送のスタートはこの会場ではなく、こちらの建物の入口から、さださんと井上さんのトークから始まり、タイトルコールが入って、あの入口からさださんと井上さんがこちらの会場に入ってこられます。その際には大きな拍手で迎えてくださいね。あ、ちなみにさださんは本番5分前にこちらの会場に入られて、小針画伯が描かれたホワイトボードにご自身のお名前を書かれます。その時に、さださんがご挨拶されるのでよろしくお願いしますね」

そう、目の前にあったホワイトボード、気になっていたのです。
「今夜も生で…でタイトルの記入が止まっていたから」
実はあのホワイトボードに書かれたタイトルの「さだまさし」の部分。あの部分は、さださんご本人が本番前に記入されるのがお約束だそう。

そしてあっという間に本番10分ほど前に。

放送作家の井上さんがご登場し、ご挨拶。
鶴瓶の家族に乾杯の構成作家もされている井上さん…家族に乾杯のファンでもある私は「おぉぉ、井上さんだわー」とテンション上がりました。

さらに毎回、さださんの背景にあるホワイトボードに各地の素敵な風景を描いてくださる小針画伯こと、小針さんが住吉さんからのご紹介でご登場。
IMG_1949mini.jpg
このホワイトボードですね。

画伯からは、自己紹介と今回のホワイトボードの説明が…
「毎回ホワイトボードに絵を描かせてもらっています、小針です。僕はNHK名古屋放送局に7年間程、在籍していたこともあって、その当時に岐阜でもよくお仕事でお邪魔したことから、岐阜は大変お世話になった土地でもあります。なので今回は通常より2割増しのパワーで…定番の風景かもしれませんが…岐阜城と鵜飼の様子を描かせていただきました!」と。ハキハキとご挨拶されるので、観覧の皆さんも大きな拍手で画伯のご挨拶に応えていらっしゃいました。

そして会場の前方では、音声担当さんと思われる方がマイクを持ち、別にある画面に映し出されるご自身の姿を見ながら音声と映像のテストをされていました。
この様子を見て、住吉さんからもご説明がありましたが、中継の際には、本番前に全国各地に電波をのせて放送するにあたり、ここから中継地点にちゃんと音声と映像がズレることなく届いているかどうかのテストをされるのだそう。
確かにホテルパークの前には中継車が止まっていて、放送終了後に私も改めて中継車があることに気がついて遠目から見たのですが、そこからケーブルがたくさん出ていて、車内ではスタッフさんがお忙しそうに動いていらしたので…あそこから今日の放送が各地に届けられたんだなとしみじみ。

さて本番が近づくと、住吉さんも、オープニングの曲や、地元局のPRコーナー後の流すジングルの音が出るかどうかを機材を調整してチェックされて…そして本番5分前に、メインキャスターのさだまさしさんご登場!

「どうも、さだまさしです。今日は後ほど、野口五郎さん、岩崎宏美さんもゲストでいらっしゃるのでどうぞ楽しんでくださいね」と、ご挨拶された後、小針画伯の力作のホワイトボードに「さだまさし」とご自身のお名前を書かれ…井上さんとともに、会場のホテルパークの入口へと移動し、スタンバイ。

そしてタイムキーパーの方が「本番5秒前…4、3、2…」とカウントす声を聴いて「おぉぉぉ」と大興奮。無事に本番と相成りました。

IMG_1953mini.jpg

そういえば…放送開始11分頃に長良川下流にある地域の家の軒下に舟を吊り下げているお話が出てきたのですが、この時にさださんが「軒下に舟、吊り下げているんですか?」との問いかけに大きくうなずいてしまった私。

あれは川の氾濫から守るために堤に囲まれた岐阜県海津市の地域(堤に囲まれた輪の形をした堤防内のことを、こちらでは輪中と呼んでいます)のお話だと私、小学生の頃の出来事を思い出して大きく頷いていました。
と言いますのも…私の実家は愛知県一宮市なのですが、138タワーのある木曽川にほど近い地域に住んでいたため、小学校の高学年の頃に秋の遠足で千本松原と治水神社を訪れているんです。
その際に、輪中の地域にお住まいの一般のご家庭を見学させてもらい、万が一の時に備えているお話を伺いながら、蔵の天井から船を吊り下げている様子を見せていただいたんですよね。
自分の家とは全く違うその備えに子どもながらに鮮明に記憶に残っていたこともあって、会場でリアルタイムで、さださんの読むお葉書のお話に耳を傾け思わず大きくうなずいてしまったのでした。

ちなみに治水神社。歴史好きの方なら、ピンと来るかたもいらっしゃるでしょうか?
http://www.chisuijinja.jp/history.html
治水神社は、江戸時代に幕府の命令で施行われた宝暦治水の際に尽力した薩摩藩士の功績を讃え、犠牲になった藩士達を慰霊するため建てられた神社です。
この治水に関わった人たちの中で犠牲になった人もいたと聞いて、小学生当時は昔の人が大変な思いをして木曽三川を治めたんだとぼんやりした認識でしたが、大人になってから相方の影響で大河ドラマを見るようになって江戸幕府と薩摩藩の関係性を知った私。「それがこれにつながるのね」と点と点が一気に線でつながった訳です。
ちなみに以前、海津市あたりをドライブしていた時に相方に私が小学校の遠足で千本松原と治水神社に出かけた話しをしたら、相方もやはり岐阜市で育ち、長良川が近いこともあり「木曽三川の治水は小学生の頃、自分もやったよ。水の都、オランダから来たヨハネス・デレーゲのおかげだよ」と。やはり生活の身近に川があると小さい頃からその土地のことを学ぶんですねぇ。
まさか小学生時代に見学して学んだことが…アラフォーになってこんなところでつながるなんてね(笑)自分も驚きました。

なんと、NHKforSchoolのサイトに、ヨハネス・デレーゲの紹介動画があったので参考においておきます。
https://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005310880_00000

さて、本番中、画面では見えなかったところも多々あったのでそのお話も。

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今回の岐阜のPRでは、瀬戸光アナをはじめ、岐阜放送局のメンバーが、着ぐる姿で登場ということもあり、画面に映らないスタンバイ中から、私たち観覧者達やゲストの岩崎宏美さんや野口五郎さんお2人のゲストの視界に意識せずとも入ってしまうため、思わず笑い出す状況に。
(放送開始50分頃、さださん、井上さん、住吉さんが思わず左側に目をやり吹き出してしまっているのがまさにその時です)その様子がまた笑ってはいけないんですが笑いがこらえきれず…現場は本当に面白かったですね。
特にゲストの岩崎宏美さんがツボに入ってしまって大爆笑だったので、思わずさださんが「落ち着いた?」と声をかけるほど。

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マイクのかぶりものをしていた瀬戸光アナは、私も平日休みだと視聴する「まるっとぎふ」のメインアナでイケメンなのに…マイクかぶって登場するし。
他にもオリジナルドラマにご出演された六平直政さんが着用されていたかぶりものを着用して担当ディレクターも登場。
さらに岐阜の名物、五平餅も登場するなど…この3人勢揃いで笑うなというのが無理な話です(苦笑)

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さらに今回はスペシャルなゲストがお2人もいらっしゃって、お葉書紹介を受けてのさださんのトークは少なめでしたが、野口五郎さん、岩崎宏美さん、キャスターのさださんとの愉快な掛け合いに笑いっぱなしで…これもご縁というか…運というか…今回はとても貴重な場面に遭遇できました。

そして放送終了後には、すぐに次回分の横浜からの放送予告のVTRを撮影するというので、そちらも見学させてもらい(横浜といえば…と、さださんと井上さん、住吉さんとの掛け合いが、のほほん、まったりな感じでイイ感じでした)その後は行きと同様、相方の車の運転でまっすく家へと帰り午前3時に眠りました。

そういえば…前説の際に、音響効果担当の住吉さんからはこんなお話がありました。

「生さだの観覧に訪れると自宅のテレビで見る時にも時間が過ぎるのが早く感じるみたいですよ」と。

これは私も実際に会場にお邪魔して強く感じましたね。本当、あっという間でした。
だいたい放送される地方の放送局からのPRコーナーが終わると番組も後半という具合なんですが…テレビで見ているのと違い今回は「え?もうそんな時間?」という感じで…まぁ先にも書いたように、今回はスペシャルゲストで野口五郎さんと岩崎宏美さんがいらっしゃってましたから、さださんを筆頭に軽妙なトークが繰り広げされて笑っているうちにあっという間にPRコーナーに突入して後半に…という感覚でした。

それにしてもお年を重ねられても、さださんをはじめ、岩崎宏美さんも、野口五郎さんもお声が素敵で…まさかこの方々の生歌を聴くことができるとは…本当に偶然とはいえ良いサプライズでした。
ちなみに…私が小学生の頃、両親がサスペンスドラマが好きで、一緒に火曜サスペンスなども見ていたのですが、エンディング曲が岩崎宏美さんの「聖母たちのララバイ」で…毎週聴いていた私。
なので…会場では「おぉぉ…宏美さんの生歌だわ…」とひとり感慨深く歌声に耳を傾けるアラフォーの私でした。

さて、その後…サプライズが…
実は放送開始11分頃に長良川下流にある地域(輪中に囲まれた海津市)の家の軒下に舟を吊り下げているお話が出てきたのですが、この時にさださんが「軒下に舟、吊り下げているんですか?」との問いかけに大きくうなずく観覧者の皆様の様子が映りました。
そして14分頃に、さださんと井上さんがライブに来ていた小学生の子のお話しをしていた際に「別に年寄りに来てほしくないって訳じゃないんで」と、さださんが話したところで、笑っている観覧者も一瞬だけ映り…その後も1度、観覧者側の様子が映るなどしていました。

そうなんです。翌日ゆっくり確認したら…なんと、自分。3回も映っていました。
実は放送前に高校の同級生の親友や関東や関西に住んでいる友人達には観覧当選して生放送の現場に行く話をSNS等で連絡していたのですが…友人達も週末に見直してくれて「映ってた!」と大盛り上がりに。
はい。とても良い思い出となりました。今回の放送は永久保存版です。感謝。

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ちなみに…観覧記念にこちらをいただきました。

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今夜も生でさだますく(笑)これは使えないな…こちらも永久保存版だわ。

なんといっても今回、会場での観覧に当選したおかげで、テレビの画面に映るのはいつものお三人さんがメインですが、その倍以上の人数のスタッフさんの働きで、ひとつの番組が成り立っているんだなぁと、大人の社会見学のような貴重な体験になりました。
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最後に残った1本の親知らずを抜きました。 [今日のヒトリゴト]

実は昨年、2020年の11月のある日のお話。
普段、歯の治療については、住まいの近隣の歯科医院でお世話になっているのですが…右上奥にあった最後に残った1本の親知らずが奥歯の歯根から奥歯を頭突きするように生えていたことから歯根が上顎洞にも相当接近しており開通も危ぶまれるため、2019年の春同様、大学の付属病院の口腔外科にお世話になって抜歯となりました。

これまでに20代に左下奥、30代に右下奥、そして昨年の春、40代で左上奥と段階的に抜歯した私。

今回の右上も前回抜歯した左上同様、すでに頭が見えていたので当時の担当医からは「左上の抜歯したところが落ち着いたら、右上もということにしましょう」となった訳です。
というのも…抜歯後は、どうしても反対の奥歯メインで咀嚼をしなくてはいけなくなるため、食事に問題ない段階までに回復しなくては次の抜歯も出来ないという訳。
実は前回、抜歯した後…奥歯の裏側の本来なら歯肉に覆われている部分が一部露わになり知覚過敏が酷く、落ち着くまでに時間ががかり、残り1本の親知らずの抜歯をしようとなった時には、2020年の春に。

ところが…折しもコロナウイルスの感染拡大により、不要不急の外来についてはご遠慮くださいということと、やはり出血が伴うことですので、自分としても処置するタイミングを慎重に見極めていました。
とはいえ…問題の親知らずは、既に頭が見えており、歯茎のくぼみが大きくなり食べ物が滞留しやすく口腔ケアも難しくなり…奥歯が虫歯になるリスクも増えるとのことで地元の歯科医院の先生からも「早く抜歯した方が良い」と助言され『年末年始は美味しいもの食べたい』と腹をくくり、いよいよ抜歯となった訳です。

2019年に抜歯した時にも書いた話ですが…岐阜在住なのに名古屋にした理由。
岐阜は車がないと生活できないような所なので私みたいに普段、公共交通機関で県外通勤な人は平日、バスに乗って市内の端にある大学の付属病院に通うなんて時間読めないし面倒なんですよね。

「岐阜の官公庁なんかが良い例で…たいてい車ありきでないと移動が難しい」
他県はもちろんのこと、地元民の利便性を考えているとは到底思えないあの立地。
「これから高齢者ドライバーが免許を返納したりするじゃないですか…困ると思うんだよ」
あ、話それた(そして結構なディスりよう…苦笑)

そう考えると、名古屋に通勤している身としては…地下鉄で職場から20分で移動できる名古屋の病院の方が楽な訳で。
抜歯などは大抵平日にしか実施されないため移動距離&その後のケアを考えると職場に近い地下鉄の沿線上にある名古屋にある大学の付属病院の方が都合が良いからです。

ちなみに前回、抜歯の担当してくださった先生は、退職されていたため、紹介状を持参しての再診となった大学の付属病院では、ほぼ初診と同等の扱いとなり、担当医を決めるところからスタート。とはいえ、朗らかな男性の先生が担当してくれることとなり、レントゲン撮影をした私の奥歯を見ながらの処置の説明も丁寧で分かりやすく、安心してお任せすることができました。そして抜歯の日程を決め、その日の診察は終了。

抜歯当日の頃には、仕事もだいぶ落ち着いてきたので、有給休暇を取り、名古屋高島屋で開催中の東北の物産展で限定ラーメンを食べ、気になっていた松坂屋美術館で開催中のよみがえる正倉院宝物展に出掛けてと、有意義に時間を過ごした後に病院に。
担当の先生が自分の抜歯の前に別の手術を担当されていたため、私の診察&抜歯も30分遅れに…
「まぁ、Nintendo Switch持参でどうぶつの森やってたんで問題ないんですが…」
さすがに親知らずの抜歯4度目となるとここまで余裕があるんですねぇ。

さて、30分遅れでいよいよ抜歯となりました。
『親知らずがそのままスムーズに抜歯できたら、歯をお持ち帰りしたいんですが…』
という唐突な申し出にも
「いいですよ!後で洗浄してお渡ししますね。とはいえ、奥歯にかぶせものがあるので、それが脱落しないように注意して抜歯しないとですね」と先生、相変わらず朗らかながらも、慎重に準備を進めてくださり…そして麻酔をかけた後…あっという間に親知らずは抜けました。

たぶん、これまでの親知らずの抜歯史上、最速の抜歯。
ちなみに抜歯した歯も綺麗な状態でして…無事にお持ち帰りしました。

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そのまま撮影するのはアレなので…デッサンで。立派な歯でした。あなた、よくこの年まで奥歯に潜んでいたねぇ。(しみじみ)

それにしても…親知らずの最初の抜歯が下あご&歯を分割して抜歯するという工程だったため、当時痛みが尋常ではなかったんですが(食事もあまり満足にとれずにいたことはよく覚えている)それと比べ、上あごの抜歯のスムーズなこと&痛みの少ないことには驚きですね。
ひとまず無事に私の口内からは親知らずは全て消滅いたしました。

それからしばらくして…コロナウイルスの感染者が激増して、再び緊急事態宣言が発令されることに…
ある意味、タイミングよく抜歯できたなぁ。
なんとも綱渡りな治療となりましたけど…結果オーライでしょう。

とはいえ、口腔ケアは普段から大切なこと。
抜歯後は前回同様、奥深い穴となっているため、ブラッシングに気をつけて、残りの歯も含めたケアにつとめたいと思います。
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「岡山城」 [建築etcのはなし]

岡山城外観.jpg

岡山来たら…ここでしょう?
岡山城
正面には和傘がディスプレイされ、快晴の青空とあいまって、爽やかな風景。
しっかりと、カメラにおさめてきました。

金鯱.jpg

岡山城からの眺め…金のシャチホコです。
勝手に親近感を抱く元愛知県民です。

水の景色.jpg

そして、岡山城からの眺め
長良川近郊に住んでいる身としては…こうした川のある風景には、やはり親近感がわきます。

そして、レンタルボートの中に見慣れないボートが…

お堀のボート.jpg

「はっ!ここにも桃が!」

岡山=桃です。

金鯱と和傘.jpg

お、さきほどの和傘がこんなに小さく見える…

籠.jpg

岡山城には、大名駕籠がありました。
もちろん、これは撮影スポット用のもの。
相方は初めて見たみたいで、早速、座ってご満悦な姿を私が撮影。
私ですか?いや…まぁ…以前にね…似たような場所で撮ってもらったなぁと。
「そう言えば、以前に江戸東京博物館に出掛けた時に写真撮ったなぁ…」

東京に行く時は、だいたい一人で、ふらっと行くことが多いので、この時はたまたま居合わせた来館者の方にカメラのシャッター押してもらったような…

どうしても…こういう駕籠見るとさ…「登城する井伊直弼の大名行列が桜田門外で襲撃された場面が思い浮かぶ…」
時代劇好き過ぎて…浮かぶ情景が具体的過ぎる…

トリックアート.jpg

隣には、ダイナミックなお写真が撮れそうな、トリックアート的な壁面もありました。
気分は忍びの者です。

あ、そうそう。
千鳥は岡山県出身でしたね。

千鳥のポスタ.jpg

岡山城内で見つけました。良いポスターだ。

そして、岡山城の姿を眺めながら備前のインターチェンジまでは下道を走り、岡山市を後にして高速に入り、ひたすら岐阜にある自宅を目指すことに。


途中、兵庫県たつの市にある 龍頭西サービスエリア に立ち寄り、かごの屋食堂 というお店で夕食にしたのですが…
何気なく揖保乃糸のにゅうめんと釜飯がセットになった定食を発見。

「鯛釜飯はもちろん、揖保乃糸 の煮麺が美味しそう…」

という訳で、注文したところ…

鯛飯とにゅうめん.jpg


にゅうめん.jpg

出汁と喉ごし良い揖保乃糸 が…「疲れた身体に染みわたるわ…」

鯛飯.jpg

釜飯も鯛の身が鎮座しており、大満足。
どちらも、とても美味しくいただけました。

さらに…おみやげ売り場を、ふらっと歩いていたら…

ご当地アイス.jpg

ご当地ソフトクリーム ?
関西のお味を中心に集めているのかしら?

まぁ、夕食食べた直後のため、二人で半分ずつ。

アイス.jpg

ナッツ好きな夫婦、アーモンドバターソフトクリームをチョイス。

どの辺りがご当地なのかは、さておき…

「普通に美味しい…」

ただし、この日も熱帯夜で、買った側から、溶け出すのには参りました。

さて、ここからが気が抜けません。満腹になった2人、睡魔との戦いです。残りあと4時間ほど。
安全に走るために…私のiPhoneでYouTubeを立ち上げ…懐かしのアニメソングをループで流し…車内はカラオケ状態…なぜか?

「相方を眠らせたら2人の命が危ない…」

なので…歌いながら眠気を飛ばしたのです。
今となっては笑い話ですが…妻、必死です(笑)

ということで…無事に帰宅。
今回は、なんといっても相方の頑張りで無事に岡山を訪れることができました。
運転、お疲れ様でした。

とはいえ…
「岐阜ー岡山間の車での日帰り旅行は無謀ですのでオススメはいたしません!」
当たり前です(苦笑)

一日も早く、コロナウイルスが収束して、次回はゆっくり宿泊をして岡山を再訪したいです。

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「岡山の名物、デミグラスソースかつ丼」 [食べ物のはなし]

滞在時間を極力、短く…と思ってはいたものの…
せっかく岡山まで来たので、ぜひ地元名物を食べてみたい。

デミグラスソースかつ丼が有名な岡山。
ということで…かつ亭法界院店でデミかつ丼をいただきました。

デミかつ.jpg

いや、もぅ…間違いない味ですよね。
朝食軽めで高速走ってきたので、ぺろりでした。

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「山陽青空市桃の里店」 [食べ物のはなし]

実は岡山県立美術館に向かう前に赤磐市に直行した私たち。

山陽青空市.jpg

「山陽青空市桃の里店」
山陽自動車道山陽ICから約10分。
午後4時には閉店してしまうので、先にこちらにお邪魔したという訳です。

さて、何故に赤磐市に真っ直ぐ到着したのか?
これには理由がありまして…実は昨年、ダンナさんが一人、公共交通機関を乗り継いで、赤磐市で行われた「第3回あかいわ映画祭り」に出掛けたのです。
その時に、来場者に紹介されたのが、ここ赤磐市で穫れたという「桃」
当時、会場では地元で穫れた桃をリーズナブルなお値段で1個単位で販売され、購入者にはその場でいただけるというサービスも。
もちろん、ダンナさんは、その場で皮をむいていただいた桃にかぶりつき…「旨い!」
その美味しさに感動したという訳です。
そんな昨年の出来事を踏まえての…今回、赤磐市内の産直市場に直行ということなんですね。

お邪魔したのは、11時半過ぎ。
今が旬の桃はもちろんのこと、葡萄も所狭しと並んでいます。
桃も葡萄も大好物な夫婦

「これは夢ですか?」
夢ではないです。朝7時前に岐阜を出発し、5時間近く、高速を走らせた結果の現実です。

とはいえ、この後、岡山城と岡山県立美術館に行かねばなりませんから、迅速なお買物が必須。
さて、どれを選ぶ?

桃の箱.jpg
桃.jpg

ということで…選んだ桃は…白皇
誕生のきっかけは、8月下旬に収穫可能な晩生の白桃の品種が少なかったことから、味に優れた白桃の開発が強く望まれた背景があります。
大玉で甘い果汁が特長の「おかやま夢白桃」と、ほどよい身の硬さが特長の「白麗」をかけあわせ、岡山県独自の育成を行う「農業研究所」が10年の月日をかけて、開発・育成した新ブランドの桃が、この「白皇」という訳です。
2016年3月22日に登録された、新しい品種です。

その名の通り、白い肌が特長の桃ですが…中を切ってみると…

桃カット.jpg

「種の周囲は鮮やかな朱色」

このコントラスト、美しいですね。

お買い上げした翌日にいただいた時には、やや固めで、フレッシュな味わいを楽しめましたし、数日自宅に置いて、追熟させてからいただいたところ…
「絶品」

ぶどう2種.jpg

さらに…葡萄は、オーロラブラック、ピオーネ…この2つを選びました。

「オーロラブラック」は、最近、この季節になると、洋菓子店でこの品種を使ったスウィーツをよく目にしていたので個人的に気になっていた品種でしたが、こちらの品種は岡山県農業試験場が自然交配から育成した岡山県オリジナルの品種。
成熟期が8月中旬〜9月上旬とニューピオーネよりやや早いので、お盆前に出荷ができる上に、房から粒が取れにくく、収穫後も日持ちがすることから輸送にも優れた品種でもあるそう。
「だから東海地方の洋菓子店でも、よく見かける品種なのか」
そう、洋菓子店でも重宝される理由がもうひとつ。
糖度が高い上に、種なし、そして皮が薄いことから皮ごと食べられるんです。
これはね…「余すところなく葡萄を味わいたい私のような葡萄ファンにとってはこの上ない喜び」
そして粒が大きく、食べごたえがあるのも嬉しいですね。

ピオーネ包.jpg

「ピオーネ」は、おなじみの品種ですね。
こちらは適度な酸味を持ちつつ、濃厚な味わいと、しっかりとした果肉です。

ぶどう皿盛り.jpg

どちらも種がないタイプなので、まぁ、葡萄好きな2人にかかれば、あっという間です。
「どちらも美味しいけど…やはりオーロラブラックかしら」
あの大粒ながらも甘味が強く、そして皮ごと味わえるところに大満足です。

ロングドライブの甲斐があったというところでしょうか。
ぜひまたの機会に味わいたいお味でした。

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「岡本太郎の陶壁画『躍進』」 [デザインetcのはなし]


岡山にて。
岡山県立美術館に向かう途中に遭遇したのが…岡本太郎の陶壁画「躍進」

岡本太郎陶壁.jpg

元々は、昭和47年の山陽新幹線開業を記念し、地元の山陽放送が岡本氏に制作を依頼して岡山駅の新幹線乗降口だった「つどいの広場」に設置された壁画だそうで、高さ3.9m×幅8.3m。
なぜ、駅から離れたRSK山陽放送に移設されたのか?
実は岡山駅の改修工事に伴い、2019年3月に約2カ月をかけて、陶片を1つずつ取り外し、専門業者の手で修復がされ、RSK山陽放送の建物の玄関口に移設されたのだそう。

実は私、2度ほど岡山には新幹線でお邪魔しているのですが…(1度目は、高校の修学旅行で、2度目は社会人になってから)

「うぅ…つどいの広場に設置された頃の風景が全く記憶にない」

これだけインパクトある陶壁画だったら頭の片隅に残っていても良いものなのにねぇ…

「自分のアンテナの感度が悪かったということにしておく」

それにしても…RSK山陽放送のビル、ピカピカですね。

それもそのはず。なんと、完成したのは今年の7月。私が見たビルは新社屋だったのです。
さらに実際にこちらで業務が開始されるのは来年の2021年度。

「完成直後の時に目の前を通過したのか…」

タイミング、良かったですね。

こちらの新社屋。元々は、後楽館中・高校があった場所で、正式名称は「RSKイノベイティブ・メディアセンター」
5439平方メートルの敷地に、鉄骨鉄筋5階地下1階の延べ1万1421平方メートル。
1階には、250人が収容できる総ヒノキ造りの能舞台「能楽堂ホールtenjin9(テンジン・ナイン)」が整備されたそう。

「立派なビルです」

思わぬ、岡本太郎の大作を拝めました。

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「岡山県立美術館・収蔵品展示を観賞」 [展覧会のはなし]

さて、高畑勲展を堪能した後は…

「やはり、収蔵品も拝見したいところ」

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美術館の収蔵品の展示スペースに足を運べば、その美術館の特徴もよく分かりますし、何より、地域に根ざした所蔵をされている美術館も多いので、その土地のことなどもあわせて知ることができ、色々と勉強になることも多いので、毎回、時間が許せば所蔵品の展示室には立ち寄るようにしています。

https://okayama-kenbi.info/syuzouhin-2-2/


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さすが県美術館といったところでしょうか。
私がお邪魔した時には、千利休の直筆の掛け軸が展示されていたりと、見ごたえある展示空間。
個人的に…平櫛田中の五浦釣人が鑑賞できたところは良かったですね。
これは、日本美術院の創始者であった岡倉天心が五浦海岸に釣りに出掛ける姿を形にしたもの。
以前、日本美術の至宝展(ボストン美術館所蔵作品での企画展。当時まだ開館していた名古屋ボストン美術館で鑑賞)で岡倉覚三像を見たことがあったので「お!」と思って。
それと、一角に作られていた和室があったのですが…藍色の市松模様の壁面に以前に京都の桂離宮で見たものと似ているなぁ…と思っていたら、やはり同じ技法で作られていた藍染めのものだったりと…これまでに鑑賞した作品とリンクする部分が多々あり、鑑賞していて楽しかったですね。
備前焼で有名な岡山という土地柄もあり、人間国宝級の巨匠の陶芸家から若い世代の陶芸家まで様々な作品が展示されているところも鑑賞して興味深かったですね。
ミュージアムショップも、コンパクトなスペースながら、所蔵品の作品の良さが際立つ、クリアファイルなど、趣向を凝らしたグッズが多数、揃っておりました。

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「高畑勲展(岡山県立美術館)に行くために…片道330kmをひた走った話」 [展覧会のはなし]

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2019年8月15日に片道330km。
移動時間が滞在時間のほぼ倍という、岐阜〜岡山という、無謀な日帰り旅行が決まった理由…

2019年7月2日(火)〜10月6日(日)に東京国立近代美術館で開催された高畑勲展
なにぶん会場が東京でしたので…私は、日曜美術館での特集を見て我慢していた訳ですが…これが我慢にならないところが私の性分。
「あれ?これ…来年、2020年の4〜5月に岡山に巡回するんなら…ゴールデンウィークに岡山旅行とセットにして、行ったらいいんじゃない?」と相方に相談。
すると…高畑勲監督ファンの相方のことです。
『それ、いいね!』と、二つ返事で岡山の旅が決まったのです。

しかし…まさか2月にコロナウイルスが日本でも流行し始め、緊急事態宣言が発令され、不要不急の外出を自粛せねばならないご時世になるとは夢にも思わず。
さらに、コロナウイルスの影響は美術館にも大きな影響が出ました。
事実、名古屋市内で開催予定だった企画展の多くは中止に。そして岐阜県内で開催予定だった企画展は延期に延期を重ねて開催など、当初の予定とは全く違う予定での開催が続出。
それは、高畑勲展巡回予定先となった岡山県立美術館も同じで、高畑勲展の巡回先でもある岡山県立美術館も休館となり、結局、ゴールデンウィークの岡山の旅は幻に。
ところが…
緊急事態宣言も解除され、以前とまではいかないまでも少しずつ日常が戻りつつあった7月のある日のこと。相方がふと、岡山県立美術館のホームページを見て歓喜の声を上げているではありませんか。

「ゴールデンウィークに諦めた企画展が8月1日(土)~9月27日(日)に変更されている!」

そして切り出したのは、2月に東京で参戦するライブ中止を皮切りに、ことごとく行きたかったライブがコロナウイルスの感染拡大の影響で中止となり、どこにも行けず、自動的に蟄居となっていい加減、我慢の限界に来ていた相方の方でした。

『不要不急で県外に行くのは良くないことだとは思うけどさ…ここまで楽しみにしていたイベントが中止になって、もう自分は限界。せめてこれだけでもお盆休みに行かない?』

「ちょっとまって!岡山に行くって…どうするの?」

『車で高速をひた走る…』

「嘘でしょ?」

確かに、以前に神戸まで車で高速道路をひた走り、出掛けたことはありましたが…これは致し方なくだったのです。台風が到来し、公共交通機関が運休する可能性があったからです。
ただ、今回の場合、コロナウイルスの感染のリスクを減らすには、確かに自家用車での移動が賢明なのに変わりはない訳で…

『自分が運転する!』

と、断言する相方を目の前に、私も首を縦に振るしかありませんでした。
何より、自分自身もお盆休み明けは例年、繁忙期に突入して大変な日々しか待ち受けてないので、せめてお盆休みぐらい繁忙期を乗り越える糧があってもいいんじゃないかとも思ったのも事実。

『このご時世ですから…滞在時間は必要最小限にして現地の方々のご迷惑にならないように!』

そんな訳で片道330km。
移動時間が滞在時間のほぼ倍という、無謀な日帰り岡山旅行のはじまり、はじまり。

高畑勲展.jpg

朝早くに岐阜を出発し…到着したのは…
岡山県立美術館「高畑勲展」

展覧会の会場には…
アルプスの少女ハイジ
パンダコパンダ
赤毛のアン
火垂るの墓
かぐや姫の物語

懐かしのアニメーションから近年の名作まで、絵コンテから詳細に描き込まれた作品のプロット等々、貴重な資料が所狭しと並んでおり、思わず凝視。
「これは…凄い…」
コロナウイルスが幸いとなったのが、今回の企画展が予約制の鑑賞だったこと。館内の鑑賞者の数は十分過ぎるほど、ソーシャルディスタンスを取ることができ、なおかつ、じっくりと展示物を鑑賞することができます。

「混雑する企画展だと、後続の鑑賞者が気になって集中できない時もあるのでね」

美術鑑賞あるある。そんな訳で…予約制は本当にありがたかったです。

アルプスの少女ハイジや、パンダコパンダは再放送などで知った世代なのですが、もう何度も見ている作品なので、絵コンテや資料を見ると…
「あ!あのシーンだ…なるほど…こんなところに注意して制作されたいたのか」
と、赤入れされた修正箇所などを見ては、高畑勲作品のファンとしては思わず笑みを浮かべてしまう…あぁ、至福の時ですね。

ハイジの丘.jpg

おじいさんの家.jpg

教会のある風景.jpg

ハイジの村.jpg

冬の家.jpg

羊とペーター.jpg

アルプスの少女ハイジはジオラマが展示されていて…
こちらは唯一、撮影可能でした。

さて、そんな会場で特に印象的だったのが、季節柄というのもありますが…「火垂るの墓」野坂昭如氏の原作よりアニメーションとなった名作。
作品のデティールをより細やかに表現するために、原作の文章のコピーに、取材をもとに書き込まれたのか…手書きの紙が貼り合わせてあるものが、ガラスケースに展示されていたのですが…

「原作の台詞を大切にしながら、見る側により伝わる表現方法に心を砕く高畑勲監督の熱量に圧倒される」

遺作となった「かぐや姫の物語」の絵コンテには、新たな表現に挑む、その線を目にして胸がいっぱいになりました。

念願叶って、見たかった企画展に足を運ぶことができ嬉しかったです。
やはり高畑勲作品のファンとしては、実物の絵コンテなど、貴重な資料の実物を鑑賞できるというのは贅沢の極み。
片道330km、車を走らせた甲斐はあったと思います。

パンダコパンダのドア.jpg

最後はこのドア。
いいでしょう?

そして…オリジナルグッズを販売するフロアは…まさに…魔のエリアでした。

パパンダ.jpg

パンダコパンダのパパンダ。実は…足の裏に穴があいておりまして…

おみくじ.jpg

中にはおみくじが!

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アニメーションを見たことのある方なら、おなじみの名セリフも忍ばせてあり、読むと思わず「ふふふっ」と笑ってしまいます。
ミミ子の家の裏にある立派な竹林を見て、パパンダが「特に…竹藪がいい…」と、言うシーンがあるのですが…これがまた、もし、パンダがお話できたら、こんな風に感慨深く語りかけるんだろうなぁ…と、私も大好きなシーン。我が家にはDVDがあるので、また見直したくなりました。

てぬぐい.jpg

ふきんは、パンダコパンダの世界を凝縮したようなプリント。

笹茶.jpg

パンダコパンダにちなんでお茶は笹茶。

一筆箋.jpg

一筆箋は、淡く優しい色遣いです。

一筆箋2.jpg


一筆箋3.jpg


一筆箋4.jpg

コロナウイルスの影響で心が落ち込みがちだったこの頃。
本当に救われた展覧会でした。
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「12/6(日)岐阜新聞映画部「実りゆく」上映&田中要次さん・八木順一朗監督トークショー」 [映画のはなし]

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12/6(日) #岐阜CINEX で開催された、
「実りゆく」上映& #田中要次 さん、
#八木順一朗 監督のトークショーにお邪魔しました。

今回上映となった映画「実りゆく」を撮影した八木監督は岐阜県関市出身。
実は先月、関市の映画館で、地元に凱旋しての上映を果たし、
今月は、この岐阜CINEXでの上映となりました。

それにしても…映画「実りゆく」のスタートが、
実は予告編のみと知り、驚きました。

というのも…

ドラマ「トリック」などでおなじみの堤幸彦監督、
そして映画「モテキ」、最近では大河ドラマ「いだてん」でも
活躍されている大根仁監督らが取締役をつとめる、
映画監督のマネージメントなどを行っている
「オフィスクレッシェンド」が主催する
「MI-CAN 未完成映画予告編映画大賞」
https://mi-can.com/about/

実はこちらのコンテスト。
次代を担うクリエイターの発掘・育成を目指して創設した
コンテストで、審査される作品は、なんとまだ完成されていない映画、
つまり3分以内の予告編映像。
見事、大賞となれば3,000万円相当の映画製作費がもらえ、
映画監督デビューとなる訳です。

で、このコンテストの第3回大会に出品したのが
今回の映画の監督をつとめた八木順一朗監督。
ということは…大賞?と思いきや…
「堤幸彦賞」と「MI-CAN男優賞」を受賞。

その「堤幸彦賞」とは…
堤幸彦氏が個人的にいたく気に入り、
結果、ポケットマネーから賞金を用意し、
贈呈したというなんとも胸熱な賞だったのです。

とはいえ…
あくまで堤氏のマイベスト賞的なもののため…本編は制作ならず。

ところが…結果が発表されると…

「これは本編を作らないといけないでしょう?」
という周りの声が大きくなり、
タイタンの社長でもある太田光代さんの決断もあり、
なんと映画化が決定。今回の本編の映画公開となった訳です。

おや?なぜにタイタン?と思ってたら…

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「八木順一朗監督、タイタンでマネージャーのお仕事をされていた」

驚きました。二足のわらじ…ですね。

八木監督は地元の高校を卒業後、
日本大学芸術学部の映画学科に進学し、
映画制作を学ばれたそうですが…
映画と同じぐらいお笑いも好きだったそう。
そこで大学の卒業制作でお笑い芸人の話を制作するのですが…
その作品の中で、有名な漫才師の写真をたくさん使う必要があり、
八木監督は色々な事務所に直接電話をかけて写真をお借りしたとか。
その中に、タイタンも入っていたそうで…
以前より爆笑問題さんが大好きだった八木監督。
タイタンには映像制作の専門部署もあったことから、
完成した作品と履歴書をタイタンに送ったそう。
すると…タイタンより連絡があり、事務所に向かうも、
ちょうど爆笑問題の田中さんのマネージャーが辞めたとのことで…
一時的にマネージャーをお願いされて以来、今に至るとか。

とはいえ…映画制作をあきらめなかった八木監督。

「いきなり本編の映画を撮るのは現状では厳しい。
ならば何かコンテストに応募して賞を取るのが近道」と考え
制作したのが今回の本編制作のきっかけとなった
「MI-CAN 未完成映画予告編映画大賞」だったとか。

それにしても…舞台が長野というところも気になりますね。
実は八木監督、数年前にタイタン所属のお笑い芸人
松尾アトム前派出所さんの仕事の関係で長野県の松川町を訪れたそうで…
その際、りんご農園に見事に実ったりんごの景色に心動かされ
「いつかこの景色で映画を撮りたい」と思ったことが、
今回の映画の出発点だったとか。
ちなみに、松尾アトム前派出所さんのご実家はりんご農園で、
今回の主人公のモデルにもなっているそう。
本作には出演はなかったものの、裏方として制作をサポートし、
エンドロールでは、りんご農家としての
1年を撮影された映像にご本人が登場しています。

しかし…2分30秒の予告編から、
いきなり2時間ほどの本編へのジャンプアップ。
予告編の際から、タイタンに所属する芸人をはじめとする人達が
総力をあげて出演されていましたが…
本編での主演は、予告編と同じく、タイタン所属のお笑いコンビ
まんじゅう大帝国の竹内一希さんがつとめることに。
そして、気になる父親役には
「長野県ご出身だし…ぜひこの方に…」
と八木監督が白羽の矢を立てたのが、田中要次さん。

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今回、八木監督と一緒にご登場ということで、
早速、当時のオファーの時のエピソードが飛び出します。
「最初に脚本を拝見して面白いなぁと思ったのはもちろんですが…
決め手はね、長野出身のGLIM SPANKY(グリムスパンキー)が
主題歌担当するっていうから…それで即決でしたよ」
と笑いながら話す、田中要次さん。
地元出身のアーティストへの想いも含んだ…素敵なエピソードですよね。

そうそう、田中要次さんと言えば、
俳優になられる前は、国鉄時代の長野鉄道管理局に、
その後、国鉄分割民営化となった後は、
JR東海の社員として岡崎保線区に配属されていて、保線を担当。
そうなんです。愛知にいらした映画好きの田中さんは、
当時から東海地区の映画上映サークルと交流を深めており、
ここ岐阜の映画上映サークルとも当時から何度も足を運ばれていたそう。
そんな経緯を司会の岐阜新聞映画部の部長さんより紹介を受けると、
田中さんも感慨深い表情で…
「そうなんですよね…今日、久しぶりに岐阜駅に降り立って…
『あぁ…3年前、バス旅で鳥取目指していたなぁ』」
と語ると会場からは笑いがあふれます。
そして「当時、岐阜には映画好きのサークルに
月1回のペースで顔を出していましたね」
と懐かしそうに語る田中さん。
なるほど…岐阜とはなみなみならぬご縁があったんですね。

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さて、ここからは映画本編のお話を詳しく語っていただくことに…
八木監督は普段はマネージャーをされているとのことで、
そこから来る色々な想いがあったそう。
「僕はマネージャーとして、タイタンに所属し、
所属している芸人を見ているので、
例えば、よく映画やドラマで俳優が芸人を演じる場面を見ると、
コンビ同士の掛け合いだったら間が圧倒的に違うと感じてしまうんです。
だから、もし芸人をテーマにした映像を撮るとしたら、
本物の芸人を使って、本物を描きたくて…今回はその一心でしたね」
と語る八木監督。
八木監督は監督という以前に、マネージャーとして、
それぞれの芸人の特徴を熟知しているからこそ、
脚本にもそれが活かされているなぁと。
これは当て書きでは?と思われるシーンもあり、
見る側としてもそれはとてもリアルでしたし、
八木監督にしか取れない映像じゃないかなと感じました。

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そして、実際の撮影時のエピソードとして
田中要次さんが印象的だったのが…
台嵐が接近する嵐のようなりんご園で息子役の
竹内一希さんと対峙するシーン。
「あのシーンはね、竹内さんの狂気を感じたんですよ。
だからもう僕もこれは本気でかからないなと覚悟しましたからね」
と語る田中さん。
そこですかさず八木監督が「そうなんですよ…本当、田舎の青年
という佇まいの竹内くんなんですけどね…彼、東京出身なんですよ」
と情報を差し込み、会場からも思わず笑い声が聞こえてきました。

撮影時には時折、偶然が生み出す奇跡の場面があったそう。
「竹内くんは、田中さんに場面、場面で活かしてもらいながら
主人公の実くんになっていましたね。
例えば、オープニングのシーンで、
軽トラックにりんごを積み込むシーンがあるんですけど、
あそこも荷台の方の留め具をひとつ、
竹内くんが留め忘れてしまっていたんですよ。
内心、危ないなぁ…って思っていたところに、
田中さんが、さりげなく、フォローして留め具をきちんと留め直すんです。
偶然かもしれないけど、これは本当に自然体の良いシーンでした」
と八木監督が話すと、田中さんが「あれはね…本当に、自然と出たんですよね」
と、当時の様子を思い起こしながら、笑顔でお話されていました。

ちなみに撮影にかかった日数はなんと9日間。
内訳としては、2日間東京で撮影し、
残りの7日間は長野で撮影されたとか。
そんな長野では、天気を見方に付けて、
空が曇天に…まさにこれから嵐が来るというシーンに
見事にはまったそうです。

八木監督は、自分自身が映画を制作したいものの、
マネージャーとして勤めている現状にも重ねながら
「ハンデを抱えながらも夢を目指す大切さ」
を今回の映画の中に込めたそうですが…
八木監督は田中さんに「不動明王になってください」とオファーしたとか。

そんな頑固な父親役を演じることや、
真面目なテーマの映画の中に入ることを、
田中さんは最初のうちは気恥ずかしく思っていたそうですが、
試写を見て「こういう、まっすぐなのも良いかな」とも感じたそうです。
とはいえ、照れ隠しなのか、根っからのサービス精神があいまってでしょうか…
「自分がこんなにたくさん出演しているのはめずらしいんですよ」と、
笑いながら語るため、会場からは笑いが生まれていました。

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とはいえ、私も気になっていた…主人公が体験するあのお祭り。
ネタバレになるので詳しくはここで詳細は書きませんが…
八木監督からは「あれは黒澤明監督の『夢』の中に登場する、
きつねの嫁入りのイメージで撮影したんです。
だから、あのお祭りはオリジナルなんです。
ただ、僕としては、一人の若者が、町の人達に見届けてもらうことで、
一人前になるというプロセスを描きたくて…
ラストはああいう形にしたんです」と笑顔で語る八木監督。
あこがれの監督へのオマージュも含まれているんですね。

「脚本については、大学でひととおり書き方などを教えてはもらいましたが、
卒業後は、マネージャー業が中心でしたから…
脚本を書くのは久しぶりでした」と語る八木監督。
今回は、長野の、それもりんご農家がメインで描かれているということもあり、
撮影でお世話になった長野県下伊那郡松川町はもちろんのこと、
以前の台風で被害を受けたりんご農家さん達を
勇気づける映画にもなっているそう。

さらにりんご農家ということで…
現在は、青森を中心に映画が上映されているそうで…
「11月はりんごの収穫の最盛期で、
ちょうど12月に入る今が皆さん、映画を見る余裕があるのか…
ご好評いただいているみたいです」と笑顔で語る八木監督。
永く愛される映画となってもらいたいですね。

さて、ここからは岐阜新聞映画部恒例の、
来場した方々からの質問を受け付ける質問タイム。

まず最初はりんご農家ならではのシーンについての質問。
今回、りんご農家がメインで描かれていることで、
りんご農家が使う、独特な什器などが登場していました。
それによって印象的なシーンも数々ありましたが、
これは現地入りして決められたのでしょうか?という質問。
これについて八木監督は
「そうなんですよ。あの収穫に使用する昇降リフト。
あれが3台ありまして…あれのおかげで、カメラのクレーンの代わりとなって、もうひとつは照明を設置して…あの印象的な映像が撮れたんですよ」と、語られました。
あれは本当に、りんご農家という環境でしか生まれない映像かなと…ぜひまだ映画をご覧になってない方にはぜひ見てもらいたいです。

続いては…主人公の実をはじめ、出演者の方々が監督ご自身が所属する事務所の芸人さんが多いですが、今回の脚本を作るにあたり、各芸人さんの性格などを活かした部分はあったのでしょうか?という質問。
これについて八木監督は
「そうですね…例えば、映画の中でのエーマくん。
主人公の実よりも早くに東京に出て、
芸人としてのキャリアも先輩であるという役どころで
主人公からすれば色々と教えてもらい有り難い存在なのですが
反面、少々わずらわしいところもある存在なのですが…
これは、落語研究会出身のまんじゅう大帝国の竹内一希さんと、
田中永真さんの2人の関係性が反映されていて、
エーマくんを演じた田中さんは実くんを演じた竹内さんより1歳年上。
なので、そういう微妙な2人の立ち位置を僕自身がふくらませて
2人の役を作りあげた部分はあるかもしれませんね」とのこと。

最後の質問は、やはり一番印象的なシーンについての質問。
台風のシーンはどのように撮影されたんですか?という質問。
八木監督が「あれは大きなプロペラ2台を稼働させ、
さらに放水車で水をまいて撮影しました」と話すと、
これには、撮影現場にいた田中要次さんが参戦し
『あのプロペラね、パラグライダーとかで使うやつですよ。
もうね、何カットか撮ったんですけど…カット重ねる度に、
どんどんプロペラが近づいてくるんですよ。
風圧で台詞言えないぐらいに近づけるから、
カットがかかった後に僕が「(プロペラが)近いですよ!」って言うんだけど、
現場のスタッフが「木に実っているりんごを揺らしたいから」って言うので
「そっちかい!」と』このように当時のことを思い出し、
熱く語る田中さんに会場からは笑いが…。

映画を見た後なので「なるほどね…」と納得だったのですが…
そんなにプロペラが近づいていったら…
俳優陣の声は拾えるの?と素朴な疑問が頭によぎったところに、
八木監督が補足説明を…
「最初に動きを撮影して、その後、声をあてています」とのこと。
なるほど…そうだったんですね。

最後に八木監督からは
「映画は撮るだけではダメで…やはり、見ていただけて完成だと僕は思っています。
今日もこうして足を運んで見に来ていただきありがとうございます。
そして、M-1グランプリの決勝に進出した
ウエストランドをよろしくお願いします」
と監督とタイタンのマネージャーとしての両方の立場で
熱い言葉を残してくださいました。

さらに、田中要次さんは
「僕は30年前の1990年12月8日にJR東海を退職したんですよ。
だから役者になってちょうど30年。
そんな記念すべき日の前々日にこうしてゆかりある岐阜に
こうしてお邪魔できて本当に良かったです」と笑顔で語ってくださいました。

とにかく、岐阜ゆかりの方々によるトークショー。
とても楽しいひとときでした

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「11/23(月・祝)隈研吾氏を迎えて「まちづくりと建築の未来」・東海市」 [建築etcのはなし]

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#隈研吾 さんが東海市で、まちづくりについて講演されると
友人のMさんから教えてもらい、先日、一緒に講演会にお邪魔しました。
隈研吾さんと言えば…
ご存じ、 #新国立競技場 、 #歌舞伎座 、
こちら東海地方では #御園座 など、日本国内のみならず、
世界でも様々な建築を手がけていらっしゃる建築家です。

今回は「横須賀文化の香るまちづくり講演会」と題して、
東海市の「横須賀文化の香るまちづくり協議会」などが主催となり、
隈研吾さんをお招きし、隈さんには建築家というご自身の経歴も含めて、
まちづくりのお話を語っていただく講演となりました。

まず最初は世界から見たまちづくりから。
20世紀は経済優先となったことから、
歴史ある建造物などの多くが破壊されてきたとのこと。
その中で、イタリアは1950年代から歴史を守る流れに舵を取り、
まちづくりを進めたそうです。
中国を例に挙げると、北京と上海に各30名程のスタッフを抱えて
プロジェクトを行っている隈さん。
プロジェクトには、古い街を保存しながらの
新たなまちづくりの案件が増えているのだそう。
その理由のひとつとして、
街の保存を行政が厳しく指導を進めているそうで、
結果として歴史あるまちづくりの先進国とも言えると、
隈さんは語ってくださいました。

最近では、環境に着目した街づくりもあるそうで、
例えば、地球温暖化を防ぐまちづくりとして、
木を使う建築をひとつの例としてあげていらっしゃいました。
というのも…木は伐採され、建築資材となっても、
二酸化酸素を取り込む作用があるそうで、
日本ではこれにプラスする条件として、地震大国ということもあり、
耐震性の高い建築も重要なポイントだそうです。
そして人口減少にともない、街自体の再生も含めた
「居心地が良く歩きたくなるまちなかからはじまる都市の再生」を軸とした、
市町村や民間事業者などによる取り組みを国が支援するというプログラムも
国土交通省より発信されていることから、
今後「車社会から脱却し、人間が歩けるまちづくり」も
注目されているまちづくりのひとつだそうです。

さて、続いては隈研吾さんの代表的な建築とともに、
建築が周囲にもたらした変化も含め、
たくさんの事例とともに紹介されました。

まずは歌舞伎座から。
隈さんが手がけた、現在の姿は、
その前の歌舞伎座の姿を踏襲して改築された訳ですが…
その第4代の歌舞伎座を手がけたのは、吉田五十八(よしだいそや)。
歌舞伎座といえば…日本の城郭建築などにみられる
頭部に丸みをつけて造形した破風の一種である
「唐破風(からはふ)」の正面玄関が印象的ですが、
これには面白いエピソードも…
「旧歌舞伎座でこの唐破風が採用されたことから、
東京をはじめとする全国の銭湯の建物が
この入口のスタイルを取り入れたそうで…
結果として、唐破風の佇まいの銭湯が大人気になったそうです」
へぇー、知らなかった。

さて、隈さんが手がけた現在の歌舞伎座。
確かに以前の歌舞伎座の姿に似ていますが…
実は色々なところに工夫を凝らし、
以前よりもグレードアップしているのです。
そのひとつが「ひさし」の深さ。
実は旧歌舞伎座よりも、
現在の歌舞伎座はひさしが深く設計されているそうで、
このおかげで、ライトアップされた際に、
陰影の調子がより際立ち、美しい佇まいになるのだそう。
さらに、ライトアップのカラーも、春夏秋冬、変化をさせて、
季節に合わせた色合いで、歌舞伎座を照らしているそうです。

外観だけではなく、歌舞伎座には隠れた機能も。
というのは、東日本大震災の教訓から、
地下には3,000人分の食糧などの備蓄を備え、
万が一の際、多くの人が待機できるよう、
地下鉄と直結したフロアは広いスペースを設けて、
臨時避難スペースとして活用できる機能も兼ね備えているのです。

続いては…栃木の那珂川町馬頭広重美術館。
http://www.hiroshige.bato.tochigi.jp/about/architecture
里山の材料を使って建てられた贅沢な空間の写真に思わず息をのみました。
平屋建ての建物を貫通するように通る道は参道。
そう、その先には、神社があり、
地域に根ざした美術館という側面も感じられる、
まさに里山に溶け込んだ唯一無二の美術館です。

そして…今回、一番テンションが上がったのが…
太宰府天満宮の表参道に面した、
鳥居のそばに店舗を構える
#太宰府天満宮 表参道店 #スターバックスコーヒー。

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実は私、以前に福岡を訪れた際に、
九州国立博物館に出掛け、
その帰りに太宰府天満宮に立ち寄り、
こちらのスターバックスの店舗に立ち寄ったことがあるのです。

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とにかく印象的なのが…
「日本の伝統的な技法である木組み構造を使って仕上げられた内装」
一度見たら忘れられないですよね?
ちなみに、内装の木材の角には透明のカバーが付けられており、
安全面もしっかり考慮されています。

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さらに店内のテーブルは、内装の木組みと呼応するように、
木製の味わい深いテクスチャーに仕上げられています。
席に着くとその接近する木組みに驚きますが、
次第に木々に包まれているような雰囲気に落ち着き、
ドリンクを飲み終わった後も、
しばし、ゆったりとくつろぎたくなるから不思議です。
「木のチカラでしょうかね?」とても心地よい空間でした。

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(当時、撮影した写真をいくつかアップしてみました)

他にも、浅草文化観光センター
(以前、浅草で宿泊した際、目にしたことがある建物でした)
https://www.city.taito.lg.jp/bunka_kanko/kankoinfo/info/oyakudachi/kankocenter/a-tic-gaiyo.html

さらに、新潟県の長岡市役所を含む、文化施設が一体化された、
シティホールプラザアオーレ長岡は、圧巻の空間でした。
https://www.ao-re.jp/inspection/information/

長岡駅の西口からすぐの場所にあるこちらの施設。
なんと1階に設けられている議場はガラス張り。
他にも、全天候型の土間のある空間を目指して作られた
屋根付広場の「ナカドマ」は、
移動販売車などの出店も可能で、この施設が出来たおかげで
明らかに周囲の人の流れに変化が起きたそう。
街の人達もこうした施設があると誇らしいでしょうね。
ちなみに「アオーレ」は長岡弁で「会いましょう」を意味する
「会おうれ」をもじったものだそう。
地元に根ざした施設らしく、素敵なネーミングだと思いました。

そして今年はオリンピックが延期となりましたが、
東京の新国立競技場も紹介されました。
まず特徴的なところと言えば、
とにかく木材がふんだんに使われていることですね。
屋根、軒庇(のきびさし)、庭などに使われた木材は、
実に約2,000立方メートル!
特に注目すべきは軒庇(のきびさし)で、
こちらは47都道府県から森林認証を取得した木材を調達し、
さらにはスタジアムの方位に応じて配置しているそうですから、
全国各地から訪れた人達の心が躍りますし、
何より、世界の人達を迎える上でも、
オール日本で迎える心意気が伝わりそうな気もします。

さらに、観客席は森の木漏れ日をイメージし
て5つの色(白、黄緑、グレー、深緑、濃茶)が使われており、
そのリズムあるランダムな色合いは歓声にも見えてきますね。

さて、隈さんは講演会でお話される前に、
東海市の横須賀地区を、まちづくり協議会の方々と
一緒に歩いて巡られたそうで、
横須賀地区出身の名古屋出身の歌人・書家である
#阪正臣 (ばん まさおみ:1855~1931年)氏の邸宅や、
祭の際に山車も出る古くからの道、
さらには実際に祭で使われる山車などを実際にご覧になり
「20世紀の車社会ではない、歴史ある道の形が残っていること」が
とても印象的とお話され、それを踏まえて
「イギリスのチェルシーでも昔の中世の姿が残るのは
全体の10%ほどなんですよ」と
欧州での古いまちなみについても語られました。

最後にまちづくり協議会の関係者の方への
励ましのメッセージとして
「横須賀地区には、熱意を持って祭を動かす若い人達がいます。
そういう街には未来があります。
こうしたエネルギーを今後のまちづくりに活かしていただきたいですね」
と笑顔で語られていました。

世界で活躍される隈さんご自身から、
手がけた建築についての説明が伺える機会は限られているので、
今回は本当に貴重なお話を伺うことができとても嬉しかったです。
誘ってくれたMさんに感謝です!

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私も公演終了後、会場の前に展示されていた
装飾が見事で思わず見入ってしまう立派な山車や…

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山車の車輪の跡が見える道路など、周辺を歩いてみました。
歴史あるお祭りが今でも続く街は素敵ですね。
ぜひ、お祭りが開催される時には足を運んでみたいと思いました。
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「11/21(土)岐阜新聞映画部「浅田家!」上映&中野量太監督 トークショー」 [映画のはなし]

どうも。ブログでは大変ごぶさたしております。

11月21日(土)岐阜CINEXで開催された
岐阜新聞映画部「浅田家!」上映&中野量太監督 トークショーに
出かけてきまして…

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どうしてもTwitterなどでは書ききれないほど、
貴重なトークが盛りだくさんでしたので
久しぶりにブログの更新です。

昨年、第11回TAMA映画賞で最優秀映画賞を受賞した
山崎努さんが認知症の父、そしてその娘を蒼井優さんと竹内結子さんが演じ
話題となった「長いお別れ」が岐阜CINEXで上映された際にも、
その和やかなトークで来場者を笑顔にした中野量太監督。
今回も「浅田家!」上映終了後に開催された、
中野量太監督を囲んでのトークショーでも、
今回の映画にまつわるエピソードを
惜しげもなく披露してくださいました。

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トークショーの当日の時点では、配給元が東宝ということもあり、
島根以外の全国で絶賛公開中という状況。
そして10月には、第36回ワルシャワ国際映画祭の国際コンペティション部門で
最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)を受賞となり、
世界からも注目されている映画のひとつです。

とはいえ、コロナウイルスの感染が拡大し、
日に日に感染者が増える中で、東京から岐阜まで、
はるばる来岐してくださった中野量太監督。
映画ファンとしては感謝しかありません。

さてここで少し、今回 #岐阜CINEX で上映となった「浅田家!」
こちらを知らない方にちょっとご紹介。
この映画の元になったのが、
三重県津市出身の写真家、浅田政志さんの活動。
彼は大阪の写真専門学校の卒業制作として撮影したことをきっかけに、
浅田さん自身の家族を被写体にして、
様々な場面設定やコスプレをしたひと味違った家族写真を多数撮影。
それをまとめた写真集「浅田家」は2009年に
「写真界の芥川賞」とも呼ばれる木村伊兵衛写真賞を受賞しています。

その後、家族写真をテーマに全国様々な家族を撮影した浅田さん。
2011年の東日本大震災で津波で流されてしまった泥だらけの写真と
アルバムを救済する現場の存在を知り、
その活動を取材・記録したものを2015年に藤本智士氏と共に
「アルバムのチカラ」として本にまとめています。
今回の「浅田家!」は、この2つが原案となって制作されています。

ということで、まず最初にどのような経緯で
中野監督に決まったのか?という所からトークがスタート。

「原作との出会いは3年前。プロデューサーの小川真司さんから
「この写真集を映画化したい」と言われたのが最初です。
小川さんはその前から『浅田家』の映画化を考えられていたそうですが、
監督を決めかねていたそうで…そんな時に、
家族をテーマにして撮影する僕の映画作品を見て、
僕にオファーしてくれたみたいです」と中野監督。

そして今回、「浅田家!」の重要な場面と言えば…
東日本大震災を描いているというところ。これについては…
「やはり、クリエーターのひとりとして、3.11は描きたかったですが、
自分が撮りたいと思う家族をテーマにした映画の中で、
震災を描くことで、辛いモノになるのは自分は嫌だったんです。
それに実在されている方を軸にしている映画なので、
今回は浅田家ご本人をはじめ、東北にも足を運んで、
多くの取材を重ねていきました」とのこと。

さて、多くの方が気になるところが今回の映画のキャスティング。
主役が二宮和也さんをはじめ、兄役には妻夫木聡さんと
脇も演技派や名バイブレーヤーの俳優陣ががっちりと固めています。
これについては…
「僕は二宮くんは以前から他の作品を見て、いいなぁと思っていたんですけど…
今回の映画の軸となる浅田政志さんって、ダメな所があっても、
周りが放っておかないというか、ある意味、人たらしで…
そういうのって演技じゃなくて、その人となりじゃないですか?
そう考えていた時に、二宮さんが浮かんで、
配給元の東宝さんも『二宮さんがオファーを受けて動いてくれれば…』と
言っていたんですが…これがなんと、二宮くん、受けてくれたんですよね。
そこからはもう早いですよ。
政志とは真逆のタイプの兄となれば、ここは妻夫木くんかな…
と、とんとん拍子でキャスティングができました」と笑顔で語る中野監督。

この二宮くんのオファー快諾のスタートが、
実は昨年のアカデミー賞の授賞式でのエピソードだったということも
詳しく語ってくれました。

実は監督の商業映画のデビュー作で宮沢りえさんが主演をつとめ話題となった
「湯を沸かすほどの熱い愛」がアカデミー賞の2部門で最優秀賞を獲得。
宮沢りえさんが仕事のため欠席ということで代表して監督が授賞式に参加したそう。
その際にプレゼンターをつとめていた二宮くんが、
映画のタイトルを『湯を沸かすほどの熱い夏』と言い間違えてしまったそう。
中野監督としては「そうだよな…湯を沸かすほどの熱いって来たら…夏だよなぁ」
と、思いながら宮沢りえさんの代わりに賞をいただき、
その場は事なきを得たそうですが…

この言い間違いを誰よりも悔やんでいたのが、二宮くん。
自分自身、事あるごとに
「二宮和也を『にのみやかずや』って呼ばれるのが心底嫌なのに…
心血注いで創り上げた映画のタイトル間違えられたら…」と、
二宮くんは、その後も大変気にしていたそうです。
そんな中で、二宮くんのマネージャーとの
会食する機会があり、出向いた中野監督。
そこで二宮くんから直筆でその言い間違いの際の
お詫びの内容が書かれた手紙をいただいたそうで、
手紙の中では「いつか一緒にお仕事しましょう」
という言葉もあったそうで、
俳優としての二宮くんが大好きだった中野監督は
いたく感動して、お酒も入っていたことから、
慌ててその場にあった紙ナプキンを掴んで、
即座にお返事を書いたのだとか。

それからしばらくして「浅田家!」のオファーをしたところ、
二宮くんは二つ返事で快諾。
そこから、クランクアップ、撮影も順調に進んだのですが…
二宮くん本人からは特に手紙のことなど
改めて話されることもなかったので、中野監督は内心
「あの手紙は代筆だったのではないか?
だとしたら自分、舞い上がって紙ナプキンで返事書いたりして…」
と急に不安になったそう。
ところが…無事に撮影を終えて、打ち上げとなった際に…
二宮くんがその手紙の話を披露して、驚いたのは何を隠そう中野監督。
「いやぁ…この一件で、さらに二宮くんが好きになりましたねぇ」と
笑顔で語っていらっしゃいました。

続いては撮影のエピソードを中心にトークが展開。
撮影を通しての率直な感想を中野監督はこうお話していました。
「やはり、前半は撮影が楽しかったですね。
そして後半は苦しかったですね。実際にあったことを再現するのは
やはり現地の人の目で見られることで違和感があってはいけないと考えると…
当時の被災地の再現が難しいというのも理由のひとつですね。
なので再現には非常に気を遣いましたし、最大限の努力をしました」
とのこと。
そして撮影前より実際に現地に何度も足を運んで
取材を重ねたことが功を奏したそうで…
「最初、映画を制作するためとはいえ、
震災をエンターテイメントに取り込んで良いのか
迷いながら取材を始めていたんです。
だた、東北で実際に被災された方からお話を伺うと、
確かに当時のお話は辛いんですが、
それを踏まえて、自分の目の前にいらっしゃる方々は、
明るい表情で前向きに僕らに惜しげもなく語ってくださるんですよ。
そういった場面にたくさん触れることで、
僕自身、背中を押してもらっているような気持ちになって
『よし、絶対いい映画を作るぞ』という気持ちになり
撮影に挑むことができした」とのこと。

そして中野監督にとっても「写真」は格別に思い入れがあるそうで…
「映画の中でも登場しますが、昔の…僕らの世代の人達だと、
台帳みたいな分厚い表紙の重たいアルバムに
生まれた頃から成長するまでの写真がたくさん残されるじゃないですか。
そういうアルバムって、まさに生きた証というか…
もの凄いパワーがありますよね。
今年も全国で水害など多くの自然災害が起きましたが、
その時にも被災地で真っ先に探すものといえば、
やはり皆さん、写真を探されるんです。
写真って、今を生きる糧にもなりますよね」とのこと。

そして無事に映画が完成した後、東京で試写会が行われ、
三重県津市の本当の浅田家一同が皆さんで試写会に訪れ、
鑑賞後のエピソードに浅田家らしさが出ていたという中野監督。
そのエピソードとは…
「映画の通り、浅田家のお父さんは、倒れられて身体に一部麻痺が残り
現在、車椅子での生活をされています。
で、試写会にもそのお姿でいらっしゃったんですが…
映画を見終わった後で、浅田家のお母さんをはじめ、
政志さん達が口々に
『映画の中で元気に動くお父さんが見れて良かった』と、
喜んでくれていたんです。あぁ、本当にいいご家族だなぁと。
僕の中では一番印象に残っているエピソードですし、
僕も映画を撮って良かったなぁと感じました」と笑顔で語る中野監督。
上映後の熱がさめない中での、
監督自らの貴重な撮影エピソードの数々に会場の鑑賞者の皆様も
時に笑いながら、時に頷きながら耳を傾けていらっしゃいました。


さて続いては、岐阜新聞映画部恒例の直接、
来場者の方々が質問できる質問タイムに。
最初の質問は、実在する人物を映画にするということは
プレッシャーにはなりませんでしたか?
また実在する人物を映画にすることで印象的だったことなどあれば
教えてくださいという質問。
これについては…
「今回、実在する方々を映画にするということで、
そのためには演じる俳優陣の方々には、
実際にご本人にお会いする機会を僕らが作りました。
例えば浅田家については、ある日、三重県津市の中華料理店に
ご本人と演じる俳優さん達を引き合わせて、一緒にお食事をしました。
一緒に時を過ごすことで、
俳優さん達も自身が演じる相手が持つ独特の空気感などを、
つかみやすいと思ったからです。
そのおかげもあって、実際に撮影が始まった後も、
演技に活きているなぁと感じたことが多々ありました。
それと、ご本人が健在だと、様々なお話が伺えて…
特に浅田政志さんはああいう写真を撮影される方ですから…
まさにエピソードの宝庫な訳です。
なので、逆に映画におさめるために、
泣く泣く切り捨てたエピソードなどもあり…
取捨選択が非常に大変でしたね」
と笑顔で語る中野監督。

続いての質問では、写真洗浄のボランティアを始めるきっかけを作った、
東北出身の大学院生を演じた菅田将暉くんについて。
普段は主役をつとめる彼がこの映画では脇役で、
最初、菅田くんだとわからないほど、
まさにボランティアに黙々と取り組む大学院生にしか
見えない演技に魅了されました。
他にも様々な俳優さん達の演技が光る映画ですが、
監督として何か演技の演出はされたのでしょうか、という質問。
これについては…
「それぞれの俳優さん達には、
自分が演じる役がどういう人生を送っているかを
理解してもらうのがやはり役作りの一番の近道だと思っていたので、
役作りとして有益な素材や環境を提供したかったので、
例えば先にお話した演じる役のご本人にお会いしてお話をするだったり、
当時のことを詳しく伺うなど、そういった時間はできる限り設けました。
それを踏まえてその先はもう俳優さん達の力量だと僕は思っているので、
特に今回もああして欲しい、
こうして欲しいというのは極力なかったように記憶しています。
菅田将暉くんについては小野くんを演じてもらうことが決まった際、
モデルとなった写真洗浄ボランティアに携わった小田さんに会ってもらう
セッティングをしたんですが…
その当時、まさに話題となっていたTVドラマ
「3年A組-今から皆さんは、人質です-」の撮影真っ只中だったこともあり、
菅田くん自身からも『険しい表情ですいません』と言われた程です。
で、ぶっちゃけてしまうと、実在の小田さんは本当に穏やかな表情で、
あぁ、この方の優しい気持ちから
写真洗浄のボランティアが生まれたんだなという佇まいの方で、
正直言うと、菅田くんとあまり似ていなくて。
でも、菅田くんはその小田さんと会って、当時の様子の話を伺い、
実際に写真洗浄のボランティアの作業も体験してもらいました。
ボランティアの作業は冷たい水を使って、
地道に泥を洗い流していく気の遠い作業でしたが、
実際に作業を体験したり、小田さんが語ってくれる話に、
丁寧に耳を傾けてくれて、
菅田くんは俳優として色々な部分をすくい取って、
自分の中に取り込んでくれたんだと思います。
結果として撮影が始まり、カメラ越しに見た菅田くんは、
まさに小田さんをモデルとした小野くんそのものでした。
本当に凄い俳優だなと僕も感じました」とのこと。

最後の質問は、浅田家の家について。
あれは実際にある浅田家と同じなのですか、という質問。
これについては…
「僕にとって、浅田家での家の中の雰囲気は
『家に帰りたくなる雰囲気』だったので、
これを作るためには実際の家に近い姿を
再現したいなと思って頑張りました。
あの家は本当の浅田家のお家ではなく、ロケセットなので、
間取りなどは実際の浅田家とは違ってはいますが、
映画の中で小さい頃の政志がお父さんにカメラを譲ってもらい、
玄関先で撮影するシーンや、
成人になってからは政志とお兄さんがタバコを吸うなど
玄関は浅田家の人となりも見えて来る重要な場所でもあるので、
例えば実際する浅田家のお父さんが趣味で集めていたという
レトロなホーロー看板などの個性的なアイテムは
それに近づけるように再現しましたし、
あと屋内の家具や小物の配置も
本当の浅田家の屋内に近い形で作っています」とのこと。

映画のパンフレットの解説によれば、浅田政志さんご本人いわく
「家具やインテリアなどの内装から玄関の風変わりな看板まで
かなり似せて作られている」のだそう。
思えば…東海地方でも三重県出身の浅田政志さんが
木村伊兵衛写真賞を受賞された際、
地元の情報番組でも様々に取り上げられていて、
私も何度か浅田政志さんのご実家の風景を
テレビのモニタ越しに拝見したことがあって…
映画を見た際、玄関先の壁にたくさんある壁時計や、
リビングにある観光地の名前が入ったミニ提灯がずらりと並んだ風景に
「あぁ、あのご自宅だ」と思いました。

あと現場の再現ということで…東北編の部分のエピソードも…
「写真洗浄のボランティアを行い、多くの写真を救い出すシーンでは、
撮影スタッフなどから家族写真を中心に集めたんです。
だいた4万枚ぐらいかな。
これを実際にロケ現場で掲示するなどして、
当時の現場を作り上げていきましたね。
あと、政志が以前、新一年生になる娘を中心に
家族写真を撮影することを依頼された
東北の高原家に、震災後に尋ねるシーン。
家族写真を依頼され、打ち合わせに初めて訪れる際と同様、
カーナビを使って現地にと向かうのですが、
そこは以前訪ねた風景とは全く違い、
津波にのまれ、一面がれきと化した、
とても住宅地とは言えない惨状。
ここでは、遠景はCGで処理したんですが…
政志を演じる二宮くんが立ち尽くす周辺のがれきは
実際に取り壊しなどで出た廃材を積み上げて、
当時の現場の雰囲気をリアルに再現することにしました。
そういった現場の再現がもしかしたら
俳優陣の演技をより引き出すことに役立ったかもしれませんね」
と語る中野監督。

震災後に高原家を尋ねるシーンは、
鑑賞者も息が詰まる非常に苦しいシーン。
春の穏やかな住宅地の風景を先に見せられているからこそ、
あの住宅のがれきが散乱する惨状の落差は、
自然災害の恐ろしさやその場に遭遇した人達の辛さが
見る側により伝わりました。

あっという間にトークショーもエンディングに。
最後は監督からひとこと。
「昨年の3月から4月にかけて撮影を行ったこの映画ですが、
まさかその時には今年のような大雨などの災害や、
コロナウイルス感染拡大による苦しい世の中になるとは
思いもよりませんでした。
今回、完成した映画をご覧いただく方には、
家族を通して、家族のよさなどを改めて感じられ、
心に潤いを与えるそんな映画になれたらいいなと思っています。
現在もコロナウイルスの感染拡大が続いており、
厳しい中ではありますが、
また新たな映画に取り組みたいと思っています」
と終始笑顔で語られていた中野監督でした。

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東京など都市部では感染拡大が進み、
大変な中、岐阜までお越しいただき、
貴重なお話をたくさん披露してくださいました。
お忙しいところ本当にありがとうございました。
今回の「浅田家!」を鑑賞し、
次回作が何よりも楽しみな映画監督だなと。
エンターテイメントを作る側としては厳しい状況が続きますが、
いつかまた近いうちに中野監督の
心温まる素敵な新作が拝見できることを楽しみにしています。

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「10月6日(日)・久しぶりに名古屋港水族館に行く」 [旅のはなし]

名古屋港ガーデン埠頭で、南極観測船(砕氷船)しらせを
心ゆくまで見学した後
ガーデンビル内のレストランで鉄火丼食べて落ち着いた訳ですが…
https://yukiwochannel.blog.ss-blog.jp/2019-11-19

「せっかく、ここまで来たなら、水族館行こうか?」

ということで水族館に向かうことに。

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ガーデン埠頭からブリッジを渡って振り返ると…

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「南極観測船ふじ・しらせが並ぶ姿が見えました」

感動です。

「あれだね…兄弟みたいだ」

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さて、名古屋港水族館の前に立つ自分。

「以前に来たのはいつだったか…」

私が前に来た時にはシャチはいなかったし、
私が来た頃の名古屋港水族館は南館だけでした。
ええ、入口は現在の出口にあたる場所だったのですよ。
お分かりですか?
北館が開館したのは2001年です。

「やはり、もう20年近く前か…」

恐ろしい…月日の流れ。

そんな訳で現在の入口は北館から。
お邪魔しますよ…と入館すると…
いきなりベルーガとシャチとご対面。

シャチ、大きかったです。
水槽の上部を泳いでいたので上手くカメラにおさめることができず無念。
その向かいの水槽で泳いでいたのが、シロイルカともよばれるベルーガ

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「ベルーガが泳ぐたびに、カラダがフニフニっと揺れて通り過ぎるのが地味にツボ」

寒い地域に生息しているベルーガは、
体内に脂肪を蓄えていて冷たい海水から身を守っているそうです。

「だから、フニフニなのね…」

水中に漂うボールをくわえて泳ぐ子もいたりと
ずーっと見ていても飽きないです。

ええっと、まだ入ってすぐの場所なので次行きますね。

ちょうど、外にある「しおかぜ広場」にある「ごまちゃんデッキ」で
ケープペンキンのえさやりが見学できるというので
そちらに向かうことに。

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ペンギンたちのガラス張りの住まいのドアが開くと…

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階段をヨチヨチと下りてくるケープペンギン。

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ちなみに手前にいる模様がはっきりしないのが、まだ子どものペンギン。
奥にいる成長したペンギンと比べるとよく分かります。

午前中にもエサをもらっているので、
お腹が満足なペンギンさん達は、ガラス張りの住まいでのんびり。
お腹を空かせたペンギンさんは勢いよく飼育員さんに
お魚をもらいに行っていました。

エサやりをする飼育員さんの横で、メモする飼育員さん。
どのペンギンがどれぐらいエサを食べたかを記しているそう。
羽根の付け根に印があって、そちらで見分けているそうです。

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ちなみにペンギンの住まいの横には、ゴマフアザラシが2匹おりまして…
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ちょうど体調チェックだったのか1匹は飼育員さんに採血をされていました。

1人の飼育員さんがエサを片手に落ち着かせながらのファインプレー。

さて、もう1匹のゴマフアザラシさんはといいますと…
ご覧の表情。

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「なんか…温泉に入っているみたいな…穏やかな表情」

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愛らしいです。

さて続いては…南館に。
10月4日が語呂合わせで「いわしの日」とのことで…
この日はちょっとしたイベントが。

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「はっ!でえたらぼっちさんがいるよ!」

はい、浜乙女さんのキャラクターですね。
https://www.hamaotome.co.jp/detara/

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浜乙女さんから発売されている「いわしのふりかけ」
こちらのサンプル品が、いわしの日にちなんで配布されていました。

はい、これ大好きで我が家では普段から食べてます。
ありがとうございます。

さて、名古屋港水族館といえば…近年、有名になったのが…

「いわしのトルネード」
http://www.nagoyaaqua.jp/south/2014103118022628.html

南館の2階にある「黒潮大水槽」で見ることができるのですが、
間もなく始まるとのことで、大水槽の前で待機することに。
日曜ということもあって、あっという間にフロアには人で埋め尽くされて
「やはり人気のショーなのね」と改めて人気の高さを知るという。

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10月ということもあり、この日はハロウィーンらしい曲に合わせ
ライティングもオレンジを基調としたシックなカラー。
ちょっと暗めということもあり、
来館された小さいお子さんの中には怖がって泣いてしまっている子も。

今回、初めて見ましたが…イワシがね…3万5000匹もいると
こうも大迫力なのかと、驚きましたね。
とにかく青魚なので、ライトを浴びると美しいのですよ。
それが縦に横に上に下にと群れで大水槽の中を泳ぎ回るのですから…

「圧巻の一言」

いいもの見たわ…

そしてこの小さい魚の群れに思わず、
レオ・レオニの「スイミー」を思い出したのでした。

私は午後からの回の最初に見たのですが、ショーが終わってから
ふと振り返ると…

「すでに、次の回の観覧を待つ来場者が多数、控えております」

人気のショーであることを改めて実感いたしました。

さて、続いては日本の海を拝見。

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ウツボを見て
「やっぱり…蒲田くんに似てるよねぇ…」と、しみじみ。
(蒲田くんとは、映画「シン・ゴジラ」に登場する第二形態のゴジラこと)

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タカアシガニ

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トラサメは、卵も一緒に飼育されていました

日本の海の水槽のお写真が少なめなのは
近年、水族館にあちこち出掛けているので
(随分前に宮島水族館、一昨年に鳥羽水族館、昨年は、のとじま水族館)
「あー、いるねぇ…」とある意味、確認のようか感じで
サラリと鑑賞したのでした。

とはいえ、この辺りの展示はなんとなく記憶にあるなぁ…と思って
角を曲がると…

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「あぁ!これ絶対、昔見た!」

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そう、古代の潜水具の展示。
深い海に潜っているイメージを演出するためなのか
ライト少なめなので、少々おどろおどろしい感じも醸し出してます。
ええ、嫌いじゃないです(笑)

そして進んだ先には…

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「チンアナゴ!」

最近の私、チンアナゴ大好きで…

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「昨年出掛けた、のとじま水族館で
 チンアナゴの抱き枕、買ってしまったもの」
どんだけ好きなの?(笑)

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たまにこんなことして遊んでますが…

抱き枕の件は置いといて…

チンアナゴ、かわいいじゃないですか…ユラユラと…ねぇ。

「ずーっと見ていられる」(ベルーガに続いて、この日、2度目)

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水槽の上にはハロウィンらしいディスプレイに(笑)

「うちの抱き枕とはちょっと違うんだ」

うちのはもっとフニっとしています(どうでもいい情報)

はい、もう少し展示もあるので先を急ぎましょうね。

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名古屋港水族館と言えば…「ウミガメ」です。
http://www.nagoyaaqua.jp/south/2014092415305124.html

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繁殖にも力を入れており、
ここでは、ちょうど2年ほど飼育した小さいウミガメも合わせて展示。
必死に泳ぐ姿がかわいいです。

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成長したウミガメたちの、悠々と泳ぐ姿に癒されます。

「この辺りは、なんとなく記憶にあるフロアだわ」

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と、フロアの隅が暗くなっているので何かなと思って覗いてみたら…

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「フクロモモンガ」

お休み中で、必死に角度を違えて覗いてみましたが…

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「綺麗に丸まってお休み中のため
 ファーでできたボール状のバックチャームにしか見えず」

ま、仕方ないですね。

さて、続いては…

「南極の海」

さきほど南極観測船しらせを見学したばかりなので
俄然、テンションがあがります。

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ナンキョクオキアミ!
さっき「しらせ」の船内で拝見したのは
ホルマリン漬けで脱色していたけど…
名古屋港水族館では生きている状態で展示されていました。

ということなんですが…
肝心の撮影した写真がないのは、
オキアミさん、小さい上にあちこち泳ぎまわるので、
iPhoneのカメラで撮影するのには厳しくて…すいません。

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でもね、このナンキョクオキアミを飼育しているのは実はスゴいことなんです。

世界初ナンキョクオキアミの繁殖
http://www.nagoyaaqua.jp/preserve/2014103015014862.html

などなど…
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他にも、南極に生息する生き物が生体展示されています。
貴重なんです。

そして、こちらも大好きな動物です。

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「ペンギン」

これはもう10代の頃から大好き。

その昔…

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「yukiwoちゃんってモノクロの動物好きだよね?」

と言われましたが…

「ペンギン、シロクマ、ツバメ…最近ではチンアナゴ…」
見事にモノクロだわ。

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そしてこちらの水槽のガラスも控えめにハロウィン。

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ペンギンの解説パネルもありました。

先に進むと…

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各ペンギンの実物大模型のエリアが、がっつりハロウィンの仮装でした(笑)



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そしてクラゲ。

ライティングが綺麗で、クラゲが映えるわ。

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ちょっと変わったクラゲもいました。

ということで、久しぶりの名古屋港水族館を満喫いたしました。

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出口を抜けた前にあったこのペンギンの像も見覚えあるなぁ。

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ポストもありました。

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帰り際に名残おしくてもう一度周りを撮影する人がココに。

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いやはや、しらせ見学して名古屋港水族館も訪れて…濃い1日でした。

さて、本日のおみやげは?

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タオル

あ…パターン柄が…

「チンアナゴ」

本当、好きだな(笑)

あとは知人へのおみやげは

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「クッピーラムネ 名古屋港水族館バージョン」

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名古屋港水族館オリジナルのペーパーアイテム。
(付箋セット、ポチ袋)

南極観測船しらせの見学に思いのほか時間をとってしまったので
名古屋港水族館の鑑賞が、やや駆け足気味になってしまったのが少し残念だったかな。

そうそう、今度は名古屋港ガーデンふ頭に係留されている南極観測船ふじの方も
ゆっくり見てみたいですね。
ここも10代の時に見て以来、全く足を踏み入れてないので展
2017年に展示もリニューアルしているので気になっているところです。
しらせの熱が冷めないうちに比べながら見学もしてみたいです。
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「2019年10月6日(日)・名古屋港ガーデン埠頭3号岸壁・南極観測船しらせ」 [旅のはなし]

南極地域観測協力のために毎年、11月に南極に向けて出港した
南極観測船・砕氷船しらせ。

総合訓練を実施しつつ、全国各地の港に寄港し、
一般公開をされているのをご存じの方もいらっしゃると思います。

元々、南極に興味はあったのですが
東海圏という土地柄、恒久繫留となった南極観測船「ふじ」が
名古屋港にあるということもあり(たぶん、これまでに3回ほど見たはず)
現役の南極観測船を見学するというところまで意識が向かわず
そもそもそういうイベントが越冬隊の出発前にされていることすら
つい3年程前まで全く知らなかった訳です。

「そういうところ…ヌケてるよね」

で、以前に船をテーマに作品を制作したこともあり…
https://yukiwochannel.blog.ss-blog.jp/2011-08-07

そこから船にゆるく興味を持っている私。
そんなところに2年前。ついにやってきた!
名古屋港に南極観測船しらせが!
http://kyokuchi.or.jp/?page_id=5702

ところが…この時期、台風がやってきて、しらせは早々に出港。
一般公開に行くという、ささやかな夢は、はかなくも散ったのでした。

ちなみにこの一般公開。
毎年、寄港する港は違い…
昨年は清水港、横浜港、苫小牧港、新潟東港、博多港、高松港の6カ所。

「えぇ、名古屋はなかったのです」

それから月日は流れ…2019年の10月にさしかかったある日のこと。
ツイッターでフォローしている方の情報で
名古屋港に10月5日(土)・6日(日)に
名古屋港に寄港するという情報をキャッチ。

「しらせが…来る!」

今年は名古屋港と川崎港の2カ所。
2カ所のうちの1カ所が名古屋!
http://kyokuchi.or.jp/?press-release=%E3%81%97%E3%82%89%E3%81%9B%E4%B8%80%E8%88%AC%E5%85%AC%E9%96%8B%E3%81%AE%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B

※川崎港への寄港は10月12日(土)・13日(日)の予定でしたが
 台風19号の影響で寄港は中止。
 今年の寄港は結果、名古屋港のみとなりました。

「これは這ってでも行かねば!」
(もしもし、言い方…)

ということで10月6日(日)
快晴の中、名古屋ガーデン埠頭に向かいました。

今回は相方が車を出してくれて一緒に出掛けたのですが…
何しろ、名古屋港ガーデン埠頭エリアに来るのは…

「いつ振りですか?」

ざっと思い出す限りでも…

「えぇ、20年近く振りかも…」

さらに名古屋港近辺へは9割強、公共交通機関で出掛けていた私。
昼前に現地付近に到着するも…

「車、どこ停めるの?」

まずはそこから。
ちなみに公共駐車場は満車。
ということで徒歩数分ほどの距離にいくつかコインパーキングがありそちらに駐車。
(最大700円なので、まぁ良しとしましょう)

「あぁ…なんとなく思い出してきた…」

何しろ20年近く振りですからね。
「しらせ一般公開」の看板を確認し
南極観測船ふじを横目に埠頭へと歩いていくと…

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「タロとジロ」

第一次南極観測隊のレジェンドに出会いましたよ。

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せっかくなので、ふじをバックに撮ってみた。
(注:タロとジロが乗っていたのは初代しらせです)

私の南極好きはどこから来ているのかと問われれば、確実にコレです。

「映画 南極物語」

当時、小学校1年生の私。
同じ通学団の班長のお姉さんが「映画面白かったんだよ」と言う声と
当時、購読していた学研の学習では
映画 南極物語の紹介という名の
大々的なプロモーションがされており
「この映画展見たい」と思う小学1年生のユキヲ。

しかし、既に封切りから時がだいぶ経っており、
地元の映画館では上映されておらず
名古屋まで出ないと見る事はできなかったため
映画を見たいという私の熱意に根負けした母が
名古屋の映画館に私と妹を連れていってくれたのでした。

「私が小学1年生の頃だから…当時は80年代前半。
 映画館も入れ替え制ではなかったのですよ」

今でも覚えています。
名古屋の映画感に到着した時には既に本編が始まっていて
途中から映画館に入館したのです。
で、もちろん話が途中だから…
そのまま席に座ったまま、映画をもう1回最初から見た訳です。

「スクリーンで見る、鯱に襲われるシーンが凄い迫力で…」

今でも忘れられない。

という話をしながら、タロとジロの銅像を数枚とり
しらせにたどり着けない私達。

「早く行かねば」

そして向かった先には…

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「しらせ!」
堂々としたお姿ですよ。

一般公開の受付は午前9時から午後3時まで。
何しろ、初めての見学なのでどれぐらい所要時間がかかるか未知数。

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午前11時過ぎに乗船し、見学となりました。

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あちこちに「しらせ」の名前入りの備品などを目撃。

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「そしてこういう栓などを見てもときめく私」

先進みましょうね。

まず乗船して案内されたのが…

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「輸送ヘリコプターが離発着するデッキ」

ここでは、南極に関するものを紹介するエリアにもなっており

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南極の石

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南極の氷

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現地で活躍するスノーモービル。

さらには…
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南極に生息する生物のホルマリン漬け。

「あぁ、小・中学校の理科室思い出す…」

などなどが置かれていました。

乗船する際に、2つ折りのパンフレットをいただいたのですが…
そこにはスタンプを押印できるスペースが。

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2種類のスタンプがこちらに置いてあり押してきました。
どちらもペンギンがキュートです。
素敵デザイン。

親子で見学されている方に好評だったのが
海上自衛隊の制服やジャンパーなどの
お子さまサイズを試着し、写真撮影するコーナー。

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そしてこちらのペンギンのぬいぐるみと一緒に写真撮影できるコーナー。

ペンギンが意外と大きいです。

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奥では昨年の南極観測船しらせの活動についてダイジェストにまとめられた動画が
スクリーンに照射されて再生されており、多くの人が見入っていました。

11月に日本を出発し、オーストラリアの港に寄港し、物資などを積み込んだ後
一面流氷が広がる海に向かい、砕氷船という名の通り、氷をくだきながら
南極へと向かいます。

映像は10分少々だったと思うのですが
とても分かりやすく、南極に向かうしらせの活動の様子がよく理解できました。

ところどころに南極の様子や、しらせ本体を解説するパネルも…

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「ペンギンやアザラシが船を見にやってきます」の言葉に吹き出す私。

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「歴代の南極観測船のスペック紹介」

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「しらせの船内の解説パネル」

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「しらせ…新幹線と比較されるの図」

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そして調査のシステムの紹介もありました。

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こういうダクト系の走り方もワクワクしてしまう人。
(そしてあれこれ角度違えて撮影)

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成人式など、船の上で式をする際に使う台に掲げられたプレート。
素敵デザインです。

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さて、続いては…船内の各所を見学。
通路には、防災のためのホースやなども。

階段は幅が狭く大人から子どもまで、1列になって、基本的に見学は一方通行。
お昼にさしかかり見学する人の数も増えてきたので
前に進む人のペースに合わせて、階段をあがっていきます。

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できれば使う機会がない方が良いですが…
非常時に使用する船です。

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船の上から見る景色はまたいいですね。

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さて、やってきたのは…操舵室。
前方を眺めれば、気分は船員です。

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室内には様々な精密機械が並んでいます。
安全な航海を担う、しらせの心臓部分ですね。

船長の椅子は赤いシートとなっていて
こちらも撮影スポットになっていましたが
長蛇の列だったのと、ここは小さいお子さんの見学者に譲って
次の場所に向かうことに。

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出口にあったマットが素敵でしたので、思わず撮影。

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通路の脇もこんな具合。
こういう入り組んだ配管の光景とか、結構好きです。

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通路を歩いていくと…
日本の南極探検を切り開いた白瀬矗(しらせのぶ)のブロンズ像も。

さて、ここからはしらせの船員達が生活をする空間を拝見。

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理髪店で見かけるランプが目に入るこちらは「理髪室」
船員達は交代で互いの髪を切るそうです。

「懐かし理髪店の雰囲気です」

そして…

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「神棚」

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大事ですよね。

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「観測隊寝室」

随分昔に、繫留されている「ふじ」でも見たことがあるのですが
限られたスペースで快適に過ごすことができるようになっている空間です。

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「観測隊長公室」

さすが隊長の公室。ゆったりとした空間です。

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「来賓室」

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こちらの通路にもホースが設置されていました。
しっかりと防災のための設備が整っています。

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観測隊の現地の様子を紹介するパネルもありました。

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そしてライフジャケット。

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しらせの艦歴や、船長の名前を刻んだプレート。

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通路には、他にも様々なプレートが掲げられていました。

さて、通路で見つけたものがありまして…
モップなどの柄が飛び出しているので
たぶん、お掃除道具をまとめたボックスだと思われるのですが
そのボックスに、ある文字が書かれていたんですよ。

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「タロ」
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「ジロ」

映画「南極物語」ファンの私、ジーンとしてしまいましたよ。

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他には船内の生活では欠かせない、バス・トイレなども
くまなく船内を見学し…室外へ…

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はっ!

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「極地研究所のロゴが入った、日本南極地域観測隊の名が入ったコンテナ」

これに様々なものを積み込み、南極に向かうのですね。

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結局、私はゆっくり2時間ほどかけて、船内を見学してきました。

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憧れだった、現役の南極観測船しらせ。
見学でき幸せなひとときでした。


その後のおまけ…

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下船して近くの場所で、しらせのグッズが販売されていました。
私はコースターを購入。

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ちなみに相方は乗船時に、物販スペースで
自衛隊オリジナルのペットボトルのお茶を購入していた模様。

そして午後1時をまわり、すっかりお腹がすいてしまったので
近くのガーデンビル内にあるレストランで昼食をとることに。

すると…

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「窓から、しらせ!」

何度も写真を撮るので相方にあきれられました。
ほら、狙って窓側の席も座れる訳じゃないし
これもご縁というものでしょ。
せっかくなので、バシバシ撮影してきました。

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レストランでの昼食は海鮮丼でした。
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「10/5(土)恐竜が語るものー世界と北海道の研究現場からーNHK文化センター名古屋教室」 [今日のヒトリゴト]

NHK文化センター小林先生.jpg

NHK文化センターの名古屋教室では
以前から山田吾郎さんの1日講座や
先日も川上和人先生の講座に参加したり
https://yukiwochannel.blog.ss-blog.jp/2019-09-29

何度かお邪魔しているのですが…
今回は子ども科学電話相談でも大人気の恐竜の先生としてもおなじみ。
小林快次先生の1日講座。やはり人気の先生ということもあり、
私が今まで参加した講座の教室では一番大きな教室でした。

参加されている方は、恐竜大好きキッズ&お母様という
コンビで参加されている方が多かったように思いますが…
とはいえ、私のような大人の参加者もいたので自分は少しホッとしました。
さて、スタッフさんより最初からご説明が…
というのもこの日、先生は名古屋教室での1日講座終了後に、
北海道でのシンポジウムにネットで参加ということもあり、
今回はサイン会や写真撮影のお時間が取れない旨のアナウンスがありました。
※後ほど調べたのですが…
確かに、午後3時終了の名古屋教室の講座の後、
30分後にこちらの特別講演会に参加されたもよう。
https://hokkaido.ipsj.or.jp/info2019/

さて、説明の後は…小林先生、ご登場です。
9月にゴビ砂漠まで発掘調査に出掛けられていたということもあり
ご登場された先生の肌は、やや小麦色にも見えました。

冒頭、先生からの第一声は…
「はじめにお詫びしないといけないのですが…
 実は今日、ダブルブッキングをやらかしまして
 北海道大学での特別講演会はネットでの参加
 ということを了承していただき、名古屋に来ました」
とのこと。

この夏は東京・上野の国立科学博物館にて展示されていた
通称「むかわ竜」が新属新種と判明し、9月に晴れて
「カムイサウルス・ジャポニクス(Kamuysaurus japonicus)」と命名され、
各メディアへのご出演などで多忙な小林先生。
https://www.hokudai.ac.jp/news/2019/09/-kamuysaurus-japonicus.html

いやもぅ…名古屋に来ていただいて
お話していただくだけでもありがたいです。

「カムイサウルス・ジャポニクスと命名されてから
初めてこうした場でお話しをするので今日はむかわ竜のことを
95%ぐらいのことはお話できると思います」
と、これまで論文公開まではお話ができなかった「むかわ竜」について
今回は配慮することなく発言できる嬉しさなのか、
小林先生も朗らかにトーク開始となりました。

最初は、むかわ竜の発見された際のお話をざっくりと。

以前にも放送されたNHKスペシャルなどで
そのくだりはご本人も登場して再現映像として紹介されていたので
ご存じの方もいらっしゃるかとは思いますが…

むかわ竜の化石の事の始まりは
2003年に北海道むかわ町の函淵層で、
生まれも育ちもむかわ町で
化石採取数は海の動物を中心にゆうに数千個を超えるという
アマチュアの化石愛好家である
堀田良幸さんによって発見された7〜8センチほどの化石。
堀田さんは早速、穂別博物館の学芸員の櫻井和彦さんに知らせ
現場に二人で向かい、いくつかの背骨の化石を発掘。
さぁ、ここから研究かと思いきや…
「海の爬虫類である首長竜の化石かも…」ということで、
しばらくはバックヤードに保管されていたとか。
これには理由があり、むかわ町があった場所は
古代には大陸から10kmも離れていた海の中。
実際に以前に発掘された化石も
海の大型爬虫類である首長竜であったことから
櫻井さんは「これも首長竜かも」と
判断し、結局7年ほど保管することになったそう。

月日は流れ…2010年になって突如、思わぬ展開に。

福島で発掘された首長竜が新種であることを明らかにした
首長竜の世界的権威である東京学芸大学の
佐藤たまき准教授。
佐藤先生は、マイナーな首長竜を研究するため、
「発掘された当時は日の目を見ない化石にも何か新発見があるかも」と
全国各地の博物館の収蔵庫を訪ねては、
過去に発掘された化石などを再調査。
その中で、穂別博物館に立ち寄った際に
化石愛好家の堀田さんが発掘した化石を鑑定。
最初は「珍しいタイプの首長竜かも」と思った佐藤先生。
その化石を持ち帰り、クリーニングをしたことろ…
「ちょっと予想と違うな」
首長竜とは違う特徴が出てきたため
(骨にある血道弓が首長竜はハの字のはずが、くっついている恐竜の特徴であったため)
「これは恐竜かも」ということとなり
その事態を伝えられた穂別博物館の櫻井さんは、
当時、北海道大学の准教授で恐竜がご専門の小林先生に鑑定を依頼することに。
小林先生は、鑑定依頼のメールに添付されていた
発掘された化石の画像をひとめ見て「これは恐竜だ」と確信。
すぐに「明日伺っていいですか」と返信されたそう。
そして翌日、穂別博物館に到着し、現物を見た小林先生は…
「続きはどこですか?」と言葉を発し
穂別博物館の櫻井さんをはじめとする周りにいた人は
「この人、何言ってるんだろう?」という反応だったとか。

そして2012年に小林先生をはじめとする関係者で
発掘された現場に足を運び、発掘してみると…

「まだ化石が出てくる!」

ということで…
関係者の説得により、2013年には、
むかわ町より発掘の予算も取りつけて発掘調査となった訳です。

小林先生いわく
「大きなサイズの恐竜というのは骨が消失しやすい傾向にあるのですが
その点、むかわ竜は状態の良い化石となって発掘されました」とのこと。

さて、むかわ竜を専門的な視点から見ていくことに…

むかわ竜は分類上は、鳥脚亜目となるそう。
その鳥脚亜目中での代表的な恐竜と言えば…

「イグアノドン」

他には…という先生の問いかけに

「ヒプシロフォドン!」
「パラサウロロフス!」

と、ワイドサラウンドのように
教室内にいる複数の恐竜キッズから唱えられる代表的な恐竜の名前。

「リアルタイムで来た。呪文タイム!」

説明しよう。
呪文タイムとは…
子ども科学電話相談にて
小林先生と恐竜好きなキッズとのやりとりから
恐竜の名が次々とあがるものの
恐竜に対しての知識が乏しいツイッター上の
大きなお友達(大人のリスナー)が
複数の恐竜の名が呪文のように聞こえる状況を指す言葉です。

ちなみに鳥脚亜目の恐竜の特徴はいずれも草食性で
二足歩行または二足と四足の併用をしていたというところ。
ジュラ紀前期から白亜紀後期まで地球上の各地で生息していた恐竜です。
※参考:福井県立恐竜博物館・恐竜図鑑
https://www.dinosaur.pref.fukui.jp/dino/dic/Ornithopoda.html

で、その鳥脚亜目を代表するイグアノドンについて、
その親指を常に上げている状態から
「ヒッチハイクをしているようだ」と
例える先生のお話に笑いがこぼれる教室内。

ちなみに今回の講座の主人公でもある「むかわ竜」は
ハドロサウルス科に属しているのであります。

ハドロサウルス科は鳥脚亜目の中でも、
最も成功したと言われる植物食性の恐竜だそうで
口の中にぎっしりと敷き詰められた歯を使って
食べ物をすり切って食べるという特徴があるそう。
(ちなみに、ぎっしりと敷き詰められた歯は、生きているうちに
 生え替わり続けて、虫歯知らずなのだとか。
 この状態は「デンタルバッテリー」と呼ばれるそうです)

そこで食用としていた硬い葉などをくちばしでつまんで、
口の中に入れて、すり切って食べていたとか。
つまり、他の恐竜よりも植物を食べるのが上手で、
先生いわく「とさかがないオシャレ恐竜」だそう。
ちなみにとさかのあるタイプを「ランベオサウルス亜科」と呼ぶそう。

歯をすりつぶして食べる植物食性で現代に生きる動物に置き換えると
馬、牛、ゾウ…あたりですが…
ハドロサウルス科の恐竜は、ソテツ類などの硬い葉を食べていたことからも
それらをすりつぶしやすい、まるで洗濯板のような歯の形状をした
高機能な歯を持っていた恐竜だったとのこと。
「つまり、スーパーベジタリアンな恐竜ということですね」
先生、例えがお上手ですねぇ。

先生の例えの旨さは、さらに続きます。
というのも…
ハドロサウルス科の恐竜の特徴を
さらに知る上でポイントになるのが…

「とさか」

小林先生の解説がとても分かりやすかったので
その説明を書いてみようかと。

ハドロサウルス亜科は、大きく4つに分けられるそう。

・ブラキロフォサウルス類は「オールバック恐竜」
(ちなみに名前の意味は「短いとさかのとかげ」という意味)
・クリトサウルス類が「鼻先が高い魔女恐竜」
・エドモントサウルス類は「ニワトリ恐竜」(とさかが肉で出来ている)
・サウロロフス類は「ちょんまげ恐竜」(ちょんまげに似た突起があるから)

その4つの中で、むかわ竜はエドモントサウルス類に属するそう。

ただし、ここからが重要で…小林先生のお話では

「むかわ竜の不思議なところは、エドモントサウルス類なのに
 ブラキロフォサウルス類、クリトサウルス類、サウロロフス類の
 要素も持ち合わせているところなんです」

それについては、むかわ竜でしか見られない特徴があるとのこと。

それを語るポイントとして挙げられたのがこの部分

方形骨
(方骨とも呼ばれ、上顎骨と角骨などの下顎の骨とを関節する役目を持つ骨のこと)
上角骨(下顎の後ろにある骨のこと)
胴椎骨(胴部分の脊椎の骨のこと)

方形骨は、この骨の窪みが本来なら真ん中あたりにあるのが、かなり下にくぼみがある。
上角骨は、その骨の上に伸びる突起が短い。
胴椎骨は、上に伸びる突起(神経棘〈しんけいきょく〉)が
通常は、体に対して後ろに傾いているのに、前に傾いている。

このことから、むかわ竜は、新種という決め手になったそうです。

参考資料:穂別博物館:プレスリリース

さて、続いては…むかわ竜の学名
「カムイサウルス・ジャポニクス」と決まるまでのお話。

これまでにも日本では様々な恐竜の化石が発掘されています。
例えば…
兵庫県丹波市で発掘された「丹波竜」
そして福井県勝山市で発掘された「フクイサウルス」

どの恐竜もその発掘された場所が分かるよう、
名前の頭にはだいたい地名が付いています。

実はむかわ竜も最初「ムカワ…サウルス」
という名前が地元をはじめ周囲から真っ先にあがったとか。

しかし、小林先生としては、地方に留まることのない
名前を付けたいという思いがまず最初にあったそうで
むかわ竜に日本を代表する恐竜という名を考えることに。
とはいえ覚えやすい名前というのは何より重要。

さて、どうしたものか?

ここで最近の命名の傾向について。
その国にちなんだ神様の名前を付けるのがトレンドとのこと。

そこで小林先生は、化石が発掘された場所である
むかわ町が属する「胆振地方」に目をむけることに。

この胆振という地域は、アイヌ民族とのつながりが強い地域でもあり
そこで先生が引き出した言葉が「アイヌ語」
アイヌ語で「神」を意味するのが「カムイ」なのです。
カムイと言えば…
最近では、野田サトル氏のマンガ「ゴールデンカムイ」により
若い世代にもアイヌ民族が多く知られるようになりましたね。

「これで、胆振らしさが出るのでは?」

と、先生は着地点を見いだして、アイヌ協会の方からも快諾を得て、
晴れて「カムイ」の単語が使えるようになったとか。

さて、恐竜の学名によく登場する「サウルス」は
ラテン語で「とかげ」を意味します。

さらに…日本を代表するということで今回名前にある「ジャポニクス」
先生いわく「本当は、『ジャポニカ』が良かったんです」と裏話。

ジャポニカと言えば…

「ジャポニカ学習帳」を真っ先に思い浮かべてしまった私。

先生も「あの、ジャポニカ学習帳でおなじみの…」と説明していたので
ホッとしました。ほら、ラテン語ってあまりなじみがないのでね。
さて、なぜ今回「ジャポニカ」にならなかったかというと…

「男性名詞・女性名詞問題」

なんですね。
そう、ラテン語にも男性名詞、女性名詞があるんです。

生物・古生物の学名は一般的にラテン語で表記されることが多いです。
(以前、大英博物館の展覧会が国立科学博物館で開催された解説パネルでも
 日本語名、英語名、学術名(ラテン語)と3種表記されていたような…)

「ジャポニカ」(女性名詞)にする場合は
サウルス(男性名詞)ではなく「サウラ」(女性名詞)
にしないといけない訳ですね。

ということで…「日本の神トカゲ」
の意味を持つ「カムイサウルス・ジャポニクス」
この名前に落ち着いたという訳です。

サウルスとサウラの違いについては…あの神回を思い出した私。

子ども科学電話相談ファンの方なら覚えていらっしゃるでしょうか?
2018年8月2日に北海道在住のさわちゃんが質問した回。
「さわ(私)が恐竜の化石をみつけたらサワサウルスってつけていいですか?」
https://www.nhk.or.jp/radio/kodomoqmagazine/detail/20180802_05.html

『さわちゃんは女の子だから「サワサウルス」じゃなくて
 「サワサウラ」になっちゃうけどいいかな』
という小林先生の回答が記憶にある方もいらっしゃるかも。

その問いに対して、さわちゃんが「いいです」とお返事したら
間髪入れずに小林先生が

『じゃあ、決定だ。じゃあ恐竜みつけにいこう』

という声かけに、大きなお友達がジーンとしたという。
この質問たしか2018年の再生回数、1位だったかと。

あ、話それてすいません。

最後に、むかわ竜の住んでいた場所についてのお話も。

1億3000万年前、日本と中国大陸はつながっていたそうで…
今回、北海道で発掘された「むかわ竜」も
海岸線沿いに生息していたと言われています。
それから、地殻変動などの造山運動を経て、
盆地が形成されたりするうちにそれぞれの地域に分かれた恐竜たちが、
それぞれ独自の進化を遂げていくのだとか。
このことが、ハドロサウルス科の多様化にも
つながっていったのではないかとのこと。

「つまり、これがむかわ竜に他の恐竜のタイプを併せ持つ
独特な恐竜になったことにもつながる訳ですね」

ちなみに小林先生のお話では、
むかわ竜は北米から渡ってきたと考えているそう。

子ども科学電話相談などを拝聴している方ならご存じかもですが
小林先生はアラスカとゴビ砂漠を中心にフィールドワークに出掛けられています。
最初にこれを知った時には単純に
「先生、世界を飛び回っているなぁ」という印象だったのですが…
今回の先生のお話を聞いて
「だから先生はアラスカ(北米)と
 ゴビ砂漠(中国大陸)で発掘されていたのか!」と腑に落ちました。
(私、あまり古生物には詳しくないので…すいません、気がつくのが遅くて)

さて、続いては…先生のフィールドワークの様子を拝見することに。

小林先生は、愛用のパソコンを使って
フィールドワークに出掛ける様子や現地の発掘の様子などを
豊富な画像や動画などを披露してくれました。

先生がよく子ども科学電話相談で
「アラスカへ、フィールドワークに出掛けてまして…」とお話していますが
その場所というのが、アニアクチャック国定記念物・自然保護区内の
「チグニック層」という場所。

この場所、海岸線の崖で引き潮になると30mほど海岸が現れるそうで
そちらで恐竜の足跡を中心に調査しているそう。

小林先生の新刊「恐竜まみれ」の冒頭でも
野性の熊「グリズリー」に遭遇して危機一髪の体験が書かれていますが
こちらのチグニック層を中心とした、まさにその場所。
なので、グリスリーに気をつけながらフィールドワークをされていたそう。

ちなみに、ドローンを使った空撮の動画も見せてもらいましたが
このドローンでの空撮、実はとても優秀で、
地形の凹凸や層の細かい部分まで分析できるのだそう。
ここから、実際に脚を踏み込めないエリアの化石の発見につながったりするそうで
「技術の進歩は古生物の解明にも繋がっているんだなぁ」と
お話を伺いながら、その精巧に3DCG化された
チグニック層の映像を拝見し、しみじみする私。

と、ここで小林先生からフィールドワークの必須アイテムについて…

・双眼鏡
・笛
・熊スプレー
・散弾銃
・ゴミ袋(黒色で不透明なタイプ)

双眼鏡は、遠くの様子を見るため。グリズリーを警戒するためにも欠かせません。
笛は、山に入る時に付ける鈴のようなもので、常に音を出すことで熊への警告の役割。
熊スプレーはその名の通り、熊を撃退するスプレー。
散弾銃は、銃身が短く、軽量化されており、
常に携帯し、あくまでグリズリーを威嚇するために使うもので
グリズリーを仕留めるためのものではないとのこと。
(仕留めるには、これより銃身が長く、
 威力が高いものでないと巨大なグリズリーは倒せないそう)

さて、ここで先生より問題。

「ゴミ袋は何に使うでしょう?」

ゴミ袋ですよね?
グリズリーを撃退するのに効果的な使い方とは?

「これ、広げると大きくなりますよね。
 広げることでこちら側の姿を大きく見せるんです」

ほぉ。なるほど。
自分より大きな姿に見せることで
熊が「あいつ、俺よりでかいかも…」って思わせる訳ですね。
ゴミ袋にそんな使い方があるとは…

さて、続いては地層から様々なことが分かるというお話。
地層を観察しながら実際に歩くことで、発掘された植物の葉の化石などから
生息していたであろう恐竜やその気候や降水量なども分かるそうで
先生がさきほど紹介していたアラスカの「チグニック層」は
地層が斜めに剥き出しになっていて
南側には古い地層、そこから北へと進むことで新しい地層になっているそう。
この古い地層から新しい地層への変化が見てとれるというのがポイントだそうで
時間の経過で気候などの環境の変化も分かるそう。

ちなみに…
河川だった場所で発掘される恐竜には子どもが多く、
海岸だった場所で発掘される恐竜には大人が多いそう。
このことからも、様々な生態系の推測ができることを説明されていました。

さらに小林先生が、アラスカに調査に出る理由として
アラスカよりユーラシア大陸へ渡る恐竜の足跡をたどっているとの説明が。
アラスカは生物が生きるのに厳しい環境だったかどうか気になっていたが
発掘された化石など、様々な側面から過去の分析をすると
意外と暖かかったことが分かってきたそうです。

例えば…
以前調査されていたノーススロープを分析をしたところ
最高気温12度、最低気温はマイナス4度と
ほぼ北海道ぐらいの気候と降水量だったそう。
そう考えると古代のアラスカの環境が身近なものに感じられますね。

最後は、モンゴルのゴビ砂漠での調査の様子を
画像とドローンで撮影した動画でご紹介してくださいました。

子ども科学電話相談ファンの方なら
9月14日(月・祝)に「恐竜博リターンズ」と題して、
藤原慎一先生、田中康平先生をゲストにお招きして放送された回で
衛星電話で「ゴビ砂漠で白亜紀後期の恐竜を発掘中です」
とお話されていた小林先生のお声をご記憶されている方もいらっしゃるのでは?
https://www.nhk.or.jp/radio/magazine/detail/kodomoq20190916.html

ゴビ砂漠は気温差が大きく、
昼間、晴れている時には半袖1枚で大丈夫だそうですが
朝晩はダウンジャケットが必須だそう。

この時は小林先生を含む、学部生の6名の計7名が日本のチームとして
発掘調査にあたられていたそうです。

この講座でもお話されていましたが、モンゴルから食糧を持参して
コックさんも一緒に来てもらっているので
毎日のフィールドワークには、しっかり食べて、出掛けているそう。

ドローンで撮影された発掘場所の動画では
先生を含む学部生の方々が2。3カ所に点在し、
発掘に熱心に取りかかっている姿も。

「本当、何も遮るものがない赤土の地面が広がる大地」

壮大だわ。

そして余談として…
「最近話題になっているク○イジージャーニーですが
 僕のはヤラセじゃないですからね」と
小林先生、爽やかに語られてましたが…
「恐竜まみれ」を読めば、やらせなどなく、
 現場の最前線で常に頑張っていらっしゃることは
 皆分かっていると思いますよ、先生。

ということで90分の先生のお話は、あっという間に終了となりました。

さて、冒頭で先生ご自身より、ダブルブッキングにより
この後、ネットでの北海道大学による講演が控えているとご説明があった通り
小林先生、早々にご退室となるはずが…
今回の受講者の半数近くは恐竜キッズだったこともあり…
講座終了後は、あっという間に歩み寄るキッズ達に囲まれる小林先生。

先生は、「10分程なら…」とスタッフさんに耳打ちして、
先生の著書を持参したキッズにサインを、
恐竜博に出かけた感想などをまとめたノートを持参したキッズと
言葉を交わして一緒にお写真を撮ったりされていて…

「何とも尊い光景」

未来の恐竜博士達の憧れの人であることを
改めて感じた場面でした。

ということで長くなりましたが、レポートはこれにておしまいです。
長文のおつきあいありがとうございました。

※古生物が専門分野ではないため、
講座の覚えている範囲のことに加えて
以前にNHKスペシャルなどで放送された内容を中心に
補足しながら書き綴りました。
そのため、書き損じ等々があるかもしれません。
何卒ご容赦ください。
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「8/25(日)秘島探検!鳥と進化のふしぎ〜世界自然遺産・小笠原諸島〜 NHK文化センター名古屋教室」 [今日のヒトリゴト]

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NHK文化センター名古屋教室。
8/25(日)秘島探検!鳥と進化のふしぎ〜世界自然遺産・小笠原諸島〜
噴火の活発な西之島などの鳥類をモデルに特殊な環境での
生物相の成立や進化など「島の生物学」の魅力を伝える
#バード川上 こと #川上和人 先生による単発の講座。
5月に中野で行われた講演と同じ内容だったようです。
覚えている範囲でのレポートですがご興味あればお付き合いください。

講座の開始時刻は午後1時。
「2分前に入室してくださいと言われたので…」と、スタスタと川上先生ご登場。
まだ開始時刻まで時間があるということで…最近あった出来事より話がスタート。
川上先生は、9/1(日)〜11(水)の西之島の調査のため、
現在水泳訓練などをされているそうで…
そんな中で先日、どういう訳か、右手人差し指を切ってしまったそう
(結果、3針を縫う自体に…)
その際に、圧迫して止血するも、全然血が止まらなかったため、
心臓より上に指をあげて止血することに。

負傷した指が右手の人差し指→天を指差すように右手を上げる
となると、左手は自然と腰の位置に…
結果としてサタデーナイトフィーバー状態となる川上先生。
他に参加される調査隊員からも
「川上さん、楽しそうですねー」と声をかけられ、
結果として水泳訓練が和んだのだとか。

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先生がその様子を再現するジョントラボルタ並みのポーズに
教室内の参加者より笑いが溢れ出す。
いやもぅ、冒頭から楽しいです。

さて、本日のテーマ、世界自然遺産・小笠原諸島。
最初に「小笠原諸島に行ったことがある人、手をあげてください」
という先生のお声に数名ほどの方が手を挙げる。
そして小笠原諸島と聞いて一般的な方々が思い浮かぶのがイルカだそうで…
「でも、イルカがいるのは小笠原諸島ではなく海なんですよ!」と力説する先生。
さて、そんな海鳥も生息する小笠原諸島についてまずは基本的な特徴から。

「小笠原諸島から本土に一番近い直線距離の本土の羽田から聟島列島まで、
だいたい約890kmぐらいなんですよ」
とまずは、小笠原諸島の基礎情報を交えつつ、
日本の本土のような大陸プレートにある島と、
小笠原諸島のような海洋プレートの上にある島の違いから、
そこから派生して、生物の移入の難易度の違いなどの説明に。

例:島の面積が大きかったり、移入前の場所から近いと生物の移入は多くなり、
逆に島の面積が小さかったり、移入前の場所から遠いと生物の移入は少なくなる。
さらに固有種、固有亜種の違いについても説明される。

そして小笠原諸島の鳥類相(ある特定の地域内に住む鳥類全種類のこと)
に注目することに。

起源は多様で移入と絶滅の繰り返しをしながら常に変化しており、
ここではバンという鳥について先生が一例をあげていました。

そして小笠原村の村章を出しつつ、メグロについて話が進みます。

ogasawara.png

「これ、シラスじゃないですよー!メグロで小笠原の
「小」の漢字を象っているんですよー!」と先生。
はい、素敵なデザインです。

例えば「メグロの不自然な分布」について。
母島、向島、妹島とそれぞれメグロが生息しており、
中でも母島と向島はたった4kmほどしか離れていないのに、
ハプロタイプ(DNA)が違うという事実。
ここから移動性に低下が見られるということが分かるという先生。
島には捕食者や競争者が不在ということで死亡率が低下するのだそう。
すると、同じ種類の鳥同士での競争は激化するけれども
だからといって他の地域に移動することは、
生物にとって分散は死に近くなるので、定住する率が高くなるのだそう。
結果、それぞれの島のメグロの定住率が高いのではないかとのこと。

そして小笠原諸島の鳥の特徴として、本土と比べ、
地上で生息している捕食者がいないことから、
鳥達は地上を歩いて、餌をとったり、巣作りするなど、
地上で生息するようになったのだとか。
(なので、逆に言うと外から猫など地上性捕食者が介入すると
元々、島で生活していた鳥達にとっては危険だということです)

そんな中で先生は…
「海鳥って、地味で見分けがしづらいですよね?
でもメリットもあって…ほら、カラー印刷からモノクロ印刷になっても…
海鳥って分かりますよね?」
(と、スクリーンにカラーとモノクロの海鳥の写真を披露する)
これを見た教室内の方々からは笑いが生まれていました。

さて、いよいよ先生が以前に調査のために上陸した南硫黄島についての解説に。

先生達はアカテツが生い茂る部分を「アカテツパラダイス」と名付け、
通称「アカパラ」と呼んでいたそう。
この「アカパラ」、海鳥が多く生息しているんです。
というのも…崖下での巣作りは落石もあるから危険。
海鳥たちも分かっているんですね。

ちなみに鳥たちの生息エリアとして良い環境は、
森林>ブッシュ(人間の腰あがりまでの高さの植物)>崖
の順番だそうで、やはり崖は危険ということなんですね。

さて、先生達がテントを張っていた
海岸沿いのところは危険な箇所だったそうで
通称「死の廊下」と呼んでいたそう。
というのも、海からは高潮に見舞われ、
背後の崖からは落石に見舞われるということで
海岸線と崖からそれぞれ数メートル離れた場所
(そこがすでにテントを張るぐらいの面積しか残っていない)に
テントを張るしかなく、そこで眠っていましたが、
海辺の落石と思われる石を見る限り、相当尖っており、
現在も相当数の落石があると見受けられ、
テントで就寝の際もヘルメットをかぶって寝ていたそう。
そんな緊張感ある海岸沿いの部分はいつ落石があるか分からないため、
その海岸沿いを通り、アカパラまで向かって海鳥の生息調査などをしていたそう。

海鳥は島に栄養を運んでくれているという先生。
どういうことかと言いますと…

海鳥は海で魚などのえさを捕獲し食べます。
そして巣作りをした島へと戻って、糞尿は島の土地で済ませます。
となると窒素やリンなど海の栄養を含んだ糞尿を島の土地に置く訳ですから、
結果的には海の栄養を陸に揚げることになっているという訳です。

「自然のしくみというのは…上手くできているんだなぁ」

結果、南硫黄島は、無人の島ですから、この作用の効果が非常に早く進んでいるとか。
島の生態系の変化など、今後の南硫黄島の環境の移り変わりが楽しみですね。

他に余談として…
調査船で釣りをするスタッフの方もいて、
それなりに釣れるとのことなのですが…
時に、頭部しかない魚が釣れるとか…

「つまり…こういうことですね」

と、川上先生が告げながらスクリーンに映した画像がこれ。

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フロア内、大爆笑。
そうでした…川上先生、サメの映画大好きなんですよね?(笑)

そんな訳で…先生のお話は終了。

最後は参加された方より質問を受け付けて、先生が答えることに。

先生のトークや著書で披露されるテンポ良い語り口に感心された参加者から
普段読まれている本などを教えてくださいという質問に、
「ミステリー小説を読むのが好きで、
現在はスウェーデンの作家のミステリーを読んでいます」と川上先生。

そして、東京ロストワールド、ダーウィンが来た!を視聴した参加者から、
先生がキャンプをされていた場所に飛び込んできた鳥たちに
川上先生が足輪を付けていましたが、
これはどのように活用されているのですか?という質問には
「私が付けていた足輪には、番号が入っていて、
この番号をインターネットで検索すると、
いつ、どの場所で見つけた鳥かという情報が分かるんですね。
なので、足輪を付けた番号については後日、登録ページの方に、
南硫黄島で何年何月何日に捕獲した鳥に足輪をつけましたという情報を
入力するんですね。これをすると今度、私が足輪を付けた鳥を見つけた人が
検索すると『これは南硫黄島で最初に見つかった鳥なんだな』ということが
分かるんです。私が南硫黄島で足輪を付けている時にも、
10年前に別の島で足輪を付けられた鳥と遭遇して、
別の島から南硫黄島までが行動範囲になっていること、
そして以前、足輪を付けてから10年生きていることから、
鳥の寿命も分かったんですよね」

なるほど。そういう意味があったのですね。

専門的には「鳥類標識調査(バンディング)」というそうです。
およそ100年前にヨーロッパで始まった調査方法だそうですが、
現在も世界各地で盛んに行われているそう。
足輪の詳しい内容が公益財団法人 山階鳥類研究所のHPで紹介されていました。
http://www.yamashina.or.jp/hp/ashiwa/ashiwa_index.html#04

この足輪をつけての生態調査の説明に合わせて川上先生からは
別のタイプの生態調査についても解説がありました。
「現在では、人工衛星などを利用して、
動物本体に発信器などを付けて鳥の移動経路を調べたり、
あとカメラなどをカラダに付けて、
どういう場所を移動しているのかを詳しく調べる方法などもあります。
ただ、この場合は機材を回収するという作業も発生しますし、
小型化された機材は高価でもあるので、頻繁に実施するのは難しいです」とのこと。

たしか以前、国立極地研究所の渡辺佑基さんが
ペンギンの背中にカメラを取り付けて調査される様子を
情熱大陸で紹介されていましたね。
(この調査方法は、バイオロギングと呼ぶそう)
地道な調査から鳥の生態や島の環境の変化など
色々なことが分かるんだなととても勉強になりました。
何より、子ども科学電話相談のトーンそのままの
テンポ良い解説の川上先生のお話はとても楽しく、あっという間でした。

先生はその後、9月から西之島の調査団の隊員として出発され
調査をされていました。

9月のある日の日曜日。
毎週の習慣と化している子ども科学電話相談を聞いた後、
お昼の12時のNHKニュースをぼんやり見ていたら…
西之島に向かう調査隊が出発するというニュースが流れてきました。

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「これ、川上先生がメンバーの調査隊では?」と思って見てまして…
赤いシャツ着た方がいらっしゃると思ったら…


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安定の川上先生でした(笑)

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調査チームの出発の様子や、現地での調査の様子などは
ANNニュースでも放送されていたようですね。
西之島“手つかず”の生態系 調査へ出発
https://www.youtube.com/watch?v=UHT-pS-R9BY

西之島で生態系調査 上陸すると様々な発見
https://www.youtube.com/watch?v=J6B7jYQFDYQ

今度は西之島のお話も聞く機会ができるかな?
その日を楽しみにして、先生の著書を読んでいます。

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「親知らずを抜いてきました」 [カラダのはなし]

地元の歯科医院では手に負えない親知らずのため
紹介状をもらい名古屋の某大学付属病院に行く羽目になりました。
20代以来ですね。専門の病院で抜歯していただくのは。


「今日、親知らず抜いてきました」
https://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2005-12-02
「親知らず抜歯…その後」
https://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2005-12-04
「親知らず抜歯…その後2」
https://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2005-12-05
「親知らず抜歯…完結編」
https://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2005-12-12

結婚前でもう14年も前の出来事かと思うと
ゾっとするんですが…(何に?)

左上の親知らずは、ちょっと頭を見せつつも違和感はなく…
ただ、繁忙期など寝不足などが重なるとそこが痛む。
人間、体調が不良となるとそういう弱い部分に出てくるんですよね。
で、次第に親知らずの頭部が外に出てきたことから、
歯茎のくぼみが大きくなり食べ物が滞留しやすく
口腔ケアも難しくなったため抜歯となった訳です。

それにしても…
紹介状をもらい、大学の付属病院を初診でかかった訳ですが…
最初の診察は、初診対応専門の医師、
続いては…抜歯の担当医を決めるために状態を診察する医師、
そして最後に、抜歯の担当医と合計3人の医師の診察と
なんと、3人の先生に見てもらうという自身初の体験をしました。

「大学の付属病院ってこんな感じなんですよ…ね?」

以前、かかった総合病院ではこんなことはなかったからな…
結果、約3時間がかりましたが…ちょうど地元の図書館で借りた
月岡芳年(つきおか よしとし)の本を読んでいたので待ち時間も苦にならず。

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コレね。

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結構なボリューム。

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この頃、名古屋市博物館で開催されていた「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」
こちらを鑑賞前に図書館で借りた本がコレでした。
芳年の作品の特徴や題材になった歌舞伎や時代なども分かり
私は鑑賞の手助けになりました。
書籍自体サイズが大きく図版も多用されています。

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ただ…「血まみれ芳年」全開の作品が表紙になっている本を
病院の待合室で読んでいた自分…どう?(苦笑)

話それた…

まぁねぇ…大学の付属病院って外来に通う患者数も多いし、
ましてや土曜は待たされるのは覚悟してたけど、
初診で3時間とは…まぁ予想外でした。

ちなみに岐阜在住なのに名古屋にしたのは
抜歯は大抵平日にしか実施されないため
移動距離&その後のケアを考えると
職場に近い名古屋の病院の方が都合が良いから。
別に岐阜をディスる訳じゃないけど…
岐阜は車がないと生活できないような所なので
私みたいに普段、公共交通機関で県外通勤な人は
平日、バスに乗って市内の端にある大学の付属病院に通うなんて
時間読めないし面倒なんですよね。
ならば地下鉄で職場から20分で移動できる名古屋の病院の方が楽な訳で。

今回、私の抜歯を担当された先生は朗らかで素敵な女医さんでした。
抜歯は平日のみなので、なるべく仕事に支障が出ないよう、
4月5日の金曜の遅い時間に抜歯の予約をし、
当日は、午後過ぎまで仕事をした後に病院に。
麻酔をかけて意外とすんなり親知らずは抜けました。
今回は左上の奥で以前に抜歯した下顎と比べて痛みも少なめでした。

奥歯の下部分から頭突きするように生えていた左上奥の親知らず。
上顎洞にも相当接近しており開通も危ぶまれ
結果、大学の付属病院での抜歯。
色々と心配してましたが…麻酔後、ものの数分で抜けました。
私、拍子抜け。
「歯根が内に入ってますね」と親知らず見て話す先生に
『あ、ステップ踏んでるみたいですね』と返す私に吹き出す先生。

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※記念に歯はお持ち帰りしたけど…
 さすがにアップするのは憚られるので…
 メモ用紙にちょいちょいっと描いてみた。

抜歯をした翌日は状態の観察と抜歯した部分の消毒も兼ねて
翌日、再び病院に。
抜歯後、1日目としては非常に状態が良いと先生から言われ安心。
ただ心配なのは今後のこと。私が花粉症ということから
「鼻をかむ際は要注意」と先生。
鼻をかんだりすると圧がかかり上顎洞と開通の恐れもあるからだそう。


これまでに20代に左下、
30代に右下(これは今お世話になっている地元の歯科医院で抜歯)
そして40代で左上と段階的に抜歯した訳ですが…
右上の親知らずも今回抜歯した左上同様、
すでに頭が見えており、こちらもいずれ抜歯する予定。
とはいえまずは今回抜歯した左上奥歯でモノが噛めるようになるまで回復しないと無理。
ということで、しばらくは様子見です。

抜歯したらしばらくは飲食もままならないので、
抜歯する前は、色々と食べ納めしましたねぇ。

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職場の同僚と某有名焼肉店のお弁当デリバリーして食べたり。
で、同僚の子達も抜歯当日なんか
「今日、抜歯するんでしょ?これあげる」とお菓子色々くれたりするし…
なんだか上京する孫にごちそうする祖母みたいな感じで笑ってしまいました。

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そうそう、固めのパンとかもしばらく無理だろうなぁと思って、
ちょうど残業も続いて野菜不足な気もしたので、
大好きなサブウェイで大好物のえびアボカドのサンドを食べましてね。
ハニーオーツのパンが好きなので大抵それをベースに野菜は上限まで。
ピクルスなども適度に入れていただきました。

そんなこんなであれから1ヶ月…

まぁ、ありがたいというか慎重というか…
今、お世話になっている地元の歯科医院の先生が
非常に丁寧な方で、週1ベースで奥歯のチェックをしてくださるので
定時に仕事を終えて通院するのがやや辛いです(苦笑)
下奥歯の親知らずを抜いた時に比べると
穴が相当深いためか、食べ物がつまりやすく
炎症につながる可能性があるから大事をとってのようです。

最近、久しぶりにブログを更新し始めたのは
たまたまトークショーのようなイベントに行く機会が多くて
短文で綴るSNSでは、文章がぶつ切りになってしまって
読みづらかったという物理的理由がひとつ。

もうひとつは…
20代の頃、初めて親知らず抜いた時の話を自分がブログに
書き留めていて、それを改めて今回読んで
「残す」ということも結構、大切だなぁと。

実は30代の時にも地元のかかりつけの歯科医院で
右奥歯の親知らずを仕方なく抜歯したのですが…
(仕方なくというのは、
 歯茎が腫れて早々に処置した方がベストだったので)
その時は短文で綴るSNSにつらつら書いてたんだけど、
なにぶん数年前の話なので
すっかりタイムラインの藻屑と消え…
「あれ、あの時、どうだった?」状態になったので。

ただ、記憶に残っているのは下奥歯の親知らずは抜歯後
何するにも響いて痛みが走ったし、
食べるのにも苦労したこと。

それが今回の左上奥歯の親知らずに至っては
「上の方の親知らずは楽っていうけど…」
確かに出血が止まらずで最初は焦りましたが…
次第に止血し、気がつけば使える右の奥歯で
普通にモグモグ食事していました。
(ただし、抜歯翌日などは、雑炊やゼリーなどを中心に食べ
 用心していましたが…)

この3年近く、長文を書く気力がすっかり失せていたのは
まぁ、メンタル的なダメージを受けた部分も理由のひとつだと思うけど
(約3年間、通院から逃れられない環境と、家族を亡くすというWパンチだった)
そうはいっても、せっかく楽しいことや貴重な経験をインプットしたのに
それをアウトプットというか、「残す」ことをしなかったので
自分を振り返ることが全くできなくなっていた。
(まあ、手帳に大きな出来事などは書き留めてはいるけど
 あくまでイベントのタイトルぐらいなので…
 例えば、XXのライブに行ったとか…そういうレベル)

「気持ちを浮上させるために出掛けた演劇鑑賞とかも
 その時は楽しかったはずだけど
 結局、手元に残ったパンフレットとかしか
 振り返る手立てが無いわけで…」

あと、短文のつぶやきに慣れると
文章を綴るパワーもだけど、推敲の忍耐力などなどが
落ちるなぁと実感。
(だからって、このブログを頻繁に更新していた頃、
 文章を綴ることが上手かって言われたら、
 決してそうでもないけど)

ただ、短文で綴るSNSの良さはコールアンドレスポンスの早さかなとは思う。
目に見えて読んでいる人、感じている人が見えるっていうのは。

「それが昔はブログだった訳で…」

まぁ、反応の早さが故に疲れる場合だってあるけれども。

世の中すっかり、SNSと言えばツイッターやインスタグラムなので
このブログもどれぐらい見てくれる人がいるか分からないけど
たまには更新しようと思います。
自分への戒めも含めて。

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「いだてんトークリレー in 岐阜県中津川市 かしも明治座」 [テレビのはなし]

全国各地をリレーするように開催されている
「いだてんトークリレー」

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岐阜県中津川市は可児徳さんの故郷でもあります。
ということで古舘寛治さんご登場。
往復はがきで応募したら…
当選しまして…先日、張り切って出かけてきました。

会場になった、かしも明治座。
もう少し走ったら長野県だからね。岐阜は広いのよ。
岐阜市からだと、高速を使うと中津川までは約1時間30分ほど。
ちょうど出掛けた頃は、山の方はまだ桜が満開でしてね。

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いだてんトークリレー会場となったかしも明治座
先日、4/5のEテレ「にっぽんの芸能」で
「七之助歌舞伎の里に舞う」でも紹介されていたので
ご存じの方もいらっしゃるかも。
https://www4.nhk.or.jp/nippongeinou/x/2019-04-05/31/1889/2142389/
築125年の歴史ある芝居小屋で、地元の人達が出演する
「地歌舞伎」が年1度開催される場所でもあります。

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ちなみに…中村七之助さんは、かしも明治座名誉館主。
(その前の名誉館主はお父様の勘三郎氏)

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明治座の表の入口にはサインも。

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舞台には勘九郎さんと共にお名前が。

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築125年の芝居小屋は岐阜県重要有形民俗文化財、

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その昔、地元の方々の協力で作られた引き幕は
市指定有形民俗文化財に指定されています。

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さて、かしも明治座で開催された、いだてんトークリレー。
司会は岐阜放送局の望月アナウンサー。
夕方の地元ニュース番組「まるっと!ぎふ」
https://www4.nhk.or.jp/P4767/
こちらを担当されているのが望月アナ。
https://www.nhk.or.jp/gifu/caster/a-det0002.html
もう開演前のアナウンスで声だけ聞いて
望月アナと気がついた私…NHK好き過ぎる(笑)

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そして…待ってました!大河ドラマ「いだてん」で
可児徳役の古舘寛治さん、ご登場です。

以前に映画「キツツキと雨」のロケで
中津川市に滞在したそうで中津川にはご縁があるとか。
トークショー前には苗木や資料館を巡られたそうです。


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中でも訪れた「絶景山城ランキング1位」にもなった
苗木城は特に印象に残ったそうで
「(天空の城ラピュタなどを制作した)スタジオジブリ感のある
フォトジェニックな風景ですね」と語られて
「駆け足で巡るのが惜しいほどでその場を離れるのが名残惜しかった」とのこと。
そんな笛木城の近くに以前に映画「キツツキと雨」のロケで滞在されていたそうで
「当時はロケバスで移動していたのでここの近くだってわからなかったんです」
と古舘さんも苦笑い。
この日はトレードマークになりつつあるヒゲがないお姿だった古舘さん。
「ひげ&メガネの印象がついて…そのおかげで、
そういった姿の役に選ばれることが多くなりました」とのこと。
そんな古舘さんが大河ドラマいだてんで演じる可児徳(かにいさお)
「キャスティングが決定した当初、
自分なりに可児さんのことを調べようと思ったんですが…
なにぶん、ウィキペディアでの情報も少なくて」と語る古舘さん。
しかし、ドラマが始まり、回を重ねるごとに、
ウィキペディアでの可児徳の情報は増えてきたとか。
ドッジボールを広めた人物という可児徳さんの一面にも驚きです。
(※このトークショーの当日の夜に、
そのエピソードもドラマ本編で紹介されていました)
地元では可児さんの功績をたたえ、
今年から小学生対象にドッジボール大会を開催するとかで、
古館さん、トークショーの前に、
可児徳さんのお名前を記念に毛筆で書かれてきたとか。

さて、可児徳さんといえば…
第1回箱根駅伝で優勝したチームの監督でもあります。
とにかく色々なエピソードがある可児徳さんを演じる古館さん。
撮影中はどうだったのでしょうか?
金栗四三に自転車で伴走するシーンは
「昔の自転車はペダルが重くて思うようにスピードが出ず苦労しました」
とのこと。
さらに神社の木の下でセリフを言うシーンは、
リアルに蝉の鳴き声が大きすぎて、
後ほど、セリフをナレーションのように入れたのだとか。
(第7話:おかしな二人)

ちなみに金栗を演じる勘九郎さん、
スヤを演じる綾瀬はるかさんなどの熊本チームは
比較的ロケが多いようですが、
古舘さんはスタジオでの撮影が多かったようです。
「大河ドラマは私達の前に西郷どんがありますから、
その撮影中はNHKのスタジオは使えませんから、
私たち、いだてん組は、東宝のスタジオなどをお借りして撮影していました。
西郷どんの撮影が終了次第、
NHKのスタジオにスライドした感じですね」とのこと。

ちなみに…勘九郎さんが
「お酒を飲むシーンでお酒の匂いがした」とあるトーク番組で
お話していたいそうですが…という質問には古舘さんもタジタジに。
そんな中で古舘さん演じる可児徳さんが支える人といえば…
そうです。役所広司さん演じる嘉納治五郎です。
古舘さんが中学生の頃に見た大河ドラマに
出演していたのが役所広司さん。
当時からその存在感に圧倒され、
大好きな…憧れの俳優さんなんだそうで…
「宮本武蔵役の役所さん、かっこよかったんですよ」
と嬉しそうに語る古舘さん。
その話を役所さんにしたところ…
「子どもの頃からって…そんな年齢違わないだろ?」
と言われたそう。


いだてんでは、とにかく役所広司さんと古舘寛治さんの
お2人の掛け合いのシーンが多い印象ですが…
そこで役所さんの演技についてのお話に。

今回の大河ドラマもそうですが…以前に共演した
映画「キツツキと雨」でもそうだったようですが…
「とにかく…役所さんが怒鳴るシーンは…本当に怖いんですよ!
そこまでしなくても…って思うほど」と古舘さん苦笑い。
古舘さんの中で印象に残っているのが映画「キツツキと雨」で
車に乗り込む役所さんを古舘さんが止めるシーンだそうで…
「僕からしたら憧れの俳優さんなんですよ。
その俳優さんに触っていいんですか?と
ファンとしてドキドキしながら共演したんですが…
その気持ちは一瞬で吹き飛びましたね。
もう全力で行かないと車に乗り込んで車発車しそうな勢いなんですよ(笑)
だからもう必死に食らいついてました」とのこと。
「この中津川のロケ現場に入った当初は
いちファンとして緊張していましたが…
最終的には役所さんの運転する車に乗せてもらえるまでの仲になりました」
と笑顔で話す古舘さんのお顔はまさに、10代の頃、
大河ドラマに出演する役所さんにあこがれていた少年のようなお顔でした。
今回、大河ドラマで再び役所さんと共演となり、
さらに役として役所さんと常に一緒にいる役だと知り、
「自分、役者としてどんだけ恵まれているだ」
としみじみ思った古舘さん。

そんな中で周りがヒヤっとしたシーンといえば…
第4話で羽田の競技場を作るシーンで、
三島弥彦役の生田斗真がお金が出せないと言ったところで
嘉納治五郎役の役所さんが倒れるのを
可児徳役の古館さんが抱きとめるシーン。
これは別のトーク番組で、天狗倶楽部の吉岡信敬(しんけい)役の
満島真之介さんが熱く語られていたのですが
「古舘さんが役さんをギリギリまで止めなかった!」と。
その後のカットを見れば、一目瞭然なのですが…
役所さんの背後には木箱が置いてあり…
相当危ない状況だったんです。

これを今回のトークショーでも質問され古舘さんも苦笑い。
「いやもうこれは…予想外だったんですよ。
膝から崩れ落ちてくれたら心の準備もできたんですが…
まっすぐな状態で後ろにフワーって倒れるんですよ。
だから『どうなる?え?…うわぁー!』
と我にかえって慌てて支えることとなり、
結果、ギリギリの救出になったんです」とのこと。
側にいた時には「自分が可児徳だったら…
と、思って動いていましたが危うく日本の宝とも呼べる
俳優の役所さんの人生を終わらせるところだった…
今考えてもゾッとする状況だった」と回想されていました。
もちろんその後、役所さんには
『もっと早く支えてくれないと!』と言われたそうで…
役所さんご自身も相当危ないと思われたのでしょうね。
そして役所さんは、いだてんの中では状況説明的な役も
兼ねていらっしゃるので、とにかく台詞の量が多く、
それには古舘さん
「自分の10倍ほどの台詞はあるのではないでしょうか?
自分だったら…それは嫌ですね」と苦笑いしながら語られていました。
それと永井道明役の杉本哲太さんについても
共演されて色々と感じたこともお話されていました。
「杉本さんって大きな体格なせいか、
もっと硬派なイメージで演じられるかと思ったんですが…
面白いアプローチで来たので驚きました。
『その面白い路線は自分の役では?』とも感じましたし」
という語りには会場からも笑いが生まれていました。

そして、これからやってみたい役について質問されると…
「面白い作品であればどんな役でもやってみたいですね。
変わった人とか、酔っ払いの人とか…
二枚目でモテるようないい役もやってみたいんですけどね」
と笑いながら語る古舘さん。
そんな中でこれまで演じた中で印象的な役だったのが
大河ドラマおんな城主直虎で演じた松下源太郎
古館さんも、トレードマークだったメガネを取り、
ちょんまげ姿だっただけでなく、
役としても虎松の養父として奮闘することから
放送当時もSNSなどでの反響が大きく、古舘さんいわく
「イイ役ってこんなに印象が強いのか?」と痛感したと同時に
「イケメン俳優がうらやましい」と思ったのだとか。
これには会場、大爆笑。
そして今回も大河ドラマに登場ということで…
「昨年5月から撮影に入っていますが
こうして一人の役を永い時間演じるというのは
日本の俳優としてとても喜ばしい」とのこと。
さらに、可児徳さんの生涯にも触れて
「可児さんは、91歳の時に東京オリンピックを
ご覧になられているんですよね。
今度、脚本がどうなるか分かりませんが
僕も可児徳として、ぜひ劇中で東京オリンピックを
目にしてみたいですね」とお話されながら、
最後には「宮藤官九郎さんの脚本は本当、面白いです。
ぜひ、毎週、リアルタイムでその面白さを感じていただきたいですし、
やはりお客さんが見てもらって成立するのがドラマだと思うので…
たくさんの方に見ていただきたいです!」
と熱く語り、トークショー終了となりました。

最後は主催より許可が出て、
撮影時間が取られることになったのですが
「なにぶん、脇役なことが多いので主役に慣れていなくて…
私なんかで大丈夫ですか?撮影してもらって…」
と慣れない状況に恐縮気味の古舘さんを、まるで勇気付けるように
『お写真撮りたいでーす』と前列から女性の声で
次々と熱いコールが(笑)
古舘さんも、そのお声にホっとされたのか
舞台の下手から上手に向かい、
来場された皆さんに応えるかのように
あちこちに身体を向けられ、
にこやかに手を振って撮影タイムを楽しまれていたご様子で…
その姿を来場された方々がスマートフォンなどで
撮影されて終了となりました。

初回より熱心に視聴しているドラマというのもありますが、
撮影の裏話もですが、
古館さんの軽妙なトークがとても楽しく、あっという間でした。
ますますこれからの大河ドラマいだてんが楽しみです。
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「関ヶ原2019春一番フォーラム」スペシャルトーク「村上新悟 関ヶ原を語る」 [芸術etcのはなし]

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先日、3/24(日)に関ヶ原ふれあいセンターで開催された
「関ヶ原2019春一番フォーラム」で静岡大学名誉教授で歴史秘話ヒストリアなどでも
解説としても活躍されている小和田哲男先生、
そして大河ドラマ「真田丸」での直江兼続役で注目された
俳優・村上新悟さんをお招きしてのトークショーが開催されるとのことで出かけてみました。

前半は、石田三成の視点から関ヶ原合戦を読み解くと題して、
歴史講演会「石田三成からみた関ヶ原合戦」という1時間半のトーク。

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さて、休憩をはさみ、続いては…大河ドラマ「真田丸」での
直江兼続役で注目された俳優・村上新悟さんがついに関ヶ原に降臨!
スペシャルトーク「村上新悟 関ヶ原を語る」ということで、
先に三成目線で関ヶ原のトークをされていた小和田先生に加え、
以前、開催された関ヶ原まつりで真田丸で
石田三成役の山本耕史さんが登場された際にも進行役としても大活躍された
小栗さくらさんが今回もご登場。
和やかな雰囲気でスタート…のはずだったんですが…
実はこの前にあった小和田先生のお話の中で
「小山評定は無かったのでは…」という説が飛び出し、
舞台袖でそれを聞いていた村上新悟さんは驚き、
席に着いた途端にこの話題を早速持ち出し
「僕、小山評定ふるさと大使なんですけど…身の振り方を考えましたよ」
と苦笑いしながら小和田先生に突っ込んでいらして会場からは笑いが生まれていました。

さて、村上新悟さん、関ヶ原にはいらしたことはあるのですか?
という小栗さんからの質問に
「以前に西日本豪雨があった時期に京都で撮影があったんですが、
雨の影響で撮影が流れたりしまして…で、『関ヶ原…行ける!』と思い…
来たんですよ。で、近くの(関ヶ原ふれあいセンターの西側にある)
歴史博物館でレンタルサイクル(ママチャリ)を借りてですね、
史跡を巡ったんですよ。
で、平日だったんですけど…ちょうど自分の前に、
同じようにレンタルサイクルで史跡を巡っていらっしゃる
歴女らしい方がいらして…結果的に僕がその方の後をついていくような形になり
ストーカー的な状態になってしまい前を走っていた歴女の方に
申し訳ない気持ちでいっぱいで…」と語り、会場は大爆笑。

さらに小栗さんより関ヶ原の戦いで登場する武士の中で
好きな人物は?という質問には
「大谷吉継ですね。軍師官兵衛で演じたこともありますが…
大谷吉継は皆から慕われる人物で、敵はいなかったでしょうね」

続いて話題は家康に…ここで「おんな城主 直虎」の時代考証を
担当されていた小和田先生より切ないお知らせが…
「直虎が放送されていた当時なんですが…
静岡の方にとっては家康はやはり偉大な武将のイメージが強いようでして…
静岡の居酒屋とかで(注:先生は静岡大学の名誉教授)
「家康はあんなにオドオドしていたのか?」と絡まれたりしたんですよね。
でも、若い頃は気弱だったんですよ」と苦笑い。
居酒屋での出来事は先生も大変困ったそうです。

さて、続いては…島津義弘の正面突破はなぜ?という小栗さんからの質問に
小和田先生よりこんな考察も…
「島津義弘は、家康の軍勢を抜ければ、
薩摩まで逃げ切れると信じて突破したんですよね。
恥を後世に残したくないという気持ちもあったんだと思います。
なぜなら、あそこで敗れてしまったら、
領地も半分に減らされていたと思います」とのこと。
あぁ、島津義弘…確か2018年4月11日に
歴史秘話ヒストリアで放送されていましたね。
私、たまたま見てたんですよ。関ヶ原と耳にして。

https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/338.html

たしか、西郷さんも尊敬していた武将ということでしたね。
でも出陣した300名程のうち生きて薩摩に帰ることはできた兵は
80名程となったことからもその正面突破からの帰郷が
いかに壮絶だったことがわかります。

小栗さんから今度は村上さんに
「今後、演じてみたい関ヶ原の戦いに登場する武将は?」
という質問に「島左近」と即答した村上さん。
理由はというと…
「島左近は、まだまだ分かってない部分が多い人物なんですよね。
なので演じ手により面白くなる人物なんじゃないかなと。
そして何より石田三成に尽力した武将ですから」とのこと。

すると小和田先生が
「今後ぜひ、石田三成が主人公の大河ドラマをつくてもらいたい」と熱望。
会場からは土地柄、拍手がわき上がっていました。

そして村上さんは思い出したように
「宇喜多秀家も演じてみたいですね。
というのは…僕、高校の修学旅行で八丈島を訪れまして…
宇喜多秀家は最後、八丈島に流刑となるんですね」
「高校の修学旅行で八丈島ですか?」
と小栗さんは驚きながらも興味津々なご様子でした。

さて、今回は岐阜の関ヶ原にいらした村上さんですが…
実は前日に岐阜の岩村城を訪れていたそう。
はい、ピンと来た方は歴史秘話ヒストリアご覧になった方ですよね。
そうなんです。村上さん、以前2017年5月19日に放送された
「戦場の花嫁 愛に生きた女城主」で
岩村城の女城主・おつやに戦場でプロポーズをするという
敵将・秋山虎繁役で登場されていたんですよね。

https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/313.html

村上さんのお話では…
「岩村城は、霧がよく出ることから、
霧ヶ城とも言われるそうなんですが…
僕がお邪魔した日は快晴で…(会場、大爆笑)
で、戦国武士の姿の方が『殿ーっ!!!』と駆け寄ってきてくれたんですが…
手に持っていた旗は『半分、青い』と書いてありました(会場、再び大爆笑)」とのこと。

そうでした。岩村城のある恵那市岩村町は、
朝ドラ「半分、青い」のロケ地でもありましたね。

そして歴史と向き合うことについて村上さんからはこんなお話も
「自分は理系だったので(注:村上さんは、栃木の小山工業高等専門学校卒)
歴史にあまり詳しくなくて(大河ドラマ・軍師官兵衛で)大谷吉継を演じる際に、
関連書などを読み、勉強しました。
そのことが、西軍への思いが強くなるきっかけになったかもしれません」とのこと。

小和田先生は「学生時代から戦国時代史や城が好きで、
関ヶ原には何度か足を運んでいました。笹尾山は昔は木が生い茂り、
登るのも大変だったんです。
それが2000年に関ヶ原400年ということで整備の話が出た際、
『史跡のエリアに手を加えるのは』と難色を示されたんですが私は
『昔は木は生えてなかった!』と反論してですね(会場、大爆笑)
整備されて…今のように一般の方も登ることができるようになったんですよ」とのこと。

そして、先生はここ最近の大河ドラマの影響にも触れて
「石田三成の見方が変化してきたのは大河ドラマのおかげですね。
黒田長政も西軍に働きかけたのがドラマで紹介されるようになり、
長政の評伝も変わりましたね」とにこやかに語られていました。

さてこの日、小和田先生は、柄に「愛」の文字が入った
ネクタイを身につけていらっしゃいました。
はい、村上さんが登場したからには…
あの方に触れない訳にはいかないでしょう。そう、直江兼続です。

村上さんが直江兼続を知ったのは、
「花の慶次 -雲のかなたに-」
(注:隆慶一郎が執筆した歴史小説「一夢庵風流記」を原作としている漫画)
だそうで…「憐れんだりはするが、過ちは許さない」という印象が強いとのこと。
「常山紀談」や「北越軍記」に残っている兼続の家臣(三宝寺庄蔵)が
下人を無礼討ちにしたところ、下人の遺族たちが兼続に訴えたため、
兼続は憐れみ、遺族に白銀20枚を支払うように命じるも、
遺族たちは「下人を返せ」と譲らないので、
「地獄に行って迎えに行け」と言って遺族3人の首をはね、
「この者どもを使いに出すから死人を返せ」と
閻魔大王に嘆願書を書いたという話を例にされていました。

「あ、『真田丸』では(脚本を書いた)三谷(幸喜)さんが
『切り捨てますか?』って台本に書いてあったので、そう読んだだけで…」
と笑いながら話す村上さんに会場からは笑いが…

するとここで史実的な補足として小和田先生から面白いエピソードが…
「直江兼続は学者肌ですよね。足利学校の出身者を集めていますし…
書物を集め、文庫も作っています。それに加えて上杉謙信より
「石高を減らされても、部下を切らない」という義の心も教えられている。
書物の話でいえば、関ヶ原の戦いの後は、直江兼続に徳川家康が
お坊さんを介して本の貸し借りをしているんですよ。
家康も勉強したいことがあって、あの本が読みたい。
あ、そういえば直江さんが本たくさん持ってたな…
って感じでお坊さんにお願いして本を借りようとしたみたいですよ」
とのこと。ほほぅ。直江状読んでムキィーってなってた家康さんが…
と思うと面白いですね。

さて小栗さんからは
「真田丸で印象に残っているシーンは?」との問いに村上さんは
「僕、あの頃とまた印象に残っているシーンが変わってきているんですけど…」
と前置きをしつつ
「上洛し、上杉景勝とともに豊臣家を訪ね、石田三成と同席するんですが…
一旦、上杉景勝が真田信繁を連れて席を立つんです。
その際に石田三成が『よろしいのか?』と言うと直江兼続が
『お屋形様は、ああいう方なのだ」とこたえるシーンがあるんです。
2人がこの一言で…何か切れ者同士で通じ合っているような気もして
印象的なシーンですかね。
あとは後半の大阪での戦のシーンで義の心を見せる真田の戦いを
景勝とともに見つめるシーンは長いものに巻かれる自身に
思いを馳せるところが印象に残っています」とのこと。
そして会場が爆笑に包まれたのが景勝が三成を止めるシーン
「『お屋形様は本気になられた』というのですが
『え?これまで本気じゃなかったのか?』って思ったりもした」とのこと。

当時の役作りについて村上さんは
「真田丸では、自身が登場しない部分でも、
直江兼続のヒントがあったりしましたね。
例えば『あやつは用心深い男だから、あのおかげで上杉家はここまで来た』
というセリフがあるのですが…そこにも直江兼続の人柄が表れていますよね」
とも語られていました。

そして直江兼続といえば…はい、「直江状」です。
ここで小和田先生の解説が…「直江状は景勝に代わり、
兼続が家康に公開質問状として出したものなんですね」とのこと。
そしてここで…なんと!直江状の一部を村上さんが生朗読してくださることに!

まさか時を経て、生朗読を聞けるなんて…
当時の自分、想像もつきませんでしたから!
いやもぅ…真田丸が放送中の頃から何度も言われていますけどね…
イケボでございましたよ。もぅ生で拝聴できて感動でした。(嬉!)

で、生朗読後に小栗さんから
「当時、直江状を読む際にどういう風にしようかというプランはあったのか?」
という質問がありまして…それに対して村上さんは
「直江状って書状としての写しはある訳で…
あれ、全部読んだことあるんですけど…
全部読むと13分ぐらいかかるんですよ(会場から笑いが…)
それに実際、直江状は家康の前で読んでいる訳じゃないですからね
(会場、大爆笑)だから『どうしよう?』というのはあったんですけど
そのまま読むのもアレなので…
まぁ、結果的にああいう形で少し煽るって形になったんですけど(笑)」とのこと。
なるほど…というエピソードでした。
そうこうしているうちに…早いものでお別れのお時間に(涙)
最後に村上さんが「時代劇の役者として、
次世代に歴史をつないでいきたいです。
関ヶ原にゆかりのある武将を演じていきたいです」
と語られて、大河ドラマの時代考証や
歴史秘話ヒストリアの解説を多く担当されている小和田先生に向かって
「先生、お願いします!」ってお願いされていた村上さん、とってもお茶目でした。

IMG_7485.jpg

時間を忘れるほど、トークに聞き入ってしまい…
気がつけば夕方でした。とても楽しいひとときでした。
この後…「終わっちゃったねぇ」と、
とぼとぼ相方と帰ろうとしたら…
外では自然発生的に村上さんとの写真撮影会が始まっていました。

「あわわわ…」なんという神対応な村上さん。
この日、とっても寒かったんですよ。でも…
「私たちも一緒に撮ってもらいました。すいません」

この後、自然と屋内へと移動して写真撮影会続行…
前日には岩村城にもお出かけくださった村上さん、
関ヶ原までお越しいただき、本当にありがとうございました。
貴重なお話、たくさん聞くことができてとても嬉しかったです。

IMG_7491.jpg

帰りは関ヶ原駅前にある観光案内所に寄り道して
小栗さんがお話されていた電動アシスト自転車と武将の家紋入りのコインロッカーを
確認ついでに(笑)おせんべいなどお買い上げして帰宅しました。
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「関ヶ原2019春一番フォーラム」歴史講演会「石田三成からみた関ヶ原合戦」 [芸術etcのはなし]

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お久しぶりです。ユキヲです。
先日、3/24(日)に関ヶ原ふれあいセンターで開催された
「関ヶ原2019春一番フォーラム」で静岡大学名誉教授で
歴史秘話ヒストリアなどでも解説としても活躍されている小和田哲男先生、
そして大河ドラマ「真田丸」での直江兼続役で注目された
俳優・村上新悟さんをお招きしてのトークショーが
開催されるとのことで出かけてみました。

静岡大学名誉教授である小和田哲男先生は、
大河ドラマ「軍師官兵衛」など
様々なドラマの時代考証もされている戦国時代史がご専門。
今回は、石田三成の視点から関ヶ原合戦を読み解くと題して、
歴史講演会「石田三成からみた関ヶ原合戦」という1時間半のトークからスタート。

「歴史は勝者から見ることが多いが、今回は敗者の石田三成からの目線で」
と今回のテーマに沿って語られる小和田先生。先生は学生時代の頃から、
ここ関ヶ原に足を運んでは戦国時代に思いを馳せながら歩いていたそう。
「だから、若い頃はもっぱら徳川家康の目線で歩いていたのかもしれませんね」
と微笑む先生。
さて、まずは関ヶ原の発端となる豊臣家のお話から。
「豊臣秀吉が亡くなった時、秀頼10代後半であれば、
あのまま豊臣家の天下であっただろうが、
6歳が故に関ヶ原合戦の伏線となってしまった」
そこでよく言われる「秀頼は秀吉の実子ではないんじゃないか説」
「猜疑心の強い秀吉が、もし秀頼が実子ではないとしたら、
あれほど秀頼を可愛がっていたであろうか?というのが
その仮説に対する疑問です。だから私は秀頼は秀吉の実子
ということで良いのではないかと思っています。
(ちなみにこの実子問題。九州大学で戦国時代史をご専門とする
教授同士でも意見が割れてしまうほどの深い案件なんだそうです)
秀吉が実子でないという説のひとつに、秀吉は背が低く、
秀頼は背が高かったということ。
今回は一般市民向けのトークショーということで、
先生も柔らかい切り口で秀吉のお話を展開されていきます。

「実は10年ほど前になるのですが…静岡の小学生が、
秀吉が着用していたものと言い伝えられている陣羽織の型紙をおこし、
紙製の陣羽織を作成。それを150cmから170cmの
身長が違う男性複数人に羽織ってもらい、
どの身長の人が陣羽織が似合うかを調べたんだそうです。
すると結果154cmの男性が似合う陣羽織だったことがわかったんです。
これどういうことかと言いますと…
つまり、秀吉は背が低かったということなんです。
これ、学芸員2人が研究により算出した数値と近いんですよ!
となると…秀頼が背が高いのはどう説明するかというとですね…
まぁ、母親・淀殿(茶々)が背の高い人だったので、
妥当な身長ではないかと思うんですよね」

という先生。
ここからは秀吉の役職についての話も。
時代をさかのぼり…全国の藤をまとめたのは源頼朝。
以来、平氏と源氏が交代して政権を握ります。
で、秀吉は征夷大将軍にはなれなかったが、
関白の席が空いていたことから、その席におさまる訳ですね。
そして本来、関白から太閤となれば
表より身を引くのが常なのですが…秀吉は例外となります。
さて、足利義満は10歳で将軍となり、
細川頼之が義満を補佐した前例があります。
石田三成はこの前例を元にして豊臣秀頼と
五奉行との関係をそれにならいたいと考えた訳です。
しかし徳川家康は「天下は力ある者のまわりもち」と異を唱えます。
つまり「今なお世は乱れている。
ならば力あるものに天下を任せるのが良いのではないか?」
ということなのです。
家康は、清洲会議で目の前で秀吉が三法師を抱いて
天下を取るところを見ているというのもこれにつながるかと思います。
さらに、石田三成は、秀吉に恩義を感じている人たちで
家康を討ちたいと考え、徳川家康は、6歳の秀頼が
10歳ともなれば力だけではねじ伏せられなくなると考えた訳です。
そこで関ヶ原の戦いで決着をつけるという流れになるんですね。
そして、今回の解説の後のゲストがゲストということもあり、話題は直江状に。
その前に直江兼続についての解説が先生より入ります。
「通常、家老というのは主君の指示なしでは
行動できないんですよね。ただ、直江兼続なんですが…
他の家老とは違うところがあるんですよ。
それはね。執政というもので、主君と共同で業務を行う、
現在のいわゆる共同経営者のような立場だったということです」
そして本題の直江状については…
「江戸時代などを経て、過激な言葉遣いにはなっていて、
よもやすると偽書であるとも言われているが、
やはり直江状自体は存在していたと考えています。
それは家康のおごった行動について
理路整然と書き綴ってただけであるが、
家康はそれを挑発と受けて、
結果、会津攻めへとつながったのではないかと」とのこと。
そして最後に先生の面白い見解で
今回のテーマが締めくくられることに…
「尾張を防衛ラインと考えていたのなら、なぜ清洲城を押さえておかなかったのか?と思いますね。川を戦略に使えば、自然の防御壁となる訳で…それがあれば家康は封じ込められたかもしれません。あとは松尾山に置くつもりでいた毛利輝元が出陣していたら西軍の風向きは変わっていたかもしれませんね。とはいえ、敗軍の証、兵は語らずとも言いますね」とにこやかに語る小和田哲男先生。あっという間の1時間30分のトークでした。


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「えいこーんずさん閉店に伴い、作品の委託販売は12月20日(火)迄となります」 [作品制作のはなし]

お久しぶりです。ユキヲです。

最近、すっかり別のSNSの更新の方が常になってしまい…
ブログを更新することもおろそかになっていました。

でも、ここには色々な思い出とか書き留めてあるので
更新は滞っていても、しばらくはこのままにするつもりです。

2015年のえいこーんず13周年企画のオリジナルグリーティングカード以来
新作の制作ができず、正直、自分ももどかしい気持ちでいました。

理由は色々あるのですが…

昨年から今年にかけて色々と辛いことが重なり
自分自身の心がポッキリ折れてしまい
制作までのパワーが捻出できなかったというのが
今の現実です。

そのために仕事も1ヶ月半という
生まれて初めてこれほどの休養を取りました。

その辛いことについては
非常にプライベートなことなのでここで書くのは控えます。
ただ、ひとつだけ言えることは
私自身、親しい身内同士で会話をしてても
いまだにその辛いことについて、
どんな言葉を使って細かに伝えようとしても
正直、その辛さの何分の1しか伝えられない感があり
時には的外れな励ましなどもあいまって…
周りと自分との心の誤差から、
一時期、心のバランスを崩しかけました。

SNSでそのバランスの悪さが気になる知人からは
「辛かったら吐き出していいんだよ」とか
「また会ってお茶できたらいいですね」とか
色々とありがたい言葉もかけていただくのですが…
私自身、いまだに口に出すのも辛いことで
10代の頃から付き合っている親しい友人ですら
メールか手紙で伝えることで精一杯だったりします。

それに今は人に会うのに非常に疲れてしまうのです。
ようやく仕事も休養前のペースに戻ってきたところなので
今は自分のペースを大切にして
試行錯誤しながら日常生活に戻ることを目標にして
日々過ごしています。
なので、今はそういう状況なのだとご理解いただければ幸いです。

さて、表題の通りなのですが…

2004年7月より私の作品の委託販売でお世話になっていました
愛知県名古屋市千種区のえいこーんずさんが
12月いっぱいで実店舗が閉店となりました。

えいこーんずさんは今後、
ネットショップ・マルシェなどの出店で継続とのことですが、
私の委託販売は12月20日までとなりました。

それに伴い、えいこーんずさんでのネットショップでの
私、ほりばやすよの作品の販売、12月20日までです。

ペーパークラフトや活版印刷のカード等、
この機会にご覧いただければ幸いです。

http://shop.haycorns.com

イラスト雑貨/ほりばやすよ

にアクセスしてください。


えいこーんさんとは…12年ほどのおつきあい。
思えば12年…長いようであっという間でした。
特に今まで合計3回、
店舗にあるプチギャラリーにて展示した経験は
私の20代から30代にかけて、
その後の制作の糧となる大きな経験となりました。
私のやりたいことを、宇宙のような広い心で受け止めて
やらせていただいた、えいこーんずさんには
本当にいくら感謝しても足りないくらいです。


えいこーんずさんのプチギャラリー。
それぞれたくさん思い出があります。

初めての展示は、2005年。
まだ結婚前で一人暮らししていて
寝る間も惜しんで制作なんぞしていた
そんな頃ですね。今、読むととても懐かしいです。

http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2005-12-12-1

こちらのブログをご覧になってくださっていた方にも
懐かしい記事かと思います。

そして…
えいこーんずさんのプチギャラリーでの
2度目の展示は2011年7月。
震災の年の展示でした。
海をテーマにしたことに最初、後悔しながらも
自分なりの海の世界を作りました。

「『Bon Voyage』ができるまで」 
http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2011-08-02-1

クルージングすごろくができるまで
http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2011-08-02-1


さらに、えいこーんずさんのプチギャラリーでの
3度目の展示は2012年12月。
クリスマスをテーマに展示しました。
2011年の展示に伴い制作した「クルージングすごろく」に続き
2012年の展示の際も「クリスマスすごろく」制作。サイコロ等も特製。
非常に制作に時間がかかりましたが、それも良い思い出です。
http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2013-02-03

えいこーんずさんでは、
私の代表作品となった手描きのポストカードも
季節に合わせ色々な図案を制作させてもらい
制作者として、大変勉強させてもらいました。
カエルのふくちゃん、すごろくも合計3種類できましたし…
一番思い入れが強いキャラクターですね。
これからも大切にしたい私の同士であり、家族のような存在です。
http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2008-11-12

繁忙期の難しい案件の仕事が片付き、
気を抜いたせいか、はたまた流行りに乗ってしまったのか…
久しぶりに胃腸風邪にかかってしまい
もっと早くにお知らせしなくてはならないことが
間際のご連絡になり申し訳ありません。

えいこーんずさんでの委託販売は12月20日(火)で終了となりますが
岐阜県岐阜市柳ヶ瀬にあります「ギャラリー クロッキー」さんでは
今後も、カエルのふくちゃんの手描きポストカード、
カエルのふくちゃんのすごろく、
そして活版印刷によるペーパーアイテムなど
継続して委託販売としてお世話になる予定です。

今年は充電の年だったと思っています。
そういう年もあるんだろうと思います。

来年は今より少し、上向きに…
そして新作を生み出せるまでに心身ともに健康でありたいと思います。
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「えいこーんず13周年企画『どんぐりとくま吉展』+新作のご紹介」  [作品制作のはなし]

さて、6月といえば…
手描きのポストカードなどの作品の
委託販売でお世話になっている
名古屋市千種区の「えいこーんず」さん。

雑貨屋えいこーんず
愛知県名古屋市千種区桜ヶ丘54 
http://www.haycorns.net/


こちらで、6月1日(月)から
「どんぐりとくま吉展」が開催中です。

こちらの企画展では、えいこーんずの作家さん達の
くま吉くんやどんぐりをモチーフとした作品の数々が登場。

私も参加させてもらうことになりました。

にしても…
イネ科の花粉アレルギーによる体調不良などで予定通りにいかない5月後半。
今年は症状が酷いですね。

「そういえば新聞に笹の花が60年振りに開花したとかで話題になっていましたね」

笹も一応、イネ科なんですよね…(遠い目)

ま、戯れ言はそれぐらいにして…

今回の自分の作業、なかなか苦戦しました。
というのも…ひたすら花を作る日々。
IMG_3264.jpg

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※参考に…
バックの格子模様はカッターマットについている定規で
薄く見える破線の1マスは5mm…くっきりと見える実線の1マスで1cm。
ということで、こちらの花、約直径1.5cmでございます。

久しぶりに夢にでてきそうなレベルでした…(爆)

そうなのよね…

「できる範囲での加工で留まるのは嫌だなと」

なので、あえて工程をさておき、ラフデザインとか作った訳ですが…

「結果的に、自分の首しめてましたからね…あはははは…」

笑えない…

立体的とまではいかないけども、花を平面にしたくなくて、
少しボリュームを持たせたかったんです。

なので、型抜きした花を2枚重ねて、やや立体感を表現。
(同系色で濃淡の違う色画用紙を重ねてみました)

はい、ここ数年、グリーティングカードを制作している私。
そして、ダブルイメージ(と呼べるかどうか怪しいところですが…)で
その数字を入れこんでいくのを自分にあえて条件づけてみているのですが…

そんな訳で今回もグリーティングカードを制作しました。

IMG_3271.jpg

13周年にちなみ花束の花の数は13。

13の数字も、ダブルイメージで忍ばせています。

IMG_3270.jpg

さて、ダブルイメージはどこにあるでしょう?

えー、どなたかに、花束のリボン部分を指さされて

 『アルファベットのBって何?』

って言われましたけど…

「惜しい…Bではない!」

現場からは以上です(笑)

IMG_3275.jpg

手作りなので数はあまりないのですが今回は色違いで2種類作りました。

IMG_3273.jpg

IMG_3272.jpg

花の色と合わせ、それぞれ違う色の便箋を1枚添えています。

IMG_3274.jpg

そして白い封筒付きです。

こちらのグリーティングカードは
えいこーんずさんの企画展のみでの販売なので
実店舗のみの販売となっているそうで
基本的にはネット販売は行っていません。

現在のところ、再納品は考えていないので
この機会にぜひ、お近くにお出かけの際には
お手に取ってご覧いただければ幸いです。

そして…

6月25日(木)〜28日(日)は
えいこーんず13周年「どんぐりまつり」

どんぐりまつりとは…

☆全商品10%OFF!

☆くま吉と写真撮影会(撮影したお写真はプレゼントしてくださいます!)

☆500円以上お買い上げでくじ引き(おひとりさま1日1回)
【1等】くま吉バッグ&お楽しみ袋
【2等】くま吉バッグ
【3等】名東区の「タルティーヌ」クッキー

くじ引きははずれ無し!

みなさーん!くじ引きは、はずれ無しですよ!
(ここ大切…重要なことは、2度言う↑)

ぜひぜひ、お誘いあわせの上、お出かけくださいませ。
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「2015年の年賀状」 [作品制作のはなし]

毎年恒例になっているので…今年も懲りずに書いてみる…

今年の未年。

「夜な夜な印刷する人がココに…」

夜になると…聞こえてくるんです…

「ガッタン、ガッタンという音が…」

ホラー?

違うんです。実は今年の年賀状。

「活版印刷で仕上げたんですよ」
(注:厳密に言うと樹脂版印刷)

とうとうやりました。念願の活版印刷での年賀状。

しかし…大変だったね。

「まずは樹脂版をお願いするところから」

そう。自宅では製版できないので
以前よりワークショップでお邪魔していた
大阪にある「なにわ活版研究所」さんにお願いしました。

「年末の忙しい、年内締め切りギリギリに発注してすみません」

制作は計画的に…(←反省を込めてつぶやいてみる)

で、分かりやすいように原案がコチラ。

2015NewYear.jpg

自分で言うのも何だけど…

「良く出来たよね?この図案」

最初、毛糸で西暦作るだけにしようと思ったんだけど…

「それじゃあ、ありきたりだよねぇ…」

と、自分自身にダメ出しして…

「せっかくなら未の顔、入れてあげようよ(かわいいんだし…笑)」

と思って、もうひと頑張りして、出来たんだよね。

「新年のごあいさつと未の顔とのコラボレーションに
 深夜にひとり、ガッツポーツ!」

単純です(笑)

とまあ…図案は良い出来。
が、しかし…

「3色刷りです」

これが…自分で自分の首をしめた原因ですよ。

「3色刷りということは、その都度、樹脂版を取り替える必要があり
 合計3回、印刷しなくてはならないということ」

さらに…

「片面だけじゃなく…自分の住所と名前も宛名面に刷らないといけない」

えーっと…となると…

「合計4回、印刷ですか…」

遠い目になるな…それも年末も押し迫った時に…

そんな訳で…

仕事から帰宅→夕食の支度&夕食を取る→樹脂版印刷をする

これを数日繰り返すことに(爆)

「当たり前なんだけどね…
 インクも1日置かないと乾かないから…結局1日1色が限界だった」

まあ、大掃除もしないといけないし…本当に…主婦目線からすると涙目だった。

それにタイミング悪く、12月にアレルギー症状が出て2週間ぐらい
自分自身が使い物にならなかったのですよ(爆)

「本当、詰んだよね…(遠い目)」

でも無事に出来たから結果オーライ。

「今回は12月28日に投函しました!」

ちなみに友人情報によると元日に到着したようです。
ほっと、ひと安心。

印刷の仕上がりは、やはり樹脂版印刷の方が好きだけど…

「手間がね…」

ま、それがこの印刷の良さでもあるのですが…
手間をかけるからこそ、良いものができるという。


ちなみに12年前の年賀状がコレ。

yukiwomail.gif

ひつじパフェね(笑)

「広告代理店に転職して、求人広告制作をしながら
 イラストレーターなどの実務経験を積んでいる頃だね」

辰年の頃と比べたら…だいぶこなれているよねぇ(他人事…笑)

プリッツのような美味しそうなひつじパフェの足の部分が
友人の間で話題になった図案です(笑)


で…来年は…申年ですか…

「実は苦手な…猿」

イラストにするにしても、上手くレイアウトするのにも…

「本当に苦手」

ま…頑張りましょう(苦笑)

参考に…

2014年の午年

2014NYCardmini.jpg

相変わらずダブルイメージが入っています。
2=馬の頭から首にかけて
0=花輪
14=馬の足と尾のシルエット




2013年の巳年
NYC2013.jpg
この年の12月に展示した作品…
http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2013-02-03
こちらの、スピンオフみたいな仕上がりに。

2012年の辰年(年女のため、親しい友人には宛名面に仕掛けをしました)
2012.jpg


2011年の卯年

2011CARD.jpg


2010年の寅年

2010.jpg


2009年の丑年

2009newyear.jpg


2008年は喪中のため寒中見舞い




2007年亥年




2006年の戌年



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2014年8月30日(土)あいちトリエンナーレスクール第1回「デザインのひみつ」 [デザインetcのはなし]

おひさしぶりです。ユキヲです。

ひょんなことから活版印刷機を手に入れたこと等々
色々と書きたいことは山ほどあるのですが…

「タイピングが追いつかない程…毎週、毎週出来事が多すぎて…」

なんですね。まあ、繁忙期というのもあるのですが…
で、まあ、ひとまず最近、出かけた先で見聞きしたもので
「これは何がなんでも残しておかねば!」と
思ったものありましたので…久しぶりにブログ更新。

そう思ったのも…先日の些細な出来事から。

30代前半に比べて、後半の現在。
圧倒的に美術館に行く回数が増えた私。
最近、「あれ?この作家の作品、前に見たなぁ」ということが多くなり
それに伴って、昔に書いたブログの記事が記憶のアウトプットに
とても役立っているのです。
(自分としては、「昔はよくぞここまで長文書いてたなぁ」と
 昔の自分に驚くばかりなのですが…苦笑)

先日、はるひ美術館でブルーノ・ムナーリ展が開催されていることを知り
『あ、私…それ刈谷市美術館で見たぞ」と思って
「あれは…たしか3年ぐらい前かなぁ」と頭に描いて
自分のブログ記事を検索したら…「え!6年前だった!」
まあ、最近、こんなことしょっちゅうで…自分の記憶力に愕然としています。
とはいえ、もちろん良いこともあって…
当時、見た際に感じたこと、思ったことが書き留めてあるので
「ああ、こういうこと感じてたのか」と客観的に自分の感覚を眺めてみたり。
今だとまた違った見方も見えたりして…面白い。

「そういえば最初のトリエンナーレなんて
 あんなに長文で書き留めていたのに…
 Twitterのおかげで昨年のトリエンナーレについては
 ブログに何も残してないものねぇ」

いや…すみません。残すつもりでテキストとかも書いているんです。
写真も整理したんですよ。だけども…だけども…

「時間がない」

はい、言い訳です。すみません。年内頑張ります。

ま、そんなこともありまして…
出来る範囲で残そうと思った訳です。


2016年に開催するあいちトリエンナーレに向け
現代アートを楽しみながら学ぶレクチャーシリーズ
「トリエンナーレスクール」が始まりました。
その第1回目、先日、8月30日(土)に行われた「デザインのヒミツ」
これは行かなくては…と、やってきたのは愛知芸術文化センター12階のアートスペース。
こちらで午後2時から3時半まで開催とのこと。定員180名ということでしたが、
土曜なのと開始30分前から整理券を配布するとのことでしたので開始15分前に到着。
整理券は40番台でした。

さて、私がどうして「行かねば!」と思ったかというと…

それは、昨年…全会場、くまなく回った、あの「あいちトリエンナーレ」の
公式デザイナーを担当された廣村正彰さんがゲストだったので。

今、振り返れば…昨年のトリエンナーレ会期中。
各会場の作品を見ることに精一杯で、公式デザイナーが誰なのか…
そこまで頭の回路が繋がらなかった私。
とはいえ…各会場の空間の特徴に合わせデザインされた
あの「青を基調とした洗練されたデザイン」は今でも「すばらしい」と心に残っています。
それが廣村正彰さんと知り「これは行かねば!」と。

というのも…廣村さんは、あの田中一光デザイン室で経験を積まれたデザイナー。
実は私。2013年、今はなき大阪のサントリーミュージアム天保山で開催された
「田中一光回顧展 ― われらデザインの時代」に出かけた程。
そんな経緯もあって、今回はトリエンナーレのデザインができるまでが聞けることも
楽しみにしつつ…ひょっとして、田中一光さんのもとでデザインの経験を積まれた際に
体験された貴重なお話も伺えるかなと期待しながら出かけたのでした。

さて、廣村さんをゲストに
国際デザインセンター 海外ネットワークディレクターの江坂恵里子さんを
進行役に迎えて始まった、第1回トリエンナーレスクール。

最初に、廣村さんからは、ご自身のパソコンに保存されたスライドを
スクリーンに照射しながら、その後の流れを江坂さんからの質問を交えながら
公式デザイナーに任命されたところからお話が始まりました。

久しぶりなせいか、かなりの長文。すみません。


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「えいこーんず12周年企画『どんぐりとくま吉展』+新作のご紹介」 [作品制作のはなし]

お久しぶりです。
最近、Twitterの方がメインで、
ブログをすっかり放置気味なダメな人がここにいます(爆)

とはいえ…きちんとした告知をしたい場合など
ここぞという場合は、ブログでの登場でございます。

今年と言えば…毎年、書類通過していた杜の宮市に落選し
何とも落ち着かないゴールデンウィーク。

「いや、それなりに楽しんでましたけど」



image-20140620161716.png

尾西繊維協会ビルで開催されたアール・マテリアル・プロジェクトさんのイベント
http://rrr-material.jp/event-information/rrr-material-2014
その中の無料の建築ツアーで
テンションあがりっぱなしで見学していた、洋館系の建築大好きな私。

「杜の宮市に落選してなかったら、堂々と見学できなかったものね」

おまけに当日、雨だったし(苦笑)

ま、雑談はそれぐらいにしましょう。

さて、6月といえば…
手描きのポストカードなどの作品の
委託販売でお世話になっている
名古屋市千種区の「えいこーんず」さん。

雑貨屋えいこーんず
愛知県名古屋市千種区桜ヶ丘54 
http://www.haycorns.net/

こちらで6月1日(日)より、
えいこーんず12周年企画展「どんぐりとくま吉展」が始まっております。
こちらの企画展では、えいこーんずの作家さん達の
くま吉くんやどんぐりをモチーフとした作品の数々が登場するのがこの企画展。

「今回もわたくし、参加させていただきました」

はい、毎年恒例となりつつありますが…
ここ数年、グリーティングカードを制作している私。
そして、ダブルイメージ(と呼べるかどうか怪しいところですが…)で
その数字を入れこんでいくのを自分にあえて条件づけてみている私。

今年は「12」

さてどうなったかといいますと…この通り。

image-20140620161750.png



image-20140620161824.png


灯台が「1」


image-20140620161853.png


航跡が「2」

今年もかなりパーツが細かく、終わりが見えなくなり…

「納品間近に半泣きでした」

設計図作っているはずなのに…

「作っているうちに手直ししてたら…余計に細かくなってしまって」

この仕上がりです。


image-20140620161910.png


一番泣きそうだったのが…スーツケース。

「パーツ多すぎ」

でも、作る人。


image-20140620161934.png

ちなみに、空飛ぶかもめは12羽です(相変わらず…数字の件はこだわる人)

image-20140620161958.png

かもめは切り抜いているので、内側の水色の便箋風の用紙が透かして
かもめの姿が見えるという仕掛けです。

もちろん、今回も封筒つきでございます。

「そして毎回、くま吉くんの目と口の部分は
 私が手描きしているので、1セット、1セット表情が微妙に違います」

えいこーんずさんでのオリジナルグリーティングカードですので数に限りがございます。
お近くにお立ち寄りの際にはぜひ手に取ってご覧くださいね。

そして明日から、6月21日(土)・22日(日)23日(月)の3日間は…
えいこーんず12周年「どんぐりまつり」

どんぐりまつりとは…

☆全商品10%OFFセール

☆くま吉と写真撮影会(撮影したお写真はプレゼント♪)

☆500円以上お買い上げでくじ引き(おひとりさま1日1回)
【1等】フィンランド製ククサ(贈られた人が幸せになるという木のカップ)
【2等】お楽しみ袋
【3等】名東区の「タルティーヌ」クッキー

くじ引きははずれ無し!

みなさーん!くじ引きは、はずれ無しですよ!
(ここ大切…重要なことは、2度言う↑)

ぜひぜひ、お誘いあわせの上、お出かけくださいませ。

さて…もうひとつ、ちょっとしたお知らせが…
それについてはまた別の記事にアップします。


*************参考*************

ここ数年、制作したグリーティングカードの画像もアップしておきます。

くま吉11th3.jpg


11周年記念では、こんなグリーティングカードを制作。
http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2013-06-02
本の数を数えてみると…
「くま吉くんが読んでいる本も含めて11冊」
さらに…(苦しいですが…)くま吉くんが「1」ならば…
(まあ、上から吊るされる電灯も含めて1かな)
たくさんの本が積まれたシルエットも「1」をイメージ。
ということで…グリーティングカードを広げると
そのシルエットが「11」という訳です。


10thDM_3.jpg

10周年記念では、こんなグリーティングカードを制作。
http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2012-06-03-1
※「1」が天体望遠鏡と共に立っている、くま吉くんを
 「0」を満月のお月様に…見立てております。
 さらにお空の星の数は合計10個(笑)


9thCard1.jpg

そして9周年記念で制作したグリーティングカード。
http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2011-06-02
※飛行機から出るモクモクとした雲が「9」の形になっております。


8thDMa.jpg

8thDMb.jpg

さらに8周年のときにはこんなグリーティングカードも制作しておりました。
http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2010-06-01-1
※海老フライが漢字の「八」を
 お皿を開くと、「8」という形になるという仕掛け。


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「2014年の年賀状」 [作品制作のはなし]

毎年恒例になっているので…今年も懲りずに書いてみる…

今年の午年。

「初めてじゃないでしょうか…新年になってから宛名書いていたの」

ええ、なんだかんだ言って、12月28日頃には年賀状投函していた私がです。

「何してた?」

えー、まずは…2013年の年末は…

「東京行ってましたね」

それも…

「3泊したよ…ね?」

なんですよね。

理由は色々あるのですが…

おまけに午ということで…

「アイデアが全く浮かばず」

そうです。毎年恒例の西暦をダブルイメージにするアレです。

「自分が言い出したんだから…やろうね。酉年までは!」
(注;西暦のダブルイメージは2006年の戌年から始まったのである)

で、どうなったかというと…

「大掃除終えた大晦日に制作。宛名書きを年明けにしていた」

そうそう…大晦日一番の楽しみの紅白見ながら、
心穏やかにして印刷に必死になっているというシュールな光景。

さらに…年の始めはさだまさし見ながら必死に宛名書きしていたのよ。

あれ?相方は…

「隣の部屋でいびきかいて寝てました」

何とも言えない気持ちがわき上がったのは言うまでもありません(苦笑)

そして、印刷を終えて、仮眠にも似た数時間の睡眠の後、
雑煮を作り、食べた後…宛名書きのラストスパート。

「我が家は元日は、だいたい午前10時頃までに年賀状が届くので
 それもチェックしながら、最終的にお送りする人達のリストをチェックして
 午後一番に市内の中央郵便局に投函しました」

友人からの話によれば1月3日には到着したそうです。

「みんな…ごめんね」

でも…デザインが難産だった割には…

「最近にはないスタイリッシュな仕上がりになったので満足はしている」

ただね…スタイリッシュ過ぎて…

「ダブルイメージ分かり辛い(苦笑)」

それがこちら。2014年、午年の年賀状デザインです。

2014NYCardmini.jpg

2=馬の頭から首にかけて

0=花輪

14=馬の足と尾のシルエット

お分かりになった方、ありがとうございます。

にしても…最後の最後で浮かんだこのアイデア。
どこから来たかと言えば…

「十和田市現代美術館のチェ・ジョンファさんのフラワー・ホースね」

年末にEテレで放送していたんですよ。

「あ…前に雑誌で見た作品だ…
 これもそういえば馬だよねぇ…」

と、思っていた所に、ふと…

「あ!花でダブルイメージもありな訳だ!」

と思って、結果がコレになりました。

なので、フラワー・ホースへのオマージュってことで(笑)

ちなみに…12年前の午年の年賀状がコレ。

2002NYC.jpg

「懐かしいな…(笑)」

はい。たまにお渡しする機会などある名刺や
現在のホームページのトップ画面にも
今でも使っているあのイラストです。

この頃に描き起こしていたのね…(遠い目)

懐かしいわ。

さて、来年はひつじですか…

「頑張りましょう」

ということで…

参考に…

2013年の巳年
NYC2013.jpg
この年の12月に展示した作品…
http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2013-02-03
こちらの、スピンオフみたいな仕上がりに。

2012年の辰年(年女のため、親しい友人には宛名面に仕掛けをしました)
2012.jpg


2011年の卯年

2011CARD.jpg


2010年の寅年

2010.jpg


2009年の丑年

2009newyear.jpg


2008年は喪中のため寒中見舞い




2007年亥年




2006年の戌年



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「活版印刷のワークショップに参加するため大阪遠征」 [作品制作のはなし]

はい、タイトルのままです。
繁忙期に追われてブログの方の更新が滞っておりました。
という訳でタイトルのお話は7月のお話。

昨年あたりのブログ記事をご覧になっている方には

「あ…もしかして…」と思い浮かんでくださる方も
いらっしゃるかもしれません。

昨年、初めて参加させてもらった
大阪の「なにわ活版研究所」さんでのワークショップ
http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2012-08-07
(凸版、凹版、孔版、平版の体験と、手フートによるレインボー印刷体験)

http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2012-09-09
(えんぴつに箔押しで名入れをしたり、紙にエンボス加工をしてみたり…)
※昨年は、ロンドンオリンピックの開会式が7月28日で
開会式見ながら支度したのでした。

その後、そこでの出会いがご縁で、
名古屋のNさんの所にある手フートを拝見&体験させてもらいました。
http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2012-09-22


そんな、「なにわ活版研究所」さんでのワークショップ
今年は7月28日(日)に開催ということで…

「今年も参加してまいりました」

そうです…7月28日…

「なにわの日でございます」

実は今年は前日入りしておりまして…
昨年も訪れた
松尾貴史さんプロデュースのカレー店「般゜若(ぱんにゃ)」と
7月27日(土)から国立国際美術館で始まった企画展
「貴婦人と一角獣展」
そして昨年、入場整理券がないと入店できなかった
「TIGER COPENTGARDEN」にリベンジして
美味しいお好み焼きを食べるということを
全て実現するために…

「前日入り」

大阪で泊まりで遠征って…かなり久しぶりです。

で、7月28日(日)当日は…
午前中は、なんばにある「日本工芸館」に出かけ…
近くで昼食を取り、向かった先が「なにわ活版研究所」さんでございます。

昨年もお邪魔したので、大阪駅からのルートは
おぼろげに頭に浮かびつつ…

「踏切を越えて…ライオン株式会社のビルの前のライオンくんを見て…
 大きな学校の建物見えたら右に曲がって…公園と派出所見えたら…
 たしか左曲がって、また右に…」

ここまでの道のりが駅から徒歩15分ほど…

「あ、たぶんこの道…」

と、てくてく歩いて見えてきたのは

「大同印刷所」という看板が掲げられたビル。

昨年同様…「こんにちは…」と引き戸を開けると…そこには…

「手フート達、勢揃い」

テンションがあがります。

スタッフさんとお逢いして、ご挨拶。

今年のワークショップは、和紙と洋紙の手透き体験をはじめ、
昨年、私もチャレンジした
手フートによるレインボー印刷体験
えんぴつに箔押しで名入れや、紙へのエンボス加工
タイプライターの入力などが体験できるようになっています。

そんな中で…私といえば…

「樹脂板」を作ることに。

はい…今年のワークショップはですね…

「自分のオリジナルの版で手フート印刷やってみようと思ったのですよ」

スタッフの方に事前にご相談したところ
指定の期日までにデータ入稿していただければフィルムを作成します
とのことでしたので…

「イラストレーターで、版を作成してワークショップの数日前に、データ入稿」

01オリジナルフィルムs.jpg
という訳で…そのデータを元に、フィルムが完成しておりました。

02生樹脂版とフィルムs.jpg

「版になる所が透明になっているフィルム」
これを、樹脂板を作る素となる「生」の樹脂板に
フィルムを乗せて、紫外線を当てるのです。

すると…フィルムが透明になっている所には
フィルムを通過して「生」の樹脂板に紫外線が当たり、
固くなってくれるのです。

03樹脂版ができるまでs.jpg

つまり、こういうことなんですよね。
(機械の上に掲示してあった行程図を撮影)

「つまみをぐるりと回すタイマーのようなので、
 まるでお料理しているような感じです」

こうして紫外線を浴びた樹脂板からフィルムを外して今度は洗浄します。

水を張った四角いプチプールのようなところの底にはブラシがびっしりと並んでおり
ここに押しつけて回転させることで、紫外線を浴びなかった
樹脂板の部分はやわらかいままなので、水に溶けてなくなってしまうんです。

「ということは…結果、紫外線が当たった所が固くなり、版になるということ」

04樹脂版ができたs.jpg

はい、出来あがりがこちらです。

「おぉーっ!きれいな版ができました!」

この仕上がった版に両面タイプの粘着シートを貼り、
手フートに貼り込む準備ができたら、ひとまず版の準備は完成。

続いては…

「インクの用意をします」

インクも様々な色が用意されていましたので…
そこから色を選んで刷っても良かったのですが…

「ここはぜひ、混色にチャレンジしてみることに」

はい、複数の色を混ぜてみることにしました。

今回は残暑見舞い用のデザインを青系に
クリスマス用のデザインを赤系にしようというのは
だいたい決めていたのですが…

05PANTONEs.jpg

「詳しい色はこのPANTONE(パントン)の色見本で選んでいきます」

この色見本では、インクの割合が記載されているので
これを参考にして、インクを混ぜる訳ですね。

06様々なインキs.jpg

「インクも様々な種類があるので間違えないようにしなくては…」

そうなんです。色の系統によっても様々な種類があるので
割合を間違えないよう、混色する台の上にインクを取り出します。

07青系インキを混色s.jpg

「だいたい、ポストカードなどを手フートで印刷する際
 使うインクの量の目安は大人の親指の第一関節程度」

これを100として、割合が合うようにインクを取り出します。

淡い色に濃い色を少しずつ混ぜていく感じで…

08青系インキを混色2s.jpg

「色ムラが出ないよう、しっかり混ぜていきます」

色の調子を見る際には、裏紙などの不要な紙の白い部分に
ちょっと乗せて紙同士でこすり合わせて色の出方を見ていきます。

「さて、これで青色は大丈夫かな」

今回は、2種類の版を刷る予定ですが
まずは1種類目から…

13樹脂版を切るs.jpg

さきほど粘着シートを貼った樹脂板の版の部分のみを
ざっくりと(版の部分を切り込まないよう注意して)切っていきます。

そして、版に輪にした粘着テープを貼り、
そこに刷り位置の目安になるよう、
ポストカードを貼り合わせ、
手フートの印刷面との位置を合わせていきます。

そして版の粘着シートを覆っている紙をはがし
手フートを動かすと…

「版がぴったりと、手フートに、くっついてくれます」

おぉーっ!ぴったりと、くっついてくれましたよ。

さて、版の準備もできたので…
いよいよ印刷に…

09手フートに青系インキs.jpg

円形の盤面にインクを少し乗せて…

10手フートに青系インキ2s.jpg

ローラーでのばしていくと均一にのびていきます


さて、今回、私が持ち込んだ紙は…

「普段、手描きポストカードとして使っている
 画用紙タイプのポストカード用紙」

少々、表面がでこぼこしており、厚みのあるポストカード用紙。
しかし、これが苦戦の原因に…

「なかなか上手くインクが乗り切らない」

スタッフさんに見てもらったところ
やはり、でこぼこした表面なので、
もう少し印圧を高くしてみようとのこと。

左にあるレバーが下りる位置を調整するネジで
一番下まで下りるように設定してもらうことで
印圧が高くなるとのこと。

「ふむふむ…」

スタッフさんが、手フートの印圧を最大に調整してくれた上に、
圧盤部分に貼ってある紙(胴張り用紙)に
紙を差し込んでくださったりと、様々な調整をしてくださり、
ここまで綺麗に印刷できました。

青系完成s.jpg

「はい、カエルさんです」

という訳で…青系の印刷を終えて、
ここで終了という訳ではありません。

一度、手フートのインキが付いた円盤とローラーを
一度、不要な紙などに吸い取らせた後に、
洗浄液を含ませたウエス(ぼろ布)で綺麗にしていきます。
これができたら今度は赤系の色を混色していきます。
黄色を混ぜることで、あたたかみのある赤色を目指します。

11赤系インキを混色s.jpg

さきほどと同様、混色した赤系のインクです。

12手フートと赤系インキs.jpg

混色したインクを、再び、手フートに乗せて、印刷していきます。

赤系完成s.jpg

マッチ棒をモチーフにしたクリスマスツリーです。
はい。昨年の展示の際に制作したモチーフを線画にしてアレンジしたものです。
http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2012-12-03
※これがデザインの元となった展示の案内DM

http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2013-02-03
※マッチ棒を使い、様々なデザインをした展示は昨年末でした。

細い線にもあたたかみが感じられる刷り上がりになりました。

さて、当日のワークショップは私も昨年、体験させていただいた
手フートのレインボー刷り、タイプライターのタイピング体験
http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2012-08-07

そして箔押しや、鉛筆への名入れ
http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2012-09-09

さらに、今年は紙すき(和紙・洋紙)の体験などもあり
印刷に関する様々なことを体験できる空間となっておりました。

14ぐるんぱ1s.jpg

そうそう、私が混色している間に、
ちょっと離れたところでは、
別の印刷の体験をされている方が…
今回のワークショップでは手透き和紙・洋紙の体験コーナーもあり、
そこで仕上げた手づくりの紙をのせて、
この機械でぐるん、ぐるんと回転させて印刷をしていらっしゃいました。

15ぐるんぱ2s.jpg

下面に、実は罫線を組み込んだ活版が配置されていて、
ぐるん、ぐるん、と回転して刷り上がると、
用紙に罫線が刷り上がり、お手紙仕様になるという訳なんですね。

時間があれば私も紙すき体験したかったな…
何より、バーコ印刷は体験したかった!

※注:バーコ印刷
盛り上げ印刷の加工方法のひとつで、
印刷した部分に透明な樹脂パウダーをふりかけて
熱にて樹脂を溶かし隆起を作る印刷のことです。

私も仕事柄、バーコ印刷は
秋冬などのボリュームのあるグリーティングカード等で
度々使う加工印刷なので、機会があれば自らの手で作って
みたかったです。これについては…また次回ですね。

さて、2種類のポストカードを刷り上げた私。
午後6時から始まった、たこ焼きパーティーに
1時間遅れで合流。

美味しいたこ焼きs.jpg

テーブルには、写真のとおりの
熱々の美味しい「たこ焼き」に加えて「焼きそば」が…
手フート印刷をやりきった私の胃が大変喜んだのは言うまでもありません。
そして、昨年お会いした方から、初めてお会いする方まで
本当に楽しくお話させていただきました。

デザインのお話からイギリス
パリ、オランダ、そしてミラノサローネのお話まで飛び出し、
ワールドワイドな話題に…
今回のワークショップに参加した方々と色々なお話もでき、
大変楽しいパーティーでした。

今回の大阪遠征も本当に楽しいものになりました。
「なにわ活版研究所」のスタッフの皆様、
そして当日、お話の輪に入れてくださった皆様、
本当にありがとうございました。
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「えいこーんず11周年企画『どんぐりとくま吉展』+新作のご紹介」 [作品制作のはなし]

あっという間に6月です。
今年は梅雨入りも早いようで…

「そしてすっきりしない天気」

面倒な季節になってきました。

先月、愛知県一宮市で開催の「杜の宮市」は
お天気にも恵まれ…いや…恵まれすぎて…
本当に暑い1日となりました。
ご来場いただいた皆様、本当にありがとうございました。

さて、6月といえば…

手描きのポストカードなどの作品の
委託販売でお世話になっている
名古屋市千種区の「えいこーんず」さん。

雑貨屋えいこーんず
愛知県名古屋市千種区桜ヶ丘54 
http://www.haycorns.net/

こちらで6月1日(土)より、
えいこーんず11周年企画展「どんぐりとくま吉展」が始まりました。
http://haycorns.blog.so-net.ne.jp/2013-05-31-1
※このページに掲載されている、くま吉くんが可愛すぎる(笑)

こちらの企画展では、えいこーんずの作家さん達の
どんぐりやくま吉がたくさん並びます。
こちらの企画展は、6月28日(金)まで開催中です。
*火曜日定休・6月5日(水)臨時休業です。ご注意を!

ちなみに…くま吉くんとは
えいこーんずさんの所にいる看板クマ(?!)です。
http://www.haycorns.net/kumakichi/kumakichi.html

そんな、くま吉くんやどんぐりのモチーフが
たくさん登場するのがこの企画展。
毎年恒例となりつつありますが…私も今回、参加いたしました。

ここ最近、グリーティングカードを制作している私。
そして、ダブルイメージ(と呼べるかどうか怪しいところですが…)で
その数字を入れこんでいくのを自分にあえて条件づけてみている私。

10thDM_3.jpg

昨年の10周年記念では、こんなグリーティングカードを制作。
http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2012-06-03-1
※「1」が天体望遠鏡と共に立っている、くま吉くんを
 「0」を満月のお月様に…見立てております。
 さらにお空の星の数は合計10個(笑)


9thCard1.jpg

そして9周年記念で制作したグリーティングカード。
http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2011-06-02
※飛行機から出るモクモクとした雲が「9」の形になっております。


8thDMa.jpg

8thDMb.jpg

さらに8周年のときにはこんなグリーティングカードも制作しておりました。
http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2010-06-01-1
※海老フライが漢字の「八」を
 お皿を開くと、「8」という形になるという仕掛け。

さて、今年は11周年。
どうなったかといいますと…こちら。

くま吉11th1.jpg

「くま吉くん、本を読む」

くま吉11th2.jpg
そんな、くま吉くんの隣(裏面)には…
「たくさんの本が積まれているのです」

くま吉11th3.jpg

広げてみると…こんな感じ。

「本の数、数えてみて」

1、2、3…はっ…

「くま吉くんが読んでいる本も含めて11冊」

さらに…(苦しいですが…)

くま吉くんが「1」ならば…
(まあ、上から吊るされる電灯も含めて1かな)

たくさんの本が積まれたシルエットも「1」をイメージ。

ということで…グリーティングカードを広げると
そのシルエットが「11」という訳です。

くま吉11th4.jpg

中には本の装丁をイメージして
真っ白な2つ折の便箋代わりに使っていただける紙を封入。

くま吉11th5.jpg

もちろん、封筒付きです。


今回は様々な色の画用紙を使って仕上げたので…

「各パーツの切り抜きが大変でした」

でも、彩り良く仕上がったので、満足。

「あと、前回同様、くま吉くんの目と口の部分は
 私が手描きしているので、1セット、1セット表情が微妙に違います」

お近くにお立ち寄りの際にはぜひ手に取ってご覧くださいね。



そして…6月22日(土)〜24日(月)には
「どんぐりまつり」も開催。
全商品10%OFFセールと
300円以上お買い上げの方は、くじ引きができます! (1日1人1回)
くま吉と写真撮影(写真プレゼント)
23日(日)には、Petit Lightさんによる
どんぐりキャンドル作りのワークショップなどもあるそうなので
ぜひお時間ございましたらお立ち寄りくださいね。

さて、もう1つ…

最近、手描きポストカードの制作を一旦休止しまして…
あれこれ作っているのが…
「グリーティングカード」
元々は先にご紹介した通り、えいこーんずさんの記念イベント用に
毎年、ちょこちょこと作っていたのですが…

「グリーティングカードの制作の楽しさに目覚めて
 オリジナルで作品として作ってしまいました」

という訳です。

先月の5月に愛知県一宮市で開催された「杜の宮市」で先に登場していたのですが…
先日、11周年記念のグリーティングカードと共に納品してまいりました。

てんとう虫1.jpg

1つは「てんとう虫」
ヨーロッパなどでも幸福を運んでくると言われていて縁起の良いモチーフ。
なので、最初にコレを作りました。
見た目、1匹かと思えば…

てんとう虫2.jpg

「もう1匹、中にいます」

幸せ2倍ということで…


睡蓮1.jpg

もう1つは「睡蓮」
白い花の睡蓮が好きなので…
花びら型に切り抜いて、4層重ねて少し立体感を出しています。

さて、睡蓮といえば…私の好きな生き物がいそうな…植物ですね。
あれです…

睡蓮2.jpg

「カエルです」

ちゃんと中で泳いでいます。

どちらのタイプも封筒をお付けして販売中です。

そしてもう1種類。
こちらはカラーペーパーを入れこむタイプのグリーティングカード。

シャツとワンピ.jpg

ワイシャツとワンピースが切り抜かれていて
そこにカラーペーパーが入ることで切り抜かれたシルエットが
浮かぶという仕様になっています。

カラーペーパーは便箋のように使っていただけます。

これから夏に向かって季節に合わせたものが色々出来たらいいなと思っています。
えいこーんずのネットショップでも取り扱っておりますので
よろしければ、そちらもご覧ください。
http://haycorns.shop-pro.jp/?mode=cate&cbid=347121&csid=4&sort=n


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「5月5日(日・祝)愛知県一宮市の真清田神社で開催の『杜の宮市』に参加します」 [作品制作のはなし]

ごぶさたしております。
最近、ブログがなかなか更新できずにすみません。

B展示1.jpg
昨年末のえいこーんずさんの企画展示の際には
年末の忙しい中をたくさんの方に足を運んでいただき
本当に嬉しかったです。

大変遅くなりましたが、
あらためてこちらでお礼の言葉を書かせていただきたいと思います。

本当にありがとうございました。

会場内に設置したアンケートBOXにも色々なお言葉が詰まっていて
「制作続けてきて良かった」としみじみ。

またこの展示で得たものを糧にして
制作活動を頑張っていきたいと思います。

※ご来場できなかった方のために別ページで展示風景をまとめました。
 よろしければご覧ください。
http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2013-02-03

NYC2013.jpg
年末の展示で手がけたマッチ棒の平面構成が
ツボに入ってしまい、今年の年賀状も、マッチ棒と炎で表現。

※昨年以前のものと比べると色々な西暦シリーズを作ってきたなと…
 見直してみるとちょっと面白い。
http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2013-03-03

さて、ゴールデンウィークまっただ中。
はい、毎年恒例の「杜の宮市」が今年もやってまいりました。
今年で13回目の杜の宮市。
明日、5月5日(日・祝)に開催です。

今回も似顔絵を得意とするパートナーと共
「FuFu(ふうふ)」というユニット名で参加します。
たくさんの方にお逢いできることを楽しみにしております。

実は今回、恒例の手描きポストカードとモビールに加えて、
新作を持ってお邪魔します。
それは「グリーティングカード」

10thDM_3.jpg

9thCard1.jpg

数年前より、委託販売でお世話になっている
名古屋市千種区の「えいこーんず」さんでは
限定品として度々登場しているのでご存知かと思います。

そんな訳で…
かえるのふくちゃんの手描きポストカードにはない、
ちょっとシンプルなグリーティングカードを
ご披露できたらと思っています。
もし、お時間ございましたらぜひお立ち寄り下さい。

杜の宮市
名鉄「名鉄一宮」駅、東海道本線(JR東海)「尾張一宮」駅から、主要会場まで徒歩約8分
真清田神社 境内にて開催。

※第13回杜の宮市の当日の会場案内パンフレットもアップされています。
http://www.miyaichi.net/pdf/A2_naka.pdf

私達のブースは68番。神池寄りの場所です。

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「2013年の年賀状」 [作品制作のはなし]

もうすっかりお年玉切手シートの交換も始まって…
手元にあるのに…

「今さらながら年賀状の話」

はい?

「今、なぜこのタイミング」

ま、備忘録ということで…(←言い訳)

毎年恒例になっているので…今年も懲りずに書いてみる…

今年の巳年。

昨年の辰年同様…
(後ほど、下の方にアップします)

「アレンジしても、なかなかキュートにならないのよね…」

自分の干支同様(私は辰年)…

「ハードルが高いなぁ…」

と、ふつふつと思いながら昨年末に制作してたのがコチラ。

NYC2013.jpg

年末に展示した作品…
http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2013-02-03
こちらの、スピンオフみたいな仕上がりにしました。
来場していただいた方には分かる仕掛けということで…
いかがでしょうか?



ちなみに…
2012年の辰年(年女のため、親しい友人には宛名面に仕掛けをしました)
2012.jpg


2011年の卯年

2011CARD.jpg


2010年の寅年

2010.jpg


2009年の丑年

2009newyear.jpg


2008年は喪中のため寒中見舞い




2007年亥年




2006年の戌年



西暦シリーズはしばらく続きそうね(苦笑)

■おまけ■
お年玉付き年賀はがき。
今年は切手シートが大当たり。
嬉しいです。

2013お年玉記念切手.jpg
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