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「11/21(土)岐阜新聞映画部「浅田家!」上映&中野量太監督 トークショー」 [映画のはなし]

どうも。ブログでは大変ごぶさたしております。

11月21日(土)岐阜CINEXで開催された
岐阜新聞映画部「浅田家!」上映&中野量太監督 トークショーに
出かけてきまして…

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どうしてもTwitterなどでは書ききれないほど、
貴重なトークが盛りだくさんでしたので
久しぶりにブログの更新です。

昨年、第11回TAMA映画賞で最優秀映画賞を受賞した
山崎努さんが認知症の父、そしてその娘を蒼井優さんと竹内結子さんが演じ
話題となった「長いお別れ」が岐阜CINEXで上映された際にも、
その和やかなトークで来場者を笑顔にした中野量太監督。
今回も「浅田家!」上映終了後に開催された、
中野量太監督を囲んでのトークショーでも、
今回の映画にまつわるエピソードを
惜しげもなく披露してくださいました。

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トークショーの当日の時点では、配給元が東宝ということもあり、
島根以外の全国で絶賛公開中という状況。
そして10月には、第36回ワルシャワ国際映画祭の国際コンペティション部門で
最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)を受賞となり、
世界からも注目されている映画のひとつです。

とはいえ、コロナウイルスの感染が拡大し、
日に日に感染者が増える中で、東京から岐阜まで、
はるばる来岐してくださった中野量太監督。
映画ファンとしては感謝しかありません。

さてここで少し、今回 #岐阜CINEX で上映となった「浅田家!」
こちらを知らない方にちょっとご紹介。
この映画の元になったのが、
三重県津市出身の写真家、浅田政志さんの活動。
彼は大阪の写真専門学校の卒業制作として撮影したことをきっかけに、
浅田さん自身の家族を被写体にして、
様々な場面設定やコスプレをしたひと味違った家族写真を多数撮影。
それをまとめた写真集「浅田家」は2009年に
「写真界の芥川賞」とも呼ばれる木村伊兵衛写真賞を受賞しています。

その後、家族写真をテーマに全国様々な家族を撮影した浅田さん。
2011年の東日本大震災で津波で流されてしまった泥だらけの写真と
アルバムを救済する現場の存在を知り、
その活動を取材・記録したものを2015年に藤本智士氏と共に
「アルバムのチカラ」として本にまとめています。
今回の「浅田家!」は、この2つが原案となって制作されています。

ということで、まず最初にどのような経緯で
中野監督に決まったのか?という所からトークがスタート。

「原作との出会いは3年前。プロデューサーの小川真司さんから
「この写真集を映画化したい」と言われたのが最初です。
小川さんはその前から『浅田家』の映画化を考えられていたそうですが、
監督を決めかねていたそうで…そんな時に、
家族をテーマにして撮影する僕の映画作品を見て、
僕にオファーしてくれたみたいです」と中野監督。

そして今回、「浅田家!」の重要な場面と言えば…
東日本大震災を描いているというところ。これについては…
「やはり、クリエーターのひとりとして、3.11は描きたかったですが、
自分が撮りたいと思う家族をテーマにした映画の中で、
震災を描くことで、辛いモノになるのは自分は嫌だったんです。
それに実在されている方を軸にしている映画なので、
今回は浅田家ご本人をはじめ、東北にも足を運んで、
多くの取材を重ねていきました」とのこと。

さて、多くの方が気になるところが今回の映画のキャスティング。
主役が二宮和也さんをはじめ、兄役には妻夫木聡さんと
脇も演技派や名バイブレーヤーの俳優陣ががっちりと固めています。
これについては…
「僕は二宮くんは以前から他の作品を見て、いいなぁと思っていたんですけど…
今回の映画の軸となる浅田政志さんって、ダメな所があっても、
周りが放っておかないというか、ある意味、人たらしで…
そういうのって演技じゃなくて、その人となりじゃないですか?
そう考えていた時に、二宮さんが浮かんで、
配給元の東宝さんも『二宮さんがオファーを受けて動いてくれれば…』と
言っていたんですが…これがなんと、二宮くん、受けてくれたんですよね。
そこからはもう早いですよ。
政志とは真逆のタイプの兄となれば、ここは妻夫木くんかな…
と、とんとん拍子でキャスティングができました」と笑顔で語る中野監督。

この二宮くんのオファー快諾のスタートが、
実は昨年のアカデミー賞の授賞式でのエピソードだったということも
詳しく語ってくれました。

実は監督の商業映画のデビュー作で宮沢りえさんが主演をつとめ話題となった
「湯を沸かすほどの熱い愛」がアカデミー賞の2部門で最優秀賞を獲得。
宮沢りえさんが仕事のため欠席ということで代表して監督が授賞式に参加したそう。
その際にプレゼンターをつとめていた二宮くんが、
映画のタイトルを『湯を沸かすほどの熱い夏』と言い間違えてしまったそう。
中野監督としては「そうだよな…湯を沸かすほどの熱いって来たら…夏だよなぁ」
と、思いながら宮沢りえさんの代わりに賞をいただき、
その場は事なきを得たそうですが…

この言い間違いを誰よりも悔やんでいたのが、二宮くん。
自分自身、事あるごとに
「二宮和也を『にのみやかずや』って呼ばれるのが心底嫌なのに…
心血注いで創り上げた映画のタイトル間違えられたら…」と、
二宮くんは、その後も大変気にしていたそうです。
そんな中で、二宮くんのマネージャーとの
会食する機会があり、出向いた中野監督。
そこで二宮くんから直筆でその言い間違いの際の
お詫びの内容が書かれた手紙をいただいたそうで、
手紙の中では「いつか一緒にお仕事しましょう」
という言葉もあったそうで、
俳優としての二宮くんが大好きだった中野監督は
いたく感動して、お酒も入っていたことから、
慌ててその場にあった紙ナプキンを掴んで、
即座にお返事を書いたのだとか。

それからしばらくして「浅田家!」のオファーをしたところ、
二宮くんは二つ返事で快諾。
そこから、クランクアップ、撮影も順調に進んだのですが…
二宮くん本人からは特に手紙のことなど
改めて話されることもなかったので、中野監督は内心
「あの手紙は代筆だったのではないか?
だとしたら自分、舞い上がって紙ナプキンで返事書いたりして…」
と急に不安になったそう。
ところが…無事に撮影を終えて、打ち上げとなった際に…
二宮くんがその手紙の話を披露して、驚いたのは何を隠そう中野監督。
「いやぁ…この一件で、さらに二宮くんが好きになりましたねぇ」と
笑顔で語っていらっしゃいました。

続いては撮影のエピソードを中心にトークが展開。
撮影を通しての率直な感想を中野監督はこうお話していました。
「やはり、前半は撮影が楽しかったですね。
そして後半は苦しかったですね。実際にあったことを再現するのは
やはり現地の人の目で見られることで違和感があってはいけないと考えると…
当時の被災地の再現が難しいというのも理由のひとつですね。
なので再現には非常に気を遣いましたし、最大限の努力をしました」
とのこと。
そして撮影前より実際に現地に何度も足を運んで
取材を重ねたことが功を奏したそうで…
「最初、映画を制作するためとはいえ、
震災をエンターテイメントに取り込んで良いのか
迷いながら取材を始めていたんです。
だた、東北で実際に被災された方からお話を伺うと、
確かに当時のお話は辛いんですが、
それを踏まえて、自分の目の前にいらっしゃる方々は、
明るい表情で前向きに僕らに惜しげもなく語ってくださるんですよ。
そういった場面にたくさん触れることで、
僕自身、背中を押してもらっているような気持ちになって
『よし、絶対いい映画を作るぞ』という気持ちになり
撮影に挑むことができした」とのこと。

そして中野監督にとっても「写真」は格別に思い入れがあるそうで…
「映画の中でも登場しますが、昔の…僕らの世代の人達だと、
台帳みたいな分厚い表紙の重たいアルバムに
生まれた頃から成長するまでの写真がたくさん残されるじゃないですか。
そういうアルバムって、まさに生きた証というか…
もの凄いパワーがありますよね。
今年も全国で水害など多くの自然災害が起きましたが、
その時にも被災地で真っ先に探すものといえば、
やはり皆さん、写真を探されるんです。
写真って、今を生きる糧にもなりますよね」とのこと。

そして無事に映画が完成した後、東京で試写会が行われ、
三重県津市の本当の浅田家一同が皆さんで試写会に訪れ、
鑑賞後のエピソードに浅田家らしさが出ていたという中野監督。
そのエピソードとは…
「映画の通り、浅田家のお父さんは、倒れられて身体に一部麻痺が残り
現在、車椅子での生活をされています。
で、試写会にもそのお姿でいらっしゃったんですが…
映画を見終わった後で、浅田家のお母さんをはじめ、
政志さん達が口々に
『映画の中で元気に動くお父さんが見れて良かった』と、
喜んでくれていたんです。あぁ、本当にいいご家族だなぁと。
僕の中では一番印象に残っているエピソードですし、
僕も映画を撮って良かったなぁと感じました」と笑顔で語る中野監督。
上映後の熱がさめない中での、
監督自らの貴重な撮影エピソードの数々に会場の鑑賞者の皆様も
時に笑いながら、時に頷きながら耳を傾けていらっしゃいました。


さて続いては、岐阜新聞映画部恒例の直接、
来場者の方々が質問できる質問タイムに。
最初の質問は、実在する人物を映画にするということは
プレッシャーにはなりませんでしたか?
また実在する人物を映画にすることで印象的だったことなどあれば
教えてくださいという質問。
これについては…
「今回、実在する方々を映画にするということで、
そのためには演じる俳優陣の方々には、
実際にご本人にお会いする機会を僕らが作りました。
例えば浅田家については、ある日、三重県津市の中華料理店に
ご本人と演じる俳優さん達を引き合わせて、一緒にお食事をしました。
一緒に時を過ごすことで、
俳優さん達も自身が演じる相手が持つ独特の空気感などを、
つかみやすいと思ったからです。
そのおかげもあって、実際に撮影が始まった後も、
演技に活きているなぁと感じたことが多々ありました。
それと、ご本人が健在だと、様々なお話が伺えて…
特に浅田政志さんはああいう写真を撮影される方ですから…
まさにエピソードの宝庫な訳です。
なので、逆に映画におさめるために、
泣く泣く切り捨てたエピソードなどもあり…
取捨選択が非常に大変でしたね」
と笑顔で語る中野監督。

続いての質問では、写真洗浄のボランティアを始めるきっかけを作った、
東北出身の大学院生を演じた菅田将暉くんについて。
普段は主役をつとめる彼がこの映画では脇役で、
最初、菅田くんだとわからないほど、
まさにボランティアに黙々と取り組む大学院生にしか
見えない演技に魅了されました。
他にも様々な俳優さん達の演技が光る映画ですが、
監督として何か演技の演出はされたのでしょうか、という質問。
これについては…
「それぞれの俳優さん達には、
自分が演じる役がどういう人生を送っているかを
理解してもらうのがやはり役作りの一番の近道だと思っていたので、
役作りとして有益な素材や環境を提供したかったので、
例えば先にお話した演じる役のご本人にお会いしてお話をするだったり、
当時のことを詳しく伺うなど、そういった時間はできる限り設けました。
それを踏まえてその先はもう俳優さん達の力量だと僕は思っているので、
特に今回もああして欲しい、
こうして欲しいというのは極力なかったように記憶しています。
菅田将暉くんについては小野くんを演じてもらうことが決まった際、
モデルとなった写真洗浄ボランティアに携わった小田さんに会ってもらう
セッティングをしたんですが…
その当時、まさに話題となっていたTVドラマ
「3年A組-今から皆さんは、人質です-」の撮影真っ只中だったこともあり、
菅田くん自身からも『険しい表情ですいません』と言われた程です。
で、ぶっちゃけてしまうと、実在の小田さんは本当に穏やかな表情で、
あぁ、この方の優しい気持ちから
写真洗浄のボランティアが生まれたんだなという佇まいの方で、
正直言うと、菅田くんとあまり似ていなくて。
でも、菅田くんはその小田さんと会って、当時の様子の話を伺い、
実際に写真洗浄のボランティアの作業も体験してもらいました。
ボランティアの作業は冷たい水を使って、
地道に泥を洗い流していく気の遠い作業でしたが、
実際に作業を体験したり、小田さんが語ってくれる話に、
丁寧に耳を傾けてくれて、
菅田くんは俳優として色々な部分をすくい取って、
自分の中に取り込んでくれたんだと思います。
結果として撮影が始まり、カメラ越しに見た菅田くんは、
まさに小田さんをモデルとした小野くんそのものでした。
本当に凄い俳優だなと僕も感じました」とのこと。

最後の質問は、浅田家の家について。
あれは実際にある浅田家と同じなのですか、という質問。
これについては…
「僕にとって、浅田家での家の中の雰囲気は
『家に帰りたくなる雰囲気』だったので、
これを作るためには実際の家に近い姿を
再現したいなと思って頑張りました。
あの家は本当の浅田家のお家ではなく、ロケセットなので、
間取りなどは実際の浅田家とは違ってはいますが、
映画の中で小さい頃の政志がお父さんにカメラを譲ってもらい、
玄関先で撮影するシーンや、
成人になってからは政志とお兄さんがタバコを吸うなど
玄関は浅田家の人となりも見えて来る重要な場所でもあるので、
例えば実際する浅田家のお父さんが趣味で集めていたという
レトロなホーロー看板などの個性的なアイテムは
それに近づけるように再現しましたし、
あと屋内の家具や小物の配置も
本当の浅田家の屋内に近い形で作っています」とのこと。

映画のパンフレットの解説によれば、浅田政志さんご本人いわく
「家具やインテリアなどの内装から玄関の風変わりな看板まで
かなり似せて作られている」のだそう。
思えば…東海地方でも三重県出身の浅田政志さんが
木村伊兵衛写真賞を受賞された際、
地元の情報番組でも様々に取り上げられていて、
私も何度か浅田政志さんのご実家の風景を
テレビのモニタ越しに拝見したことがあって…
映画を見た際、玄関先の壁にたくさんある壁時計や、
リビングにある観光地の名前が入ったミニ提灯がずらりと並んだ風景に
「あぁ、あのご自宅だ」と思いました。

あと現場の再現ということで…東北編の部分のエピソードも…
「写真洗浄のボランティアを行い、多くの写真を救い出すシーンでは、
撮影スタッフなどから家族写真を中心に集めたんです。
だいた4万枚ぐらいかな。
これを実際にロケ現場で掲示するなどして、
当時の現場を作り上げていきましたね。
あと、政志が以前、新一年生になる娘を中心に
家族写真を撮影することを依頼された
東北の高原家に、震災後に尋ねるシーン。
家族写真を依頼され、打ち合わせに初めて訪れる際と同様、
カーナビを使って現地にと向かうのですが、
そこは以前訪ねた風景とは全く違い、
津波にのまれ、一面がれきと化した、
とても住宅地とは言えない惨状。
ここでは、遠景はCGで処理したんですが…
政志を演じる二宮くんが立ち尽くす周辺のがれきは
実際に取り壊しなどで出た廃材を積み上げて、
当時の現場の雰囲気をリアルに再現することにしました。
そういった現場の再現がもしかしたら
俳優陣の演技をより引き出すことに役立ったかもしれませんね」
と語る中野監督。

震災後に高原家を尋ねるシーンは、
鑑賞者も息が詰まる非常に苦しいシーン。
春の穏やかな住宅地の風景を先に見せられているからこそ、
あの住宅のがれきが散乱する惨状の落差は、
自然災害の恐ろしさやその場に遭遇した人達の辛さが
見る側により伝わりました。

あっという間にトークショーもエンディングに。
最後は監督からひとこと。
「昨年の3月から4月にかけて撮影を行ったこの映画ですが、
まさかその時には今年のような大雨などの災害や、
コロナウイルス感染拡大による苦しい世の中になるとは
思いもよりませんでした。
今回、完成した映画をご覧いただく方には、
家族を通して、家族のよさなどを改めて感じられ、
心に潤いを与えるそんな映画になれたらいいなと思っています。
現在もコロナウイルスの感染拡大が続いており、
厳しい中ではありますが、
また新たな映画に取り組みたいと思っています」
と終始笑顔で語られていた中野監督でした。

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東京など都市部では感染拡大が進み、
大変な中、岐阜までお越しいただき、
貴重なお話をたくさん披露してくださいました。
お忙しいところ本当にありがとうございました。
今回の「浅田家!」を鑑賞し、
次回作が何よりも楽しみな映画監督だなと。
エンターテイメントを作る側としては厳しい状況が続きますが、
いつかまた近いうちに中野監督の
心温まる素敵な新作が拝見できることを楽しみにしています。

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