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「明治村を歩く〜1丁目付近:西郷從道邸〜」 [建築etcのはなし]

さてお腹も満たされた2人
http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2008-12-03

食堂から最寄りのバス停からバスに乗車。明治村の正門付近に到着。
下車して、てくてくと歩き…2人、大井牛肉店の前に立つ。
大井牛肉店.jpg
「大井牛肉店」------------------------------------------------------
横浜、長崎についで慶応3年(1867年)開港したのが神戸。
外国船が寄港し、外国人居住地には外国人の住宅が次々と建てられることに。
それに伴って、外国人相手の商売を始める人が出て来て
船や在住外国人に牛肉を納める人々も登場。
そんな中の一人が明治20年頃、岸田伊之助によって
牛肉販売と牛鍋の店として建てられたのがこの「大井牛肉店」
さすが外国の商館が立ち並ぶ街にふさわしい佇まいで
正面も華やかではありませんか。
とはいえ、デザインは洋風でも、木造に白漆喰を塗った柱や窓廻りを
形作ったり、屋根は桟瓦を葺いて日本古来の技法が用いられています。
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1階に資料展示などもしてあるので…
せっかくなので中にも入ってみましょう。
2階が牛鍋など、料理を提供するスペースとなっているため
そこからおいしそうな香りが階下に降りてきています。
なので、さきほどあんなにカレーを食べたばかりだというのに…
「いい香り…」
それと1階に牛鍋の食品サンプルが展示してあったので
私が以前に食べた時の話をしたら
相方が『次に来た時には…これだな』と、つぶやく。
おほっ。良い返事をいただけましたよ。
俄然、次回に期待するユキヲであります(笑)

途中、古都の小径のような風景を歩きながら…
紅葉の小径.jpg
仲むつまじいアヒルのペアに遭遇。
仲良しあひる.jpg
元気よく動き回るその姿に…
三谷ファンの相方と共に結婚間近に一緒に見た
「THE 有頂天ホテル」に出て来るアヒルを2人で共に想い出す(笑)

そして、重要文化財の聖ヨハネ教会堂を外から眺める。
聖ヨハネ教会堂.jpg

「聖ヨハネ教会堂」---------------------------------------------
明治6年(1873年)鎖国以来二百数十年続いた
キリスト教の禁止令が解かれ各地には教会堂が建てられるようになりました。
そして明治40年(1907)京都の河原町通りに建てられた
プロテスタントの一派日本聖公会の京都五條教会がこちらの教会堂。
二階が会堂に、一階は日曜学校や幼稚園に使われていたそうです。
大きな窓を採用していることもあり、室内はとても明るいです。
構造は、一階がレンガ造、二階が木造で造られており
屋根には軽い金属板が葺かれていることから
地震が多い日本の土地の特性に配慮されたと考えられています。
結果、その構造自体が優れたデザインに通じており、
外観・内観ともに美しい建物として現在まで保存されています。
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「日本の土地に根付いた…あたたかみのある教会堂だねぇ」

快晴の空の下にどっしりと構える教会堂を見てしみじみ。
さて、再び歩き出し…しばらくして目の前に現れたのは…
西郷従道邸.jpg
こちらも重要文化財の西郷從道邸でございます。
私、帝国ホテルの次にこちらの建物が気に入っております。

「西郷從道邸」--------------------------------------------------------------
明治10年代(1877~1886)のはじめ西郷隆盛の弟である
西郷從道が東京上目黒の自分の屋敷内に建てたもの。
西郷從道は、国内では陸・海軍、農商務、内務等の大臣を歴任し、
維新政府の中枢を担った人。
さらには明治初年から度々海外に視察に出掛ており
在日外交官との接触も多かったとのこと。
そのため広い敷地内に、和風の本館と少し隔てて洋館を建築。
半円形に張り出されたベランダや上下階の手摺等デザインもさることながら
耐震性を高めるための工夫がこらされている建物で
屋根に重い瓦を使わずに軽い銅板を葺いているところや
壁の下の方にレンガをおもり代わりに埋め込み
建物の浮き上がりを防いでいるなど、その耐震構造もあって
あの関東大震災も無事にくぐり抜けている貴重な建物でもあります。
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そう、この当時は日本家屋=住居、洋館=おもてなしの館
と、役割をそれぞれの建物に分けていたんです。
私が以前に訪れた三重県桑名市の「六華苑」
http://www.city.kuwana.lg.jp/culture_sports_and_education_article_752.html
東京都目黒区駒場にある「旧前田利為邸」
http://www.tokyo-kurenaidan.com/maedatei.htm
も、このような作りです。

にしても…佇まいが美しいではありませんか。
ちょうどツアーガイドの時間に間に合ったので2階なども案内していただくことに(嬉)
初めてです。2階に足を踏み入れるのは。

まず、ほれぼれしたのはそのベランダからの眺め。
西郷邸より2.jpg
西郷邸より1.jpg
「美しい」

西郷さんもこうして自分のお庭と目黒の街を見渡していたのでしょうか。

瀬戸焼の暖炉.jpg
そして驚いたのがこの暖炉。なんと地元の「瀬戸焼」でございます。
これほど大きなものを焼き上げるのには相当な技術が必要だと
思っていたら、やはりその通りで…
裏面など、見えない部分には無数の穴が開けられており、
焼き上げる際に、膨張や破裂を防ぐ工夫がされています。
さすが外国人のお客様が多かったということもあり
日本三景が描かれている暖炉とは…粋ですね。

そして脇に写るこのピアノ。
ピアノのある部屋.jpg
日本楽器製造株式会社(現:ヤマハ)が製作したピアノでございます。
調律はされていませんが音もちゃんと出る100歳を越えるピアノです。
(ガイドさんが鳴らしてくださいました)

「いやぁ…何とも言えない充実感です」
ガイドツアーだと調度品などの説明もしていただけるので
理解も深まりますし…本当にありがたいです。

名残惜しいですが…このあたりで西郷邸を後にし…
1丁目最後は…登録有形文化財にも指定されている
「森鴎外・夏目漱石住宅」へ。
森鴎外夏目漱石住宅.jpg
「森鴎外・夏目漱石住宅」-------------------------------

明治20年(1887年)頃、元々は医学士であった
中島襄吉の新居として建てられたものだったのですが…
空家のままであったことから、
明治23年に森鴎外がこの住まいを借りて一年余りを過ごします。
さらに明治36年(1903年)から同39年までは夏目漱石が借りて過ごしたという
なんとも「文豪」にご縁のある住宅です。

ちなみに森鴎外は、ここに移り住む同じ年の1月に
処女作小説「舞姫」を発表し、この家では「文づかひ」などの小説を執筆しています。
一方、約10年遅れてこの家に住んだ漱石がここで執筆したのが
あの「吾輩は猫である」。文中に描写された家の様子は、
猫のためのくぐり戸など、この家の姿を垣間見ることができます。
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玄関から靴を脱いで住宅にあがることができるので
せっかくなので家の中を探検(笑)

「なんだか落ち着く空間ですね」
典型的な和風住宅。和服姿の鴎外さんなどが目に浮かんできますね。
お庭も四季を通じて楽しめる植物が植わっており、
住宅の縁側に腰掛けると心落ち着きます。

「さて、では次にまいりますか…」
1丁目を満喫したユキヲ。
続きましては、本日の大本命、
3丁目に移築され、公開が始まった「芝川又右衛門邸」を目指します。

続きはまたのちほど…
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