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「愛知県美術館:生誕100年 ジャクソン・ポロック展」 [展覧会のはなし]

だいぶ前の話になりますが…
1月13日(金)

この日、仕事を終えた後に向かった先は…

「愛知県美術館」

昨年2011年11月11日から開催されていた
ジャクソン・ポロック展を鑑賞に出かけました。


image-20120305220140.png


この日、学芸員さんによる
解説がありまして…
その上、私は愛知県美術館の夜間開館には今迄
出かけたことがなかったのでそれも理由のひとつでした。

今回のこのジャクソン・ポロック展。
凄いところは、ポロックの日本初となる回顧展ということ。
日本国内に所蔵されている約30点のポロック作品はもちろん
その他にも世界中から集められた
ポロックの人生において重要な節目となる作品達が揃いました。
あまり金額の話ばかりしてはいけませんが…
イランのテヘラン現代美術館から、ポロックの最高傑作と言われている
「インディアンレッドの地の壁画」という作品。
最新の保険評価額は200億円。

そんな作品群が集結するのが東京とここ愛知のみというのだから…

「これは行かねば」と思った訳です。

とはいえ、そんな数字的な話題が先行していたこともあり…
私といえば、あまり抽象絵画は明るい方ではなく…
(かといって具象も明るくなく…私の守備範囲はかなり狭い訳ですが)
まずは
「ジャクソン・ポロックとはどんな人か?」
というところから始まる訳です。

さ、今日も長くなりそうです。

1912年、ワイオミング州コーディに生まれたポロックは
先にNYで絵画の勉強をしていた兄を頼りに
1930年からはアート・スチューデンツ・リーグでアートを学びます。
ここで当時全盛だったアメリカン・シーン派(地方主義)の画家
トーマス・ハート・ベンソンの指導を受け、
さらに1935〜1942年にかけては、当時の公共事業促進局(WPA)の
連邦美術計画(ニューディール政策の一環として新進の画家達に
公共建築物の壁画や作品設置などを委嘱した)の仕事を受け、壁画を担当。
メキシコ壁画運動の影響を受け、そしてシュルレアリスト達との交流や、
尊敬する作家達であるパブロ・ピカソやジョアン・ミロらの影響を受け
1943年頃から、キャンバスを床に置き
缶に入った絵具やペンキを直接スティックなどでしたたらせる
「ポーリング」という技法を使い始め
著名なコレクター、ペギー・グッゲンハイムに見出されます。
そして1947年からキャンバス全面にその作風を展開し
この頃に、批評家であったクレメント・グリーンバーグにより
大きく評価され、各メディアから賛否両論はあるものの
注目のアーティストとして取り上げられることになるのです。
しかし、元々、アルコール依存症を患っていたことと
確立した「ポーリング」の技法の殻を破りたいものの
それが上手くいかない現状にポロックの作風も模索し、迷走。
最後には若い愛人と友人を道連れにし自動車事故を起こし
44歳という若さでこの世を去ることになります。

今回の回顧展はこのポロックが生まれてから亡くなるまでの
人生の歩みが非常によく分かるように年代を追って作品が展示されており
鑑賞者が一歩、一歩、進みながら鑑賞することで、
ポロックの歩んだ世界を堪能することができました。
そんな訳で会場内では

第1章 1930〜1941年 初期 自己を探し求めて
第2章 1942〜1946年 形成期 モダンアートへの参入
第3章 1947〜1950年 成熟期 革新の時
第4章 1951〜1956年 後期・晩年 苦悩の中で

と大きく4つに分け、人生の歩みと作品の発展を鑑賞することができます。

後で紹介しますが、会場内にポロックのアトリエが再現されていたことも
その世界観を鮮明に体感するひとつの重要なスペースとなっていました。

さて会場の入口をくぐり…足を踏み入れるのは
第1章 1930〜1941年 初期 自己を探し求めて

最初に目に入るのが「無題」となっている自画像。
油彩のその作品は1930年にNYでアートを学び始めた頃の作品です。
思春期の言葉で言い尽くせない不安を表しているのでしょうか?
そこに明るい雰囲気はなく、これから先の波乱の人生を予感させるような
そんな混沌としたオーラを放つ作品です。

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そしてもうひとつは「西へ」という同じ時期に描かれたとされている作品。
※チラシにも掲載されていた作品でした。

当時全盛だったアメリカン・シーン派(地方主義)の画家
トーマス・ハート・ベンソンの指導を受けると同時に
自らがアメリカ西部を転々とした実体験をもとにして
当時、陰鬱で神秘的なムード漂う風景画で知られる
アルバート・ピンカム・ライダーの影響もあいまって
独特の作品に仕上がっています。

1934年頃に制作された「四つの図柄のあるパネル」では、
メキシコやインディアンの影響が色濃く出ています。
ここにきて鮮やかな色調と抽象的な表現が登場。
この後のポロックの作品の種とも呼べるような雰囲気すら漂います。

1938年頃に制作されたと言われる
「無題」(蛇の仮面のある構成)では
アリゾナ州にあるネイティブアメリカンの遺跡を
少年時代に兄弟とともに巡ったことがベースに
なっているのではないかとのこと。
それに加えて、1941年にはニューヨーク近代美術館で
「合衆国のインディアン美術展」なるものが開催され
ネイティブアメリカンによる砂絵のデモンストレーションが行われていたので
これがポロックの作品に影響を与えているのでは
と考えられています。
確かに…土着的な感じがします。

ちなみに、矢印や稲妻は民族アートでは代表的なモチーフだそうです。


image-20120305220350.png

そして…
1941年頃に制作された「誕生」
※こちらもチラシに掲載されていました。

これははニューヨーク近代美術館で開催されたインディアン展で
展示されていた仮面をモチーフにしているのでは…とのこと。
さらには、1939年にはニューヨーク近代美術館で
ピカソの回顧展が開催されていたのでこの展覧会を鑑賞した
ポロックが、以前より尊敬するピカソの影響をより強く受けた結果
このような作品が完成したのではと考えられています。
(当時の回顧展のカタログをポロックは持っていたことから)
とはいえ、1930年代のピカソの作風の特徴である
暗いトーンカラーで縁取りをする手法を踏襲しつつ
鮮やかなカラーを彩色することで
ピカソよりもより抽象的な世界を表現した作品となっているとのこと。

そして、先に紹介したように、当時の公共事業促進局(WPA)の
連邦美術計画(ニューディール政策の一環として新進の画家達に
公共建築物の壁画や作品設置などを委嘱した)の仕事を受け、
壁画を担当したバックグラウンドも色濃く反映されていると思われる
モザイクやセメントなどを使い壁画の手法を使った「無題」の作品は
壁画を黙々と仕上げる当時のポロックの姿が目に浮かびそうな
そんな作品です。


さて続いては、彼の制作技法が確立される過程を観ることができる
第2章 1942〜1946年 形成期 モダンアートへの参入
のフロアへ。

「注ぐ」を意味する「ポア」から生じてできた言葉が
ポロックの制作スタイルを表す言葉「ポーリング」
この技法は流動性の塗料を画面に流し込んで描くというもので
1942年頃から作品の一部に使い始めるのですが
1年後には、キャンパス全体にその技法が登場します。

その代表作が1943年「ポーリングのある構成II」
今まで自らが体感したモダンアートを消化しつつ、
壁画運動などで培った技法や画材(ペンキなどの塗料)が
上手く融合されつつある過程を垣間見ることができる
そんな作品です。

そして他の作品にも興味深いトーンやモチーフが並びます。
1943年頃の「ブルー白鯨」
これは、最初観た瞬間、誰の影響かがよく分かる作品。
「ミロに影響されたな…これ」
細い線で描かれたモチーフに様々な色を塗り分け
軽やかなリズムを表現している。まさにミロの構図に似ています。
「ポロックって… 結構、体感したものをすぐに形にしたり、
 自らの手で即、試したいタイプというか…
 こう…食べ物で言うと、料理を味わいながらその料理を作っていくような…
 結構、せっかちなタイプかな」
たぶん、オリジナルの表現を早く会得したい一心だったんだろうな…
まだ、ちょっと消化が足りない感じでしょうか?

1945年の「トーテム・レッスン2」は、
ネイティヴ・アメリカンのトーテムを主題とした作品で
第二次世界大戦後のアメリカを代表する
美術評論家であった、クレメント・グリーンバーグが絶賛した作品。
グレーの背景を後に塗り、仕上げているこの作品。
それ故に、なんとも土着的あるいは呪術的な…
不思議なオーラが感じられる独特の世界を醸し出しています。

そして1946年の「無題」では
エナメル塗料やアルミニウム塗料などが登場しているのですが
この頃からポーリングが重なる層が厚くなり、色調も多くなり
ポロックの技法が成熟する過程がありありと分かる作品のひとつですね。
アルミニウム塗料はグレーのように見えて
光が反射して輝いて見えるので
作品の立ち位置により目に映る作品も変化するので
平面の作品ながら奥行きが出るという非常に奥深い作品になっています。

そして続くは

第3章 1947〜1950年 成熟期 革新の時

この空間に入ると、まさに「ポロック」の全盛期を代表する作品の数々が勢揃い。
画面を同じようなパターンで埋め尽くす「オールオーヴァー」という構成と
成熟期の前の過程で培った「ポーリング」の技法とがあいまって
オリジナルの表現技法が確立されたその作品の数々が並ぶ
フロアは大変見応えがあります。
※オールオーヴァー
画面全体が均質なパターンで覆われている構成

その成熟期の入口とも言える作品が
1949年に制作された「ナンバー11, 1949」
形成期の頃の作品と比べるとポーリングの密度も濃く
色鮮やかになり、まるで生き物が活発に動き回るように
躍動感あふれる画面構成になっています。
こちらの作品は日本とも縁が深い作品。
というのも、1951年、第3回読売アンデパンダン展が開催された際、
日本で初めて展示されたポロック作品2点のうちの1点。
そして同年の『みづゑ』誌4月号の表紙にもカラーで
大きく取り上げられただけでなく、
この後、若い画家たちと具体美術協会を立ち上げた
日本の抽象画家である吉原治良
そして具体美術協会で頭角を表していく画家
白髪一雄達へ、大きな影響を与えることになります。

※吉原 治良
大阪市の油問屋に生まれ、その後、
吉原製油(現在のJ-オイルミルズ)の
ゴールデンサラダ油のパッケージデザインなども手掛けたり、
ファッションショーの舞台装置をプロデュースするなど
その才能は抽象画家だけでなく、多岐にわたっている。



そして、もう自然と目がそちらに向いてしまう作品が
今回の一番の話題の作品とも言える
1950年に制作された「インディアンレッドの地の壁画」
ポロックが絶頂期にあった頃に制作された作品。

冒頭でも少し触れましたが、こちらの作品。
現在はイランのテヘラン現代美術館が所有する作品で
最新の保険評価額は200億円と評価された作品。
実はこの作品、32年前、イラン革命によって「門外不出」となった作品で
所蔵後の本作の海外への貸出は今回が初めてで、
美術専門家の間でも「ポロックの作品のなかでも最上級の作品」と
評判が高い作品でもあります。

元々はバートラム・ゲラー邸内の壁画として制作されたこちらの作品にも
アルミニウム塗料やエナメル塗料が使われており
非常に大きなキャンパスということと、
茶系、黒、白、黄系、など色とりどりのカラーを使い
ポーリングされているせいか、近くで見たり、作品から離れて見ることで
じっと観ていると…
まるでポーリングの線に絡め取られそうなほど
時に立体的に迫り込んだり、
さらには突き放されるような…時に遠くに感じたりと
とても不思議な感覚を抱かせます。
そして他の作品以上にその独特のポロックの世界に
引き込まれていく…
引力のようなものを強く感じる作品でもありました。

この日、実際に作品の目の前に立ち、
その破格の評価額となる理由も分かる気がしました。


同じく1950年の「ナンバー7, 1950」
こちらも日本とのつながりが深い作品。
というのも、先に紹介した1951年に日本に初めてやってきた
ポロック作品と一緒にやってきたもう1点の作品です。
白、黒、黄色などの塗料や絵具を使い表現されていますが
横長の帯状のフォーマットがなんとも独特な雰囲気で
日本とのつながりが深いということもあり、
こうして、じっくり観ていると、日本家屋の和室の壁面に
表装して掲げられた毛筆書のようにも見えてきます。

書といえば…さらにそれらしくも見える作品が…
同じく1950年頃に制作された「無題」
学芸員の方からの説明があったのですが
この白い紙に黒のポーリングは決して
日本の書などを意識したものではないということ。
とはいえ、そうはいっても自然と意識してしまうのは日本人の常かと。

この作品で重要なのは…

「偶然性を否定するポロックの心情が現れている白い塗料」

実はこちらの作品。
最初観た時には、ポーリングでとてものびやかに描かれたような
印象を受けるのですが、近くでよく見ると…

「ん?…白い点が…ポーリングされた線の一部に沿うように付いている」

なぜこれが分かるかというと…
こちらの作品、描かれて60年余り。
当時、真っ白だった紙は、色あせ、焼けてしまい
やや、ベージュっぽい色調の紙に変化していたんです。

「そんな変色した紙の上で、昔の紙の色をそのまま伝えるのがその白い点」

そう、一度描いたポーリングの線が気に入らなかったポロック。
たぶん、流れる線から脇にそれた線か点を消すために
白いカンバスに絵具を足したと想像できます。

「まさか、そんなポロックの制作過程での試行錯誤が
 紙の上の絵具で垣間見る事ができるとは…」

本当に貴重な作品ばかりです。

そして最後のフロアは…

第4章 1951〜1956年 後期・晩年 苦悩の中で

全体的に太い線と黒色で描かれた作品が多いこちらのフロア。
1951年から1952年にかけてポロックが取り組んだ
「ブラック・ポーリング」と呼ばれるシリーズ。
にじみを活かした「ステイニング」という技法による
色がしみ込んだ質感と濃色のダイナミックな線もあいまって
ポロック自身が身をよじり苦悩した姿にも見えなくもなく…
出口へと向かいながら、作品を観ることが
ポロックの最期へと一歩、一歩近づくようで
何とも緊張感あふれるフロアに感じられました。

具象的なイメージも見え隠れする画面。
ポロックが新しい何かを必死につかもうとしている途中だったことが
こうして大きな画面の前に立つことで、じわり、じわりと伝わってきました。

その中で割と小さいサイズの1951年に制作された
「無題」の作品があるのですが
私はこの作品がとても印象に残りました。

というのも…この作品には小石が混ぜてあり、
キャンバスに描かれる塊が小石の質感
油彩のマット感、エナメル塗料の光沢感とが融合し
独特の立体感が醸し出され…
次第に、生き物にじわじわと観えてきて…
「あ、甲虫類みたい…」
昆虫好きの私にはそう見えてきました。


さて、フロアの途中と最後には、普段の企画展にはあまりない
珍しい展示がされていました。

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その一つが、ポロックのアトリエ内を撮影した画像を引き延ばし
ポロックのアトリエ内を再現したスペース。


image-20120305220540.png


実際に使っていた塗料も絵筆が突っ込んだままになっているものも展示。
ラッカーやアルミニウム塗料などの容器など
貴重なものが展示されています。

靴を脱いで中を自由に見ることができるこのスペースは
じっくりと見ていくと…
ポロックの足跡や、キャンバスを置いて制作したと思われる
四角く型抜きしたような絵具の跡などを観ることができ
ちょうど私が鑑賞していた時に
小学生ぐらいのお子さんが見学されていたのですが
床をじっくりと眺めては保護者の方へ何か伝えている姿も…

image-20120305220611.png

「確かにこれは観ていて飽きないですねぇ…」


会場の出口付近には、自動車事故に遭った際に実際に
ポロックが履いていた靴を展示してあり、
その当時に流通していた自動車のホイールなどと共に展示。
当時の新聞も展示されていました。

今回のポロック展…私のようにポロックをあまり知らなかった人たちにも
ポロックの人生の歩みを垣間見る事ができる作品を順に追って鑑賞することで
ポロックの人物像はもちろん、1人の画家が確立したその独創的な技法を
体感することができ、大変印象深い展覧会でした。

現在は東京国立近代美術館で展示がされており
5月6日まで作品が展示されています。
http://pollock100.com/

愛知県美術館とはまたフロアの構成が違うので
また違った印象になるのかなとも思いつつ…
(私も東京国立近代美術館には何度か出かけたことがあります)

明日の3月6日(火)はBS日テレで放送されている
「ぶらぶら美術博物館」では、一度放送された
愛知県美術館で開催されたこの「ジャクソン・ポロック展」の
特集の再放送が午後8時から放送されるそうなので、
興味のある方はぜひご覧になられてはいかがでしょうか?

ということで長くなりましたが、
備忘録代わりの展覧会レポでした。
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Miltmozmmer

抽象絵画に明るくない私には難しいことはわからないのですが、
筆遣いから画家の心を感じるような気がして、
やっぱり本物を間近で鑑賞するのはいいなと思いました。

私がアトリエ再現のスペースを観ていたとき、
老夫婦の奥様が塗料の入っているガラスケースに近付き過ぎたのか?
はたまたガラスに気付かなかったのか?
おでこをぶつけ、ガーン!という音が鳴り響きびっくり!
「大丈夫ですか?」と尋ねると、恥ずかしそうに笑っていました。
学芸員さんは飛んではきませんでしたが、気まずくなった奥様は、
「ガラスに顔をぶつけて汚してしまいました」と
近くにいた学芸員さんに自己申告されていました。(笑)
by Miltmozmmer (2012-03-07 11:19) 

ユキヲ

>Miltmozmmerちゃんへ
コメントありがとうです。
私も抽象絵画は、各美術館の常設展でピンポイントで鑑賞することが
圧倒的に多くて、こうした大規模な企画展に行くのは
たぶん初めてだったと思います。
今回行って感じたのは、
やはり、作者が抽象的な表現に行き着くまでの
過程を目にすることで、抽象絵画の印象が大きく変わるということ。
これは抽象絵画だけではないですが
制作のバックグラウンドも分かれば分かるほど
鑑賞する作品に深みが出ますね。
今回は学芸員の方による解説も聴く事ができたのと
美術系の番組で予習ができたので
より理解が深まり楽しむことができました。
愛知県美術館の常設展はいつも鑑賞が楽しみなのですが
ただ、夜間開館の際には、タイムアウトになってしまいゆっくりと
鑑賞ができず(苦笑)
結局、後日常設展を観てきました。
ちょうどポロックにちなみ、抽象絵画の作家なども
取り上げられていて常設展もとても良い空間でした。
毎回、愛知県美術館の常設展は色々と趣向をこらして
展示しているので、楽しみですが
現在は所蔵品ばかりを展示している企画展が開催中なので
こちらも非常に気になるところです。
あとは、ボストン美術館のファッションをテーマにした
企画展も気になっています。

アトリエ再現のスペース…あれは画期的でしたね。
老夫婦の奥様…展示物に夢中になりすぎて
ガラスがあるのも目に入らなかったのですね。
まさか、ポロックも自らが使っていた絵具をそこまで
熱心に観てもらうことになろうとは
夢にも思わなかったでしょうね(笑)
by ユキヲ (2012-03-09 22:00) 

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