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「明治村を歩く〜5丁目付近:帝国ホテル・聖ザビエル天主堂」 [建築etcのはなし]

芝川邸で丁寧なガイドさんの説明に耳を傾け…
http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2008-12-04

すばらしい日本建築も眺めていたら…
http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2008-12-05

午後3時をまわり、残りあと1時間を切ってしまったユキヲ。
最寄りの市電に乗り込み移動。
そして引き続いてSLに乗り、帝国ホテルにほど近い北口を目指します。

『1日乗り物券買っておいて良かったね』

「う、うん」

本当は宇治山田郵便局を見たかったんだけどなぁ…
と思いながら眺めるのは…その「宇治山田郵便局」
宇治山田郵便局.jpg

そうこうしているうちに…SLは無事に終点に到着。
で、北口に到着したら…

パンプス姿でダッシュする女がひとり(笑)

そしてその人を後ろから猛ダッシュで追い越して先に行く男がひとり(爆笑)

「パンプス姿だから遅いと思って走っているのに、
 スニーカーのあなたはダッシュする必要ないでしょーっ!」
と先に突っ走る相方を呼び止める私でありました(笑)

さて、いよいよやってまいりましたのは…

帝国ホテル.jpg
「帝国ホテル中央玄関」----------------------------
かつてマリリン・モンローとジョー・ディマジオなどが泊まったのが
アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトによって設計され
大正12年(1923年)皇居を正面にして建てられた、この帝国ホテル。
総面積34,000㎡余の大建築で、客室数270室、
中心軸上に玄関、大食堂、劇場などの公共部分を集約し、左右に客室棟を配置。
それまでの平面的なつながりが多かった建築空間が
立体的な構成へと発展させた、世界的にみても非常に貴重な建物です。
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最初に見たのはたぶん、小学生の頃。
ゴールデンウィークか何かに家族と共に訪れた時だったと思う。
身近な建物にはないような当時の自分が思い描いた「外国」の香りが漂う空間。
そして赤い絨毯。

「これ、本当に日本にあった建物?」
それが当時の私の第一印象。
まあ小学生ながらに、建物にひとめぼれしたようなものです。
そして「外国の有名人も泊まった、日本のすごいホテルの玄関」といった具合に
夢のような建物のイメージが私の中に植え付けられる。

それから何度来てもここには必ず立ち寄りましたね。
何度来ても飽きない…不思議な空間。
学生時代に勉強したグラフィックデザインから
自分の好みのデザインが幾何学形態のものが多いことに気がつき
「それで言うとここの建物もそうなのかしら?」と思ってみたりして…
とにかく建築家の名前で最初に覚えたのは
「フランク・ロイド・ライト」でしたね。
それにここの玄関付近はよく明治・大正・昭和初期などに
時代設定をおいたドラマなどの撮影によく使われるので
(だいたい、そういうドラマは8割方見ていることが多い…笑)
それらしいシーンが出てくると
「あっ!帝国ホテル」と気がつき、ドラマの最後のエンドロールまで確認して
「ほら、撮影協力に明治村って出てるよ」って確認するほど。
http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2005-12-31


しかし、20代後半から、デザインから派生して
建築に関わる雑誌を読むようになり
(きっかけはミース・ファン・デル・ローエのバルセロナチェアから)
ある日、カーサ・ブルータスの特別編集本
「誰にでもわかる20世紀建築の3大巨匠」が発売されて、手にしたのですが…
そのホテルの裏側を知り、かなりショックでしたね。

今日も長くなりますので…お時間とご興味ございましたらおつきあいください。
実はこの建物。前記の通り、大正生まれの建物です。
それに加えて、世界的な建築家に設計されたものなのに…
なんと44年で取り壊されています。

なぜか?

大正12年(1923年)といえば…
先の芝川邸のご説明の際にも少し触れましたが…

「関東大震災」

幸か不幸かこの帝国ホテルの落成披露宴が予定されていた9月1日。
関東を大きな揺れが襲いかかり、東京は壊滅的な被害を受けました。
私の中での「関東大震災」のイメージは
母と一緒に見ていた「おしん」に出てくるシーンですね
(ご存じの方いらっしゃいますか?)

そんな大災害の中、この帝国ホテルは比較的軽い被害で済みました。
それは、ライトがこの帝国ホテルの敷地の地盤がきわめて軟弱なのを見越して
独自に編み出した工法「浮き基礎」というものを採用したため。
簡単にご説明しますと、基礎の杭をあえて短くし、
仮に地震が来た際には、建物が揺れることで振動を吸収するというもの。
この工法は確かに有効だったのですが…
その後、軟弱な地盤が故に、建物は沈下し続けたそうで
取り壊す頃には、中央1階部分の事務所は半地下状態となっており
廊下はスタッフ達がワゴンも使えないほど波打っていたのだそうです。

そしてもうひとつ寿命を縮めたのは…素材。
この建物の特徴的なあの石「大谷石」です。

建物に主に使う素材として初めて採用したのもライトの発案。
考えられる理由としては、
大谷石は安価な上に加工が容易でそれでいて石自体がしっかりとしていること。
しかし、この石にも弱点がありました。
ご覧になった方であればお分かりかと思いますが
石にところどころ穴が開いているのです。
ここには雨水が溜まりやすく、冬ともなれば、この溜まった雨水が凍り
石自体が膨張。そして表面がはがれていくのです。

そんな状態だったのに、ライトは一度もメンテナンスはおろか、
このホテルの完成にも立ち会うことができませんでした。

なぜか?

実はライトは、スキャンダルの渦中、この帝国ホテルの仕事を手に入れます。
(スキャンダルとは、ライトの当時の使用人が夫人と2人の子供、及び弟子達を惨殺。
 現場に出ていたライトのみが助かるという事件があったため。
 実はこの殺害された婦人も、元は1904年に竣工したチェニー邸の施主の妻
 いわゆる不倫関係の末に結ばれた妻)

再起をかける絶好のチャンスの大仕事。
ライトは全力を注ぎ、今までにない新しい建築をつくろうとします。

彼を帝国ホテルとをめぐりあわせた、当時の帝国ホテルの支配人の林愛作は
ライトの良き理解者であったのですが…
タイミング悪く…初代の帝国ホテルの本館から火災が発生。
その責任を取るため、林愛作は総支配人を引責辞任。
ライトは唯一の理解者を失うことに。

火災が発生し、新館の早期完成が経営上急務だったこともあり
理想の建築を追い求めるライトと、
ホテルの経営陣達との関係はしだいに悪化するのです。
なぜならば…
今までにない新しい建築を造ろうとしたライトは、現場での設計は際限なく変更。
予定の施工は大幅に遅れて、建築費も当初の倍近くにふくれあがるのです。

林愛作のような理解者のいない中での異国の施工。
建築への理想とそれが一筋縄ではいかない経営陣との関係の悪化という現実…
その結果、ライトは日本における一番弟子だった遠藤新に最後を託し、帰国します。

そして、ライトがいないまま、ホテルは完成。
さらにはあの関東大震災に巻き込まれるものの
建物はなんとか持ちこたえます。

なぜライトは帝国ホテルのメンテナンスに一度も訪れなかったのか…
やはり、このような苦い思い出のあるホテルへ足を踏み入れることは
彼のプライドが許さなかったことでしょう。
そして、彼の中でこの帝国ホテルが地震大国日本で耐え
「耐震建築」を確立したことで
もう彼の中での帝国ホテルへの熱意は冷めたとも考えられます。

「まあ、いろいろなしがらみや大人の事情はあるにせよ…
 この建物が今ここに存在して、私達に形ない何かを与えてくれているのですから…
 それも変わらない事実でしょう」

例えば、20年近く前、小学生だった自分が、ここに立って、
当時、まだその目で見ることのなかった異国の世界を感じ、
そしてこの建物が日本に建っていたことに驚いたように…

「そうそう、移築される時には、、風化の著しい大谷石に代えて
 プレキャストコンクリートなどの新建材も使って建てられた訳だから…
 ここでなら、長生きしてもらえると思うし」

クリスマスの雰囲気.jpg

やっぱりこの建物は…いつまでも残っていて欲しいです。

小学生だった自分の時とはまた違った思いで
この日はこの建物と再会したけど…やはり、また来たいなと思いました。









最後にもう少し時間があったので…こちらも見てきました。
聖ザビエル天主堂.jpg
「聖ザビエル天主堂」---------------------------------
この教会堂は、1549年に日本に初めてキリスト教を伝えた
聖フランシスコ・ザビエルを記念して、
明治23年(1890年)かつてザビエルがいたことのある
京都の地に献堂されたカトリックの教会堂。
フランス人神父の監督の下、本国から取り寄せた
設計原案に基づき、日本人の手で造られたという貴重な建物です。
基本の構造はレンガ造・木造との併用で、外周の壁をレンガ造で築いており、
正面入口の上には直径3.6mを超える大きな薔薇窓が付けらています。
外光を通して美しい陰影を見せるステンドグラスは、
色ガラスに模様を描いており、外に透明ガラスを重ねて保護しています。
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ここのステンドグラスは本当に美しい。
仏教でもキリスト教でもないのに…

「自分の結婚式をチャペルで挙げたいと思ったのは
 たぶん、小さい頃にここの教会を見たからだろうね」

幼少期の体験というものは時に成人になってからも影響するものです(笑)

寂しげにどこからともなく「蛍の光」が流れてきました。

「なんだかあっという間でしたねぇ」

その隣でややお疲れ気味の我が相方。
お疲れ様でした。そして連れてきてくれてありがとう。
1日、とても楽しく過ごすことができましたよ。
これでしばらく仕事も頑張れそうです。

さあさあ、帰りにはお土産買って帰りましょう。
北口にある売店でお買い上げしたのは…

「デンキブラン」
いきなりお酒(笑)
いや、もちろんお菓子とかも買いましたけどね…
(それは会社用に。有給休暇もらったから…笑)

以前に東京に出かけた時にもお買上げしてる気に入っているお酒のひとつです(^^)
http://yukiwochannel.blog.so-net.ne.jp/2005-02-24-1

「そうそう、思い出した。あの時、グラスもお買上げしたのよ(笑)」
年末、相方と一緒に家で夕食取る時にでも、また開けてみましょうかね。

いつも以上に長文な記事、読んでいただいた皆様に感謝です。
写真で見るのも素敵ですが、機会があればぜひ実物を見てください。
きっとお好みの建物が見つかりますよ。

「明治村」
http://www.meijimura.com/
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コメント 8

whitered

帝国ホテルで明治村レポートが完結しましたね。いやはや熱のこもったレポートでした。名建築はどれもが、関東大震災なり、阪神大震災なりの洗礼を受けているのですね。その前に一応の耐震設計を施しているのは、さすが名建築家といえる人たち。100年、200年後を見通していますね。ライトの私的な伝説も始めてしりました。まさに奇しき人生の上に成り立った建築だったのですね。お好きな事だからとは言え、ここまで詳しい文章に敬服します。ご苦労様でした。
by whitered (2008-12-06 10:25) 

ユキヲ

>whiteredさんへ
nice&コメントありがとうございます。
そして長文レポートにお付き合いくださり、感謝、感謝です。
そうですね…この日本では地震の洗礼は避けて通れないですものね。
そんな中で耐え抜いた建物には、建築家の工夫と努力を
垣間見る事ができ、時を越えて、いろいろなものを感じることができます。
ライトの歴史…
最初、これを知った時にはあまりに壮絶で…
ショックで受け止めることができなかったのですが
しだいに「あの帝国ホテルができたのは、壮絶な彼の人生があったから」
と思えるようになりました。
そして、やはり、私の中で帝国ホテルは特別な場所です(^^)
by ユキヲ (2008-12-07 01:14) 

光流

宇治山田郵便局……。
もうかれこれ5年ぐらい行きたくてたまらないのです(爆)
でもなかなか行けなくて……。
ユキヲさんのブログを拝見してますます明治村に行きたくなりました。
来年の春になったら絶対に行こうと思います。
by 光流 (2008-12-07 19:28) 

ユキヲ

>光流さんへ
こちらにもコメントありがとうございます。
宇治山田郵便局…今回、立ち寄れなくてすごく「引き」でしか
カメラで押さえられなかったのですけど…(それもやや斜めから…爆)
やっぱり、ここは正面玄関に立ってしばらく眺め
佇まいを味わうのが正しいです(笑)
この中って、郵便の歴史などもパネルなどで展示してあって
展示施設としても楽しめるところが良いです。
ちゃんと郵便局としての機能も果たしていますしね。
10年後に届く「はあとふるレター」という企画も素敵です(^^)
春の明治村…桜などが咲いてきっと美しいと思いますよ。
ゴールデンウィークの頃は新緑が美しくてまた良いですし…
岐阜から犬山って…意外に電車だと近いんですよね。
そうそう…私も、先日友人と会って
「夏の明治村は浴衣を着ると女性は無料だから…」という話になり
「その時にまた行こうかな」と新たな計画が持ち上がってます(^^)


by ユキヲ (2008-12-08 10:16) 

光流

こんばんは☆
昔宇治山田郵便局の中にはまったく関係のなさそうな
女性のマネキンがあり……。
私はソレが見たかったのです。が、今はもうないそうです(>_<)
前は私の住む関市からでも公共交通機関で行けたのですが
今は行けないので足が遠のいております。
(名鉄のセットの切符だとお値打ちに行けましたし)
駐車場が有料なのもちょっと痛いυ

浴衣>そうなんですよ!!
夏のお盆ぐらいだけ無料で夜も遅くまでやってるんですよね〜。
私が一番最後に行ったのもその時期でした。
(男性は浴衣だと何故か半額)
肝試しが有ったり、建物の中で色んなイベントが開かれていたり
と普段とは違った感じで楽しかったです。
でも履き慣れていない下駄であの山道を歩くのが結構しんどくてι
スニーカーで歩きたいぐらいでした(^-^;
by 光流 (2008-12-08 21:42) 

ユキヲ

>光流さんへ
再びコメントありがとうございます。
マネキンがあったんですね(驚!)
私、いつも古いポストや切手に目を奪われてノーマークでした(^^;)
そうそう、名鉄のセットの切符だとお値打ちなんですよね。
観光向けに以前は2日間共通入場券とかあったみたいですし。
(明治村1日で見てまわるのにはキツイですよね…って、今あるのかな?)
そうそう、駐車場。
最近、夏期と冬期で料金違うんですよね(爆)
こないだは冬期だったので1台800円(-公-;)ちょっと懐が…

浴衣…
いつも日没と共に閉園になってしまうので
夏はいいですよね。夜まで散策できるので。
私、夜は一度もお出かけしたことないので一度行ってみたいのですが…
そうそう。明治村って隣り合うエリアの境目って
結構急な石段とかでの移動ルートが多々あって…
あれはキツそうですよね。下駄では。
散策メインとなれば…やっぱりスニーカーですよね。
でも浴衣であれば、浴衣に合いそうな歩きやすいアジアン系ミュールで
代用しても良いかもしれませんね(^^)

by ユキヲ (2008-12-09 12:09) 

光流

こんばんは☆
マネキンがあったのは開園当時のようです。
ユキヲさんが国内ミステリを読まれる方なら
島田荘司の『占星術殺人』を一度どうぞ……。
マネキンについての詳しいお話が分かります。
明治村はちょこっとしか出てこないんですが(^-^;

駐車場料金違うんですか!?
知らなかったです〜。
以前は夏期も800円だった覚えがあります。

浴衣で明治村
→雰囲気も有って素敵です。
私が行った時、ひとつの建物で『室内立体迷路』が開催されていまして……。
浴衣で四つん這いで進むはめになりました(爆)
ギリギリの幅をくぐり抜けたり結構ハードでした(笑)
石段や砂利道はつらいですυ
鼻緒に慣れていない私はもうだめ×2でしたι
ミュールをおすすめいたします(笑)
by 光流 (2008-12-09 22:17) 

ユキヲ

>光流さんへ
マネキン情報ありがとうございます(^^)
へぇ…国内ミステリーに登場するんですね。
あ、ミステリーは結構好きですよ。
横溝正史とか(古いですかねぇ)なにぶん金田一シリーズファンなので。
最近、図書館ごぶさたなので…今度借りて来ようと思います。

駐車料金…
はっ、ごめんなさい私ったらややこしい書き方してました。
ええっと…3月から11月までは800円でした。
本当の冬期にあたる12月から2月までが500円だそうです。
でもさすがに12月となると…雪の心配しないといけないので…
あの駐車場の道中が結構な坂道なので…
ノーマルタイヤでは少々スリリングなドライブになるのでは(滝汗)

室内立体迷路…
浴衣で四つん這いって…すごい、ある意味スリリング(^^;)
というか浴衣のお客を見越してない所が良いです(笑)
石段は辛いですよね。
私あの巷によくある石段の中途半端な段差と幅がとても苦手なのですよ。

とはいえ、明治村…行った先から「また行きたい病」発熱中です(笑)
by ユキヲ (2008-12-10 00:15) 

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