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2014年8月30日(土)あいちトリエンナーレスクール第1回「デザインのひみつ」 [デザインetcのはなし]

おひさしぶりです。ユキヲです。

ひょんなことから活版印刷機を手に入れたこと等々
色々と書きたいことは山ほどあるのですが…

「タイピングが追いつかない程…毎週、毎週出来事が多すぎて…」

なんですね。まあ、繁忙期というのもあるのですが…
で、まあ、ひとまず最近、出かけた先で見聞きしたもので
「これは何がなんでも残しておかねば!」と
思ったものありましたので…久しぶりにブログ更新。

そう思ったのも…先日の些細な出来事から。

30代前半に比べて、後半の現在。
圧倒的に美術館に行く回数が増えた私。
最近、「あれ?この作家の作品、前に見たなぁ」ということが多くなり
それに伴って、昔に書いたブログの記事が記憶のアウトプットに
とても役立っているのです。
(自分としては、「昔はよくぞここまで長文書いてたなぁ」と
 昔の自分に驚くばかりなのですが…苦笑)

先日、はるひ美術館でブルーノ・ムナーリ展が開催されていることを知り
『あ、私…それ刈谷市美術館で見たぞ」と思って
「あれは…たしか3年ぐらい前かなぁ」と頭に描いて
自分のブログ記事を検索したら…「え!6年前だった!」
まあ、最近、こんなことしょっちゅうで…自分の記憶力に愕然としています。
とはいえ、もちろん良いこともあって…
当時、見た際に感じたこと、思ったことが書き留めてあるので
「ああ、こういうこと感じてたのか」と客観的に自分の感覚を眺めてみたり。
今だとまた違った見方も見えたりして…面白い。

「そういえば最初のトリエンナーレなんて
 あんなに長文で書き留めていたのに…
 Twitterのおかげで昨年のトリエンナーレについては
 ブログに何も残してないものねぇ」

いや…すみません。残すつもりでテキストとかも書いているんです。
写真も整理したんですよ。だけども…だけども…

「時間がない」

はい、言い訳です。すみません。年内頑張ります。

ま、そんなこともありまして…
出来る範囲で残そうと思った訳です。


2016年に開催するあいちトリエンナーレに向け
現代アートを楽しみながら学ぶレクチャーシリーズ
「トリエンナーレスクール」が始まりました。
その第1回目、先日、8月30日(土)に行われた「デザインのヒミツ」
これは行かなくては…と、やってきたのは愛知芸術文化センター12階のアートスペース。
こちらで午後2時から3時半まで開催とのこと。定員180名ということでしたが、
土曜なのと開始30分前から整理券を配布するとのことでしたので開始15分前に到着。
整理券は40番台でした。

さて、私がどうして「行かねば!」と思ったかというと…

それは、昨年…全会場、くまなく回った、あの「あいちトリエンナーレ」の
公式デザイナーを担当された廣村正彰さんがゲストだったので。

今、振り返れば…昨年のトリエンナーレ会期中。
各会場の作品を見ることに精一杯で、公式デザイナーが誰なのか…
そこまで頭の回路が繋がらなかった私。
とはいえ…各会場の空間の特徴に合わせデザインされた
あの「青を基調とした洗練されたデザイン」は今でも「すばらしい」と心に残っています。
それが廣村正彰さんと知り「これは行かねば!」と。

というのも…廣村さんは、あの田中一光デザイン室で経験を積まれたデザイナー。
実は私。2013年、今はなき大阪のサントリーミュージアム天保山で開催された
「田中一光回顧展 ― われらデザインの時代」に出かけた程。
そんな経緯もあって、今回はトリエンナーレのデザインができるまでが聞けることも
楽しみにしつつ…ひょっとして、田中一光さんのもとでデザインの経験を積まれた際に
体験された貴重なお話も伺えるかなと期待しながら出かけたのでした。

さて、廣村さんをゲストに
国際デザインセンター 海外ネットワークディレクターの江坂恵里子さんを
進行役に迎えて始まった、第1回トリエンナーレスクール。

最初に、廣村さんからは、ご自身のパソコンに保存されたスライドを
スクリーンに照射しながら、その後の流れを江坂さんからの質問を交えながら
公式デザイナーに任命されたところからお話が始まりました。2011年、芸術監督の五十嵐太郎さんより依頼されたとのこと。
その際に廣村さんは「2010年の第1回目のあいちトリエンナーレの存在は知っていましたが…
まさか次のあいちトリエンナーレのデザイナーを担当することになるとは…
それに自分は愛知県安城市出身で、名古屋のイメージと言えば美大を受験する前に
1年間浪人した時代に名古屋の予備校
(千種区にある河合塾美術研究所。名古屋市内・近郊の受験生が多く通う)
のイメージしかなかったんですよね」
と思ったそうですが…結果として、その依頼を受けることに。

廣村さんには、2013のあいちトリエンナーレのメインビジュアルを制作するにあたり
3つの条件を提示されたそう。
(1)第1回の成功を超える
(2)第2回ならではの特色を表現
(3)1回目との差別化をはかるため、新しい表現を

第1回のあいちトリエンナーレと言えば…
開催当初、入場者数の目標を30万人としていたのですが
会期終了の20日前には目標を達成し、最終的に57万人強が訪れ、
大成功と言われたあの第1回です。
いや、3つではなかったんですね。
というのも…「第1回のアイデンティティの使用が条件」

そうです。あの矢印が印象的な、あのアイデンティティです。
(ちなみにあの矢印、Aichi Triennaleの頭文字「A」と「T」組み合わせたもの)
これらをふまえて…良いものを作るという…何とも、ハードルが高い条件。

そこで廣村さんは「まずは、今回の第2回の特色を表現しよう」と
今回のトリエンナーレのテーマであった
「揺れる大地ーわれわれはどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活」
さらに「作品を展示するだけでなく、パフォーマンス等の多彩なコンテンツ」を
メインビジュアルで表現しようと思い立ちます。

image-20140921161951.png

結果として現れたのが、あのビジュアル。
廣村さんいわく「隆起した岩石をイメージし、
いくつも重なったピースで多様性を表現した」とのこと。

これらをチラシやポスター、さらにはチケット等の各印刷媒体や
ウェブコンテンツ用に数種類、大きさ等を変え、展開したそう。
(ちなみに写真は、会期中、私が肌身離さず持ち歩いていた
 フリーパスのチケットです。
 今思えば…あの青いカラーでチケットフォルダを購入して
 おけばよかったと激しく後悔)

とにかく、第一弾の告知については、まだ参加するアーティスト等の
詳しい事も決定されていない状態で、まずは開催が決定したという
情報しかなので、まずは一般の人たちへ「あ、2013年もトリエンナーレ開催するんだな」
ということを浸透することを念頭にポスター等の大判な媒体で
色と形を繰り返すデザインにまとまったそう。

さらにサブビジュアルについては、
ラインが交差しながら地割れかのように広がるパターンビジュアル。
これが結果的に、オリジナルグッズのデザイン等に展開したそうです。

そしてメインカラーとして決まった青色
(印刷系でお分かりの方なら、いわゆるシアン100%)
第一弾の広告展開が寒い時期だったので
最初は寒々しいイメージだったのが結果的に猛暑になったこの年、
逆に涼しげな色の印象で会場内が爽やかな空間となり大成功だったとか。

『確かに…会場となった愛知県美術館や、岡崎のシビコなどでは
 この青色のラインが爽やかでありながら、
 上手く展示会場とつながっていたことも印象的だったなぁ』
と思っていたところに進行役の江坂さんより、
この際のトリエンナーレのサイン計画について色々と質問されて
廣村さんもそれに答えていらっしゃいました。

江坂さん、廣村さんの2人がともに印象的だと語ったのが、
オアシス21から愛知芸術文化センターへと続く地下通路の空間。

特に廣村さんはこのサイン計画について
「今までの経験上、公共の施設では床面とはいえ、
あのような大胆なサイン計画はできなかったので、
ああいう形で可能になったことは非常に驚きました」
と語っていましたし、江坂さんは
「鑑賞者がこれからトリエンナーレを鑑賞するぞという気持ちを高揚させる効果と
同時に、迷うことなく、会場へ誘導させてくれる、
とても良いサイン計画だったと思いますし、
中でも、愛知芸術文化センター内にマスキングテープで制作された作品
(注:地下2階~10階にマスキングテープを使い、
 福島第一さかえ原発を原寸で表したた宮本佳明氏作品)
と呼応するような空間となっていて…とても印象的でした」
と鑑賞者の目線と海外ネットワークディレクターとしてのプロの目線の
両方の目線での印象も交えて語っていらっしゃいました。

ちなみに、この2013年のトリエンナーレのサイン計画。
2014年度の公益社団法人日本サインデザイン協会による
優れたサインデザインに関する顕彰事業である「SAD賞」で、
サインデザイン優秀賞を受賞してるそうです。

さて、2013年のトリエンナーレで地元の学生と
コラボレーションして誕生したグッズについても
デザインという枠ということで触れられていました。

この学生のアイデアをグッズにするという
「学生デザインコンペティション」
当時の審査風景などがスライドで紹介されていて廣村さんより当時の様子や苦労した点などを思い出しながらトークが進行しました。

このプロジェクトは、「クリエイティブデザインシティなごや」が
若手人材育成事業の一環として「あいちトリエンナーレ」と
共同で行ったプロジェクトで県内の教育機関に呼びかけ、
参加チームは新しい視点であいちトリエンナーレの新たな公式グッズを提案。
結果として、様々な学生からのアイデアの中から
最終的に、数点、実際に公式グッズとして日の目を浴びることになりました。

その中でトークで取り上げられたのが
地元の有松の絞り染めの技法を使い仕上げたリバーシブルのトートバッグ。
アイデアが実用化されることになったものの、
このトートバッグを製作するにあたって通る行程が「絞り」という技法なので、
同じ染めの仕上がりが出ないという最初の難関にぶつかり、
さらには、ナンバリングを入れるにもコストがかかるということで
結果的に学生達がシルクスクリーンでナンバリングを行いコスト削減。
パッケージも最終的にはシンプルなものに仕上げて、
実際の販売のために必要な原価まで下げたという
まさに試行錯誤の連続をふまえての製作だったと言います。

image-20140921162006.png

そして、「AIMOKKU」というカードスタンド。
こちら、木製のカードスタンドなのですが、
原料はなんと、愛知県で伐採され焼却処分されてしまうはずだった街路樹。
そこで、建物付近に生えている街路樹と同じ樹の種類でそれぞれの建物の形を作り、
カードスタンドに仕上げたというもの。
こちらは会期中に完売した人気商品だったそうです。
実は私も、建物好きな上に、アイコンなどピクトグラム大好きな人なので
こちらの商品、Aタイプ(JRセントラルタワーズ、名古屋城、愛知県芸術文化センター)
Bタイプ(岡崎城、名古屋テレビ塔、名古屋市科学館)両方、買い求めました。
このパッケージも気に入っているのとほこりが付くのが嫌で結局、このまま並べています(苦笑)

廣村さんがこのAIMOKKUのことに触れた際に
「ちょっと…一部、建物が『これ何かな?』っていうのもあるんですが…」と
苦笑いしていらっしゃって、プロとしては、
やはり、一目で何か分かるというクオリティーを念頭に置いていらっしゃるのかな?
と個人的に思ってみたり。

最後に、ブレスレットタイプのラバーのループについては最初、
コンペでのアイデアではネックループでもっと長いループ状のラバーだったんだそうです。
でも、コスト面、来場者への手に取りやすい形状などを再検討して最終的には、
ブレスレットタイプに落ち着いたようです。

私も公式のグッズ販売のコーナーでは、じっくり悩んで購入したタイプでしたし
何より、一部、実際に購入したグッズなどもあったので、
今回、こうして学生コンペのアイデアから完成に至るまでの流れを知る事ができ、
とても良かったなと思います。

image-20140921162018.png

文字だけのシンプルなデザインもありましたね。
元々、青色が大好きなので、こちらも購入した私です。


さて、さきほど紹介した「SAD賞」結果を
リンク先にあるPDFデータで詳細を見ると一目瞭然なのですが…
http://www.sign.or.jp/wp/wp-content/uploads/2014/07/bd69fd428d74dd94bb0f4286ac93d6bb.pdf

廣村さんのこれまでのサイン計画の実績を含め、
デザインされたお仕事を見てみると…
どのデザインも、その場所、モノの役割を
美しくそれでいて機能的にまとめられていて、本当にすばらしいのです。

そこで後半は、廣村さんの主なデザインの仕事に
クローズアップしてトークが進行していきました。

見れば見る程…思わず笑顔になる素敵なお仕事ばかりでした。

東京ステーションギャラリー
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/

※その名の通り、東京駅にあるギャラリーです。
2012年秋、復原工事を終えた後に、リニューアルオープンしましたが、
その際のロゴデザインやグッズ等のデザインを担当されたそう。
実は私、こちらのギャラリーは大野麥風展の際に、1度出かけておりまして…
そのレンガの目地にも、レールにも見えるそのロゴに一目惚れでした。
ちなみにこちらのミュージアムショップで目玉と言えば…
煉瓦作りの東京駅だけに…赤レンガのブロックをそのままメモ帳にした
 「Brick Block Memo」
http://www.ejrt.co.jp/trainiart/original/stationery005.html
『煉瓦の原寸サイズで、結構なお値段なのに…人気の商品』なのだそう。
印刷時に薄い色を重ね、メモブロックとして形成する際に
ブロックのような色合いが出るよう計算されているそうです。

すみだ水族館
http://www.sumida-aquarium.com

※東京都墨田区押上の東京スカイツリータウン・ソラマチの
施設の一部として開業した水族館。
海水浄化システムにより、総水量700トンの大半を人工海水のみで運用している
いわゆる「街の中の水族館」こちらのロゴデザインなどはもちろんのこと
館内の内装のデザインも担当されたそう。
『街中の水族館で大きなジンベイザメ等がいるわけでもなく
大きくてもペンギンやオットセイぐらい。それに街中で大人が入っても
しっくり来るように…落ち着いた色調と、あと研究所っぽい雰囲気にしました』
とのこと。スライドで内装を紹介されていましたが、
とにかく第一印象は「クール」壁面を使った説明などの表記も
子どもだけに媚びるのではなく あくまで大人目線で文字は多く。
確かに…子どもが読めなければ親に聞きながら理解を深めればよい訳ですね。
個人的に感動したのは、「ラボ」
http://www.sumida-aquarium.com/zone/labo.html
飼育スタッフが、いきものの世話をする姿をオープンスペースで見せることで
水族館のバックヤードがいつでも見る事ができるというスペース。
これは子どもはもちろん、大人の好奇心もかき立てられるでしょうね。

私も関東の友人より、すみだ水族館のイベント等の話は
よく耳にしていたのですが中でも人気が「チンアナゴ」
スカイツリーの高さ、634mに合わせて、
チンアナゴも634匹飼育されており、水族館では珍しい360度
どこからでも眺められる巨大水槽にいるそう。
ちなみにチンアナゴ。名前の由来は大きな目に体には黒い斑点があり
犬の「チン」に似ているから。
11月11日は、砂の穴から頭を出す姿がチンアナゴの姿と似ているので
正式に日本記念日協会から、記念日として認定されているそう。


21_21designsight
企画展「田中一光とデザインの前後左右」
http://www.2121designsight.jp/program/ikko_tanaka/

2012年9月21日〜2013年1月20日まで展示された企画展。
こちらの会場構成・グラフィックデザインを担当されたのが廣村さん。
実は私も2003年11月1日~2004年1月25日に
今はなき、大阪の天保山にあるサントリーミュージアムで
開催された「 田中一光回顧展 ― われらデザインの時代 」に出かけたタイプ。
なので…この企画展も行きたくて仕方なかった企画展。
しかし、この年に東京に行く予定より後の開催で泣く泣く断念したのでした。

そんな経緯もあったので、スライドでこの企画展のコンセプトから詳細までを
会場構成・グラフィックデザインを担当された廣村さん直々に説明された時には…感動。
ちなみに廣村さん、最初、会場構成・グラフィックデザインを打診された際、一度断ったそうです。
廣村さんもこれ以前に開催された田中一光の展覧会を
全てご覧になっており、自分の手で行うのには抵抗があったそうです。
しかし、11年間もお世話になった師であり、
今までの展覧会はデザインとして完成されたポスターや装丁などを展示するケースが
ほとんどだったことから「いちデザイナーとして、
田中一光のデザインが出来るまでの過程を知りたいし、多くの人に見せたい」
と思ったことから翌日、会場構成・グラフィックデザインを引き受けたとお話されていました。
特に展示にこだわったのは、本のデザインに関わった部分の展示だそうで、
田中一光さんは、1冊の本をデザインする際に必ず最初に小さい本の見本を制作し、
次に原寸の本の見本を作成。昼夜問わず、思い立つと手に触れて、
ページを開くなどして実際に使った際の手触り、視野などを何度も確かめていたそう。
(ちなみにその本の見本。当時の廣村さんをはじめ、
事務所のスタッフが制作したそうで…ページが多いと大変だったとか)
そんな田中さんの姿をふまえて廣村さん「本はグラフィックの建築」
という言葉を残されていました。
廣村さんは、企画展の開催時、会場で1987年に田中一光さんの監修により
誕生した紙「タント」を使い、壁面を彩っていたそうですが…
「最後の最後…ギリギリまで色の組み合わせに悩みました」とのこと。
http://www.2121designsight.jp/documents/2012/09/post-150.html
(最後にアップされている写真がその展示です)
タントは竹尾の紙で、その繊細な凹凸感と豊富な色展開が特徴の用紙。
私も印刷関連の仕事をしていますが、よくお世話になる紙の種類の1つです。

他にも田中一光さんとのエピソードが色々と語られました。
最初、事務所に入ったのも、正規に面接を受けた訳ではなく…
当時、自分の先輩が田中一光さんの事務所で働いていて
人手が足りないとのことで、先輩を手伝うつもりでお邪魔したところ
「じゃあ、明日から来て」と言われ結果として11年も勤めることになったとか。
「でも…入ったからといって…すぐにデザインの仕事させてもらえる訳ではなくて…」
という前置き。
当時、事務所では、毎日、昼食と夕食を事務所のメンバーとともに
いただくという「まさに同じ釜の飯を食う」という状態で…
となれば必要になるのが食事の支度。そんな訳で入社して約3年間は、
その食事のための皿洗い、さらには田中さんの運転手が主な仕事になっていたとか。「そういうことを知っているお客さんから大量の殻付きの牡蠣とかが箱で届くんですよ…もうね、牡蠣の殻むきは僕、上手いですよ」と笑い飛ばす廣村さん。会場からは笑いが起こります。
そんな笑いも生まれた所で田中さんの仕事を通してのエピソードも…
「田中さんは、一瞬で判断できる方なんです。
特に色彩感覚は抜群のセンスで…本当、あれを天才というんだと思います。
そんな人から…僕は『君は凡才だね』と言われました。
でも『食えるデザイナーにしてやる。そのために、人の3倍は努力しろ』と言ってくれたんですね。
なので、365日、昼夜問わず働きました。
そうそう…田中さんが夜に用事で出かけて帰宅する途中、事務所の前を通るんですよ。
そうすると…事務所が青山にあるんですが…
夜になると閑静な街の中でポツンと明かりが灯るんですよ。
まるで灯台みたいに…それが、うちの事務所の明かりな訳です(笑)
そうすると…田中さんから
『おい、いつまで仕事しているだ。電気代がもったいないから早く帰れ』
と事務所にお叱りの電話が来る訳ですよ。
でも、仕事はやらなくてはいけない訳で…
結局どうしたかというと、明かりを消して、デスクの下にライト持ち込んで、
こっそり仕事してたんですよ。僕ね、眼鏡なんて必要ない人だったんですよ。
それが今ではご覧の通り眼鏡が欠かせない。
だから、たぶんあのデスクの下で夜な夜な仕事していたせいじゃないかなって思うんですけどね」
と笑いながら廣村さんは懐かしそうにお話されていました。


BOOK CLOCK
http://youtu.be/A9M__aTuItY

※2013年11月にリニューアルオープンした西武渋谷店
「モヴィーダ館」こちらの通りに面した壁面で時を刻んでいるのが「BOOK CLOCK」
本のページをめくることで時を知らせるというこの時計。
動画では数字ばかりが出てきますが…
例えば、コーヒーカップが出てきて、本の上に置かれたり…
さらには深夜になると、クマなどの動物がページをめくるとか。
その時々に来た人にしか目撃できないページの仕掛けがあるそう。
「リニューアルオープンした西武渋谷店という立地条件もあるので
若い方達が待ち合わせに使ってもらえるそんな場所になったらいいなぁ…と思って…」
と、スライドで動画を紹介された際に、若いカップルが
BOOK CLOCKの前で待ち合わせする映像がちょうど出てきて、
説明をしていた廣村さんが目を細められていたのが印象的でした。


nine hours
http://ninehours.co.jp

※洗練されたピクトグラムが秀逸。海外の観光客などの利用者も多いため、
このようなデザインになったそう。東京オリンピックもそうですが…
ピクトグラムの制作については日本では「紋」の文化もあるのか、
これもある意味、お家芸的だなぁ…と個人的には思っています。
http://ninehours.co.jp/concept/


GOOD DESIGN STORE(香港)
http://www.jidp.or.jp/activities/gds.html

※グッドデザイン賞を通して、日本のデザインを発信していくショップ。
アジア圏への日本のデザインのプレゼンス向上のための拠点として重要視しているのだそう。
ちなみに余談ですが…この店舗内に、廣村さんが伊藤若冲の絵をアレンジし、
タペストリーを作ったそうですが…香港在住の方より「これが欲しい!」と言われ…デ
ィスプレイ用だったのを、結局、販売したそうです。


Japan Creative
http://www.japancreative.jp

※日本の優れた美意識と伝統に根ざした技術を
知的財産=クリエイティビティと捉え、新たな視点で創造し、提案していくことを目的として発足。
イタリアやドイツなど、世界で開催される家具見本市で日本の伝統×デザイナーと
呼応するようなプロダクトを紹介。世界に発信しています。

最後に廣村さんはデザインについて「機能が形になるもの」とお話されていました。
そして、日々の生活からの「気付き」がデザインが生まれることに
密接につながっているとお話をされて、トーク終了となりました。

最後に残り時間わずかとなってはいましたが
会場からの質問を受け付ける時間となり
日々の生活からの「気付き」を大切にされている
廣村さんの小さい頃に夢中になっていたもの、
またグラフィックデザイナーになるきっかけがあれば教えてください
との質問に意外な答えが…

私の実家は安城市というところなのですが…
本当、当時は原っぱばかりですし…何もないので…走り回ってばかりいました。
何もないので、空き地に秘密基地を作ったり…そんな具合でしたので、
特に何かに夢中になるということは、なかったように思います。
とにかく勉強はさておき…身体は丈夫でしたから…走り回ってばかりいました。
と笑いながらお話されていました。

さらに…グラフィックデザイナーを目指すきっかけとなったことも意外な答えが…

実は最初からグラフィックデザイナーを目指していたんじゃないんです。
高校卒業を控えていた当時、進学先も決まっていたのですが、
特に何をやりたいという気持ちもないまま、
このまま大学に行っても何も得るものはないのではないかと
思い直し、では自分は何に興味を持つことができるのだろう?
と考えたら…ふと、家具職人というか…家具などをデザインする人。
プロダクトデザインがやってみたいと思ったんですね。
そんな感じなので、当時はグラフィックデザインで
こういうのを目指したいとか、憧れとか、そういうものはなかったんですよ。
じゃあ、どうしよう?と考えた時に、
美術大学に進学するという1つの道があった訳ですね。
でも、そこに行くには普通に勉強するだけじゃなくて、
デッサンとか専門的な勉強をしないといけない。
で通い始めたのが、河合塾の美術研究所だった訳ですけど…
ここに行ったら、衝撃的だった訳ですよ。
同じ世代の子達が『私は○○美大に行く』『俺は○○になりたい』とか
目標が具体的なんですよ。
これには自分も『このままでは、いけない!』と周りに触発される形で
さらに目標を定めようとしたんですが自分は数学が苦手。
となると数字が絡む立体造形のプロダクトデザインは
自分には無理だということが分かったし…じゃあ、どうするかと。
あ、平面のデザイン(グラフィックデザイン)ならできるんじゃないかなと思って…
ある意味、消去法ですね」
と苦笑いしながら答えられていました。
もちろん謙遜しておっしゃられていたとは思いますが…
過程としては消去法でも、結果としてその残った道を極められて、
さらに多くの人を楽しませ、快適な空間や時間を提供されている
廣村さんのデザインセンスは、とてもすばらしいなとトークを通し、ひしひしと感じました。

今回は貴重なお話をたくさん耳にすることができて有意義な時間でした。
出かけて本当に良かったです。
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